top of page

雲の上の町


それは、とても美しい光景だった。雲の隙間から、放射状の光が。何本も湖に降り注いでいる。湖は、その光の束をまるで鏡のように反射させて、煌びやかな空間を目の前に創り出す。ペルーとボリビアの国境を跨ぐ、どこにでもありそうなその湖は、まるで魔法をかけたように、僕の足を立ち止まらせた。幾千もの黄色い光が、群青色の湖に降り注ぐ様をボーッと眺めながら、こんなに平凡な湖を見ながら、こんなにも贅沢な気分になれることを、不思議に感じた。しばらくの間その美しい光景を見ながら、同時に、自分の心の中をも見ていたような気がする。ボリビア方面に歩いていく人々の足音を聞いて、ふと我に帰り、僕もみなと同じ方向に歩を進める。そうして、早朝の、これから新しい1日が始まる冴え冴えとした空気の中、僕のいる国は、ペルーからボリビアに変わった。

ボリビア側の入国管理をする粗末な小屋には、出入国をする人々と、その他多くの暇を持て余した人々がたむろしていた。くたびれた木製のカウンターで、入国に必要な書類を書いていると、暇を持て余していた若い女性の二人組が声をかけてきた。書いている書類を覗いたのか、僕が日本人だと分かるといなや、「ハポン、ハポン」と言いながら、ペンを持った手を空中で動かして、しきりに何か書くような仕草をしてくる。どうやら、日本語を書けといっているらしい。僕が、紙に適当な漢字を書いて見せると、二人は目を見開いて、どうしてこんなものが書けるんだというような顔をした。実際に書いてみようとしても、当然うまくは書けないようで、ミミズのような線を何本も紙に引く彼女達の無垢さに、心の奥が微かにざわつく。こんな些細なやりとりに嬉しさを感じるなんて、僕は長旅の間にひどく疲れていたのか、多くの物を見すぎて、感動とはなんたるかを忘れてしまったのか。なんとも言えない気持ちになった。

たくさんの人が、大きな荷物を背負い、目の前の国境を行き来きしている。その多くは、浅黒い顔に皺を馴染ませたインディヘナ達だった。もちろん、彼ら一人一人にも国籍があるわけで、国境を一歩跨げば、そこは自分にとって外国ということになる。しかし、彼らの姿を見ていると、まるで隣国が隣町のように、至極当然だという表情で、国境を越えていた。それに引き換え、すでに十数カ国を旅してきたとはいえ、僕は、国境を越える際、未だに特別な感情が、内から湧き出てくる。それは、新しい国に対する期待や不安であり、去り行く国に対する哀愁でもある。それらの異なる感情が、ごちゃ混ぜになって胸に押し寄せ、なんとも形容しがたい気持ちになるのだ。感情という言葉を、文字通り情を感じるとするならば、国境を越える際の僕は、様々な情をこれでもかという位感じながら、それらを胸中に忍ばせ、溢れ出ないように必死に堪えていた。それ位、国を跨ぐという行為は、僕にとって特別かつ、ある意味神聖な行為なのだ。

そんな僕とは正反対に、軽々しく国境線を跨ぐインディヘナ達は、僕の目には、それこそ自由に映った。その差は言わずもなが、生活する者と旅する者の違いだ。なぜ、日々の生活に追われているはずの彼らの方が、自由に見えるのだろう。気ままに自由な旅をしているはずの僕よりも。自由とは主観的なものであって、それは誰かに決められるべきものではない。ともすれば、この時の僕の心は、ひどく荒んでいたのだろう。それを忘れるために、旅をしていたのかもしれない。

バスは、荒れ果てた荒野の中で、唯一、人の手が施されたであろう国道をまっすぐに突き進んで行く。遠くに山々が見えるが、ペルーの時とは違い、赤茶けた岩山ではなく、砂利道と同じような色をした、色彩に乏しいものだった。赤茶けたアンデスの山々に思いを馳せながら、これから始まるであろう新しい旅に期待と不安を膨らませていく。旅というのは、結局はその繰り返しなのだ。見える景色や物、人を変化させることで、内にある不安や焦燥感を誤魔化していく。けれど、それはあくまで誤魔化しているだけであって、突然、胸を締めつけるような痛みを伴いやってくることがある。そして、それは大抵一人でバスに揺られている時が多かった。そんな時に思うのが、旅が終わって日本に帰り、仕事を見つけ、安定した暮らしをすることに、果たして僕は耐えられるのかということだ。自分の内面と真剣に向き合わなくてはならなくなった時に、自分は一体どうなってしまうのだろう。ボリビアの車窓から見える景色は、ずっと変わらず、砂埃が時折窓の向こう側を曇らせた。次の町に着く頃には、今感じている不安は、きっとどこかへ隠れているはずだ。そう思い、僕はきつく瞼を閉じた。

ボリビアのラ・パスは、標高3600mを越す高地にある。その数字は、富士山とほとんど変わらないというのだから、こんな高地に町を造ってしまうなんて、正気の沙汰とは思えない。標高が高いが故に、空気も希薄であり、この地を初めて訪れる人の多くは、高山病に苦しむという。僕の場合はというと、ペルーのクスコから、徐々に標高が高い地域に慣れてきたせいか、ラ・パス到着後も、高山病の症状に悩まされることは一切なかった。しかし、ラ・パスは坂の多い町で、長い坂を登りきると、軽くジョギングをした時のように息が上がり、乾いた空気が余計に冷たく感じた。また、僕は吸わないのだけど、煙草を吸う際にも、慣れるまでは息が絶え絶えになって大変だという。そして、コロンビアのメデジンと同じように、標高の高い場所へ行けば行くほど低所得者が、低ければ低いほど、そこは生活する上で便が良いということで、高所得が暮らしている。標高格差とでもいうのだろうか。住む場所の高さによって住民の階級が変わるのは、ある意味平面でそれを仕切るよりも分かりやすく、生活圏の線引きもはっきりしているだろうことが窺える。

僕がラ・パスに着いた時期、南米大陸はすでに冬を迎えており、しかも標高の高いこの町のこと、朝晩はめっぽう冷え込んだ。町は混沌としていて、近代的な高層ビルが見えたかと思えば、でこぼこの路上には物売りが歩いていたり、ここは都会なのか田舎なのかよく分からなかった。コロニアル調だけれど、どこか垢抜けない雰囲気なのは、民族衣装を着た人々が、ペルー以上に多かったからかもしれない。そのほとんどはもう若いとは言えない女性で、みな寸胴のような恰幅のよい体型をして、艶のある長く黒い髪を三つ編みしている。衣装の中で、特に特徴的だったのは山高帽で、ほとんどの女性がそれを被り、仏頂面で町を闊歩している。どうやらこの山高帽が、ボリビアのインディヘナのトレードマークらしく、マーケットでも売られているをよく見かけた。ある土産物屋に入った時、店番をしていた高齢のインディヘナ女性も、やはり同じように山高帽を被っており、日に焼けて赤茶色になった顔には何本もの皺が刻まれ、その眼光は、他者を威圧するかのように鋭く、威厳に満ちていた。 僕は思った。そうか、ここはインディヘナの国なのか。エクアドルにも、ペルーにもインディヘナはいた。しかし、一国の首都で、これほど多くのインディヘナを見たのは、この時が初めてだった。それも、この町のインディヘナの態度は、どこか威厳があり、自分たちの存在を誇示しているような印象を受けた。

町の中心部は、夜になっても、たくさんの人々で溢れ、活気に満ちていた。ボリビアという国を想像した時に、いくら首都とはいえ、これほど活気があるとは思ってもみなかった。南米で一番貧しく、この大陸のお家芸でもあるサッカーも最弱。どこか暗い影を落とした町並みを想像していたのだけど、ラ・パスで出会ったボリビア人はみな、おしなべて陽気だった。泊まっていた宿で働く若い娘は、チェックインする時に、部屋を掃除するから少し待ってくれと言い、部屋に入ったきり、10分経っても、15分経っても戻ってこないので、こっそり部屋の中を覗くと、掃除もそこそこにベッドの上に腰掛け、友達とおしゃべりを楽しんでいた。僕が勢いよく扉を開けて、「セニョーラ~!」と笑いながら言うと、彼女は、はにかみながら慌てて掃除を始める素振りを見せたけれど、僕にはそれが可笑しくてしょうがなかった。僕が笑っていると、彼女も掃除に手を止めて笑い出す。その彼女とは、その後も、スペイン語を教えてもらったり、滞在中は何かとお世話になった。

この町の名物の一つに、ボリビアンパーマというのがある。南米でも際立って物価の安いこの国では、日本円でわずか数百円ほどで本格的なパーマをあてることができる。それも、かなり強めのギチギチパーマだ。多くの日本人旅行者が、この地で髪を縮れさせるのと同じように、僕も、宿の向かいにある美容院へ向かった。メキシコで坊主頭にしてから数ヶ月。僕の髪はそれなりに伸びていたけれど、まだまだ短髪の域を出ることはなかったので、パーマをあてられるか少し不安だったけれど、そんな僕の気持ちなどお構いなしに、女性の美容師達は、パーマ液でびしょびしょになった頭に、数十ものロッドを巻いていく。そして、その感覚は驚く程狭く、二人掛かりでやっとのこと巻き終えると、頭を温めるための機械を被せられた。この時、同宿の人と一緒だったのだけれど、彼の施術が終わった後も、僕の頭は温め続けられ、美容師にまだかと聞くと、もう少しだという。そんなやりとりを数回繰り返し、ロッドを取ってパーマ液を洗い流すと、まるでパンチパーマのような、ギチギチのヘアスタイルが完成していた。それを見て、美容師達は、一様に笑みを浮かべている。短髪の僕が強いパーマをかけることで、こうなることを、彼女達は知っていたのだ。遊び半分で温める時間を長くし、より強いパーマを作ったの彼女達は、笑いを堪えながら「とてもいいわよ」と親指を立てた。思わず僕も親指を立てて、互いに笑い合った。

雲の上にある、乾いた町の乾いた空気を目一杯吸いながら、そこで暮らす素朴で陽気な人々。ラ・パスは、その町並みこそ、美しいとは言えず、これといった見所もないのかもしれない。だけれど、いや、だからこそ、僕には、人との触れ合いが印象的な町となった。

Follow Us
  • Facebook - Black Circle
  • Facebook - Black Circle
Recent Posts
Search By Tags
まだタグはありません。
bottom of page