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Cusco - Peru vol.4 -


まるで、映画のワンシーンのような風景が、窓ガラスを一枚隔てた向こう側に広がっていた。アンデスのこれでもかというくらい蒼い空と、赤茶けて老いた拳のようにゴツゴツとした山々。山道の砂利道を、どこから来たのか、色彩豊かな民族衣装を身に纏ったインディヘナが、ゆっくりと荷物を抱えて歩いてくる。かと思えば、山の稜線を、翼を広げた鳥達が、乾いた空気の中を風に乗って悠々と飛行していく。インディヘナも、その鳥も、これからどこへ向かうというのだろう。

ペルーの山中をバスに揺られながら、そんな現実離れした風景がすぐ目と鼻の先にあるということを、にわかに信じられない自分がいた。バスからほんの数十メートルの距離だというのに、まるで違う世界のことのように思えてくる。

車窓から外を食い入るように見つめていた僕とは対照的に、ペルー人達は、一向に窓の外へ視線を移そうとはしない。きっと、見慣れている、ごく有り触れた景色なのだろう。今このバスの中での、僕とペルー人達の差。この差を楽しむことが、旅の目的の一つなのだな、なんてよく考えれば当たり前のことなのに、得意気に物思いにふけってみたりする。と、そんなことを考えていたらバチが当たったのか、不意に、バスが山の中で急停車した。何事かよく分からないうちに、添乗員が何事かをアナウンスして、乗客はぞろぞろと外に出はじめた。バスが停車したのは、視界の開けた見晴らしの良い場所で、売店のような小屋もあったから、最初は休憩だと思っていたのだけど、10分経ち、20分経ち、やがて30分が経とうとした頃、どうやら違うらしいことに気がついた。この時の僕は、よほど不安な顔をしていたのだろう。ある親切な乗客が、どうやら僕達が乗っていたバスは、エンジンが故障してしまい、代わりのバスを手配している最中なのだと教えてくれた。

それから新しいバスが来るまでの間、僕は、ずっと遠くの山々を眺めたり、小屋のような売店で、薄いインスタントコーヒーを飲みながら時間を潰していた。ある時、自分が眺めていた遠くの山々よりも、自分の目線の方が高いことに気が付く。よく晴れた空に厚みのある雲が映えて、道筋のように遠くの山の頂へと続いている。それはまるで、空の中にいるような気分だった。

クスコに到着した時には、出発からおよそ20数時間が経過していた。バスが故障で停車して立ち往生していた時に、それを教えてくれたペルー人は、クスコに何回か来ているらしく、もし泊まる場所を決めていないのなら、自分達が泊まる予定の宿に連れて行ってくれると言ってくれたので、「値段が高くないか」ということだけ確認して、その誘いに乗ることにした。そもそも、こんな遅い時間に右も左もわからない町に着いてしまったのだから、多少値段が高くとも泊まる気でいたのだけれど。

クスコの夜は、必要以上の街灯もなくて、暗闇の中で、柔らかな黄色い光が、ポツンポツンと蛍のようにぼんやりと周囲を照らしているだけだったのだ。

宿までの道のりも、周囲が暗かったため、ほとんど覚えていない。それどころか、大きな中庭を囲むようにして部屋が建っている宿も、部屋の中以外は灯りが消されていたものだから、部屋に入り電気を付けた時、まるでビーチで昼寝をしていて目を覚ました時のような、強い眩しさを感じた。

僕の泊まった部屋は二人部屋で、もう一人は、やはり同じバスに乗っていたフランス人の女の子だった。宿まで案内してくれたペルー人は、実は親子で、バスのトラブル時に僕に声をかけてきたのは男性の若者で、もう一人は彼の母親だった。その母親が、僕とフランスの女の子に部屋をあてがう時に、多分ジョークだとは思うのだけど、女の子に向かって、

「いい?何かあったらすぐに叫んで助けを呼ぶのよ」

と言っていたのが、いささか、いや、かなり心外だったけれど、それでもこんな時間にクスコについて、見ず知らずの僕を宿まで案内してくれたのだから、文句は言えまい。

ベッドはもちろん別々だけれど、同じ部屋に泊まることになったその女の子は、色白で金髪のフランス人ではなく、アフリカ系だった。短くカットされた髪はチリチリで、クリクリとした大きな瞳の上には、眠たそうな二重の瞼が覆いかぶさっている。薄暗い明かりの中で、黒い肌が、チョコレートのようにツヤツヤとした輝きを放っていた。

お互いに疲れていたし、もう時間も時間なので、特に腰を据えて話すことはなかったけれど、シャワーのお湯が出ないことが分かった時に、彼女が一瞬しかめっ面をして何事かをつぶやいた。その瞬間、彼女の素をほんの少しだけ垣間見れたような気がして、互いに無言の中で気を使っていたのが、心なしか和らいだ気がした。僕の勘違いでなければ。

その後、すぐに電気を消して、もう眠ろうということになった。20数時間もバスに揺られていたのだ。ペラペラではなく、程よく厚みのあるベッドに横たわると、今まで張り詰めていた糸がプツンと切れたように、頭の中がもうろうとしてくる。すぐに睡魔がどこからともなくやってくるのだけど、同じ部屋に女性がいて、しかも二人きりというのが、どうにも落ち着かない。体はベッドに沈んで眠っているのに、脳のどこかが、眠りに落ちるのを拒否しているようだった。

「……。」

ふと、隣のベッドから声が聞こえた気がした。最初は、知らないうちに眠りについて、夢でも見ているのかと思ったけれど、もう一度声が聞こえた時、それは、どうやら現実らしいことを理解した。

「ティシュを貸してくれない?」

それは、隣のベッドにいる彼女の声だったのだ。鼻でもかむのかなと思い、僕は、枕元の小さいテーブルに置いてあったトイレットペーパーを、そのまま下投げで彼女のベッドめがけて放りこんだ。 すると、彼女はそれを使おうという素振りも見せず、

「あなたはテッシュが必要でしょ?」

と微笑みながら投げ返してきた。一体何なんだと思いながら、ベッドに投げ込まれたトイレットペーパーを掴んで、

「いや、必要なのは君だろ?」

と投げ返すと、彼女はさっきと同じように、また投げ返してくる。そのやりとりを何度か繰り替えした後、なんだか可笑しくなって、僕達はケラケラと笑い合った。

その後、どちらともなくもう寝ようということになって、次に目を開いた時には、もう朝になっていた。寝起きのぼんやりとした頭で、昨日のやりとりは一体何を意味していたのだろうと考えた。ただ単にじゃれ合いたかっただけなのか、それとも何かのサインだったのか……。考えれば考えるほど、不思議な夜だった。

まだチェックアウトの時間には早かったので、散歩でもしてみるかと、外で出てみて驚いた。宿のある通りは、入りくんだ細い路地になっていて、道にはゴツゴツとした石が敷き詰められていた。少し歩くと十字路にぶつかり、また別の路地が姿を見せる。その繰り返し。僕は、まるで迷路のようなクスコの町を、朝から歩き回った。石畳の道は歩きにくくて、だから、しっかりと地に足を付けて歩を進めているという感覚が心地よい。路地の隙間から、遠くに乾いた茶色の山々が見えて、その斜面にも、ポツポツと民家が点在している。緩やかな坂道を登ると、町を見渡せる小高い場所に出た。アルパカが立ち止まって大きなあくびをしているのが、なんともいい雰囲気だ。そして、朝の静寂の中、ここから見下ろす、目覚めて間もないクスコの町は、バケツ一杯にエンジ色の絵の具を入れて、それを上から勢いよくひっくり返したように、ほとんどの家の屋根が、エンジ色で統一されていた。そして、四方を山々に囲まれ、かつての都は、今でもそれらにしっかりと守られているようだった。

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