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tranquilo - Peru vol.6 -


クスコに戻ってきた。この町には、旅行者の求める全てがあると言っても過言ではない思う。安宿から高級ホテルまで、それぞれの懐事情によって選べる無数の宿。レストランは、ペルー料理を出す店から、洋食、日本食、果てはイスラエル料理店なるものまで幅広く、インカ帝国時代とスペイン植民地時代を、絶妙なバランスでミックスさせた、美しい景観。町の市場は、いつ行っても活気があり、旅行者を現地の世界に引き込んでくれる。治安についても、日本のように安全ということはないけれど、こと中心部に関しては警官の人数も多く、リマのような殺伐とした雰囲気を感じることはなかった。国を挙げて、クスコという貴重な外貨獲得に適した土地を守ろうとする姿勢が伺える。

少し手を伸ばせば届く範囲に、あらゆるものが揃っている。実に居心地の良い場所だ。だから、クスコから帰ってきた僕は、1日、また1に日と無為にこの町に滞在することになる。無為にとは、少し語弊のある言い方かもしれない。セントロの広場から網の目のように張り巡っている細い路地を歩いて、見たこともない道を発見するのは、いつでも楽しかったし、滞在期間中には、グアテマラのアンティグアで見たセマナサンタ、つまり、キリストの復活祭に似たような祭りが催されて、大勢の人が、大きなキリストの像や、棺を神輿のように担いで練り歩くという祭りも見ることができた。

とりわけ僕が一番気に入っていたのは、夜間、乾いた空気の中で、暖かな光に包まれたセントロの公園や教会を見ながらベンチの腰掛けて、ボーッと時間を過ごすことだった。夕刻、日が西の空へ吸い込まれ始めると、セントロの周辺に腰を下ろして、一人で物思いに耽ったり、友人や恋人とおしゃべりをする。これは、今まで通過してきた中南米諸国のどの国でも、例外なく目にしてきた光景だった。そして、その行為が、もしかすると、ラテンの血が流れる人々にとって、ものすごく大事なことなのではないか。そうな風に思えてきた。ゆっくりと、穏やかな時間を過ごす。それは、簡単なことのようで、実はすごく難しい。

余談だけれど、先程の話を裏付けるように、スペイン語にはトランキーロ(tranquilo)という単語がある。直訳すると、「穏やか」だとか、「落ち着いている」という意味なのだけど、こっちの人は、どこかしこでこの単語を口にする。この国をどう思う?トランキーロ。この町はどうだ?トランキーロ。ラテンの女はいいだろう?トランキーロ。恐らく、「すごく良い」や、もっと広い範囲で言えば、「幸せ」というような意味でも使っているのだ。もともとの意味から察するに、彼らにとって、穏やかであることが、ある種の美徳であり、日々の生活の中で大切にしていることの一つなのだろう。そんな、トランキーロという単語の持つ意味の大きさを知った時、僕は、ラテンアメリカの人々を、今までよりも愛おしく感じるようになった。トランキーロ、トランキーロ。なんて甘美な言葉の響きなのだろう。

クスコでの滞在期間中、いや、ペルーに滞在していたほとんどの期間、僕の傍らには、インカコーラの黄色い液体の入ったペットボトルがあった。スーパーマーケットでもはもちろん、どんな小さな商店でも買うことができたし、最初は、ペルーに来たんだという事実を、自分の中で日々確認する為に飲んでいた節があるのだけど、次第に、その稀有な味の虜になっていた。人工的な甘さを携えた鮮やかな黄色が、ここクスコでは、なんだか神々しい黄金色にも見えてくる。そろそろ、次の場所へ行くべきか。クスコは、確かに素晴らしい場所だけれど、それが、それだけが、ここにずっと留まる理由にはならなかった。

ペルーと国境を結ぶ国は、東にブラジル、南にボリビアがある。多くの場合、ペルーから南に抜けて、ボリビアへ行くのが、ほとんどの旅行者の辿るルートだ。というのも、ペルーと国境を結ぶブラジルの西側は、未だジャングルに覆われていて、町らしい町もないというのが理由だった。だから、僕も多くの人々と同様に、南へ下り、ボリビアを目指そうと思っていた。しかも、ペルーの他の都市には今後立ち寄らず、一気に国境を跨ごうと考えていたのだ。マチュピチュ、そしてクスコを堪能した僕に、もうペルーはお腹いっぱいだった。

そう思い立ち、ペルーを離れる覚悟を決めて旅行会社へボリビアへのバスチケットを買いに行くと、ペルーの地方でインディヘナがデモを起こし、奇しくも、それはクスコからボリビアまでの道中で始まってしまったらしく、ボリビア行きのバスは、しばらく見合わせだという。せっかく一大決心をして、外の世界に飛び出そうと思ったのに、その機会をあっけなく奪われる不運。しかも、わざわざ外の世界へ飛び出さなくとも、”ここ”には十分すぎる環境が整っている。次はいつ、その気になるか分からないというのに。肩すかしをくらった気分の僕は、これからどうしようかと考えた。日本人宿に戻って、共有スペースでぼんやりしていると、数人のグループが慌ただしく帰ってきた。聞くと、サンフランシスコ村という所に数日滞在してきたという。その村の名前は、リマでも聞いたことがあった。クスコから西、アマゾンの中にあるというその村では、アヤワスカという、聖なる飲料を飲むことができるという。元々、アマゾンに暮らす先住民は、精霊信仰すなわちシャーマニズムを信仰していて、大事な儀式の際に、数種の薬草をブレンドして液状に加工した、アヤワスカが使用されていたという。一説には、それを飲むことで、ビジョンと言われる未来の世界を見ることができるとか、異世界へトリップできるだとか、その類の噂には事欠かない。

今まさにサンフランシスコ村から帰ってきた人達に話を聞くと、クスコからバスを乗り継ぎ、川を越え、ジャングルの中を移動し、数十時間かけて、やっとのことでサンフランシスコ村に辿り着いたという。しかし、すぐにアヤワスカを口にできるわけではなく、体内を浄化するために、祈祷師の指導の元、数日間の食事制限が課される。その、ほとんど断食に近い期間を乗り越えてようやく、村の集会所のような場所で、祈祷師の祈りや太鼓の演奏と共に、アヤワスカを口にすることが許されるという。本人達の話を聞くと、一人は、アヤワスカを口に含み、数分後、チェ・ゲバラが眼前に現れ、葉巻かタバコのようなものを差し出しきたと言い、別の一人は、アヤワスカを飲んだら気持ち悪くなってしまい、急いでトイレに駆け込み、便器の中の水に顔を近づけた途端、中の水が宇宙に見え、その中へ吸い込まれそうになったと言う。その一連の話を聞くと、ドラッグによる幻覚なのでは?と、アヤワスカの持つ神秘的なイメージを真っ向から否定しかねない気持ちに駆られたけれど、すぐに胸にしまいこんだ。どちらにせよ、その体験談は、好奇心をくすぐるに十分すぎるものだったからだ。もし、ボリビア行きのバスが長期間運転を見合わせるようであれば、サンフランシスコ村へ行くのもありだなと思った。

翌日、クスコで何事もなくのんびりと過ごし、そのまた翌日旅行会社へ行くと、ボリビア行きのバスが運転を再開したという。どうやら、アヤワスカで異世界を垣間見ることは、叶わずにペルーを去ることになりそうだ。そんな、流れに身を任せるような行動が、いかにも旅をしているようで、なんだか心地良かった。流れに身を任せることもまた、トランキーロ。その言葉を呟くと、不思議とすべてが肯定されたような気分になる。僕は明日の朝、ボリビアへと旅立つ。さよならインカ帝国の都、黄金のインカコーラ。トランキーロ、トランキーロ。呪文のようにその言葉を唱えながら、肌寒いクスコでの最後の夜は更けてゆく。

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