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白と水色の国 - Argentina - Vol.1

ボリビア側の国境を抜けて、僕を乗せたバスは、ひたすらに真っすぐ伸びる国道を突き進む。両脇を囲む大草原の片隅に、風になびく白と水色の国旗が、小さく、しかしはっきりと視界に飛び込んできた。「ああ、とうとう、この国に来た」僕は、アルゼンチンに来た。そう、僕は白と水色の国にやって来た。飛び跳ねたいような嬉しさと、ここに来た現実をにわかに信じられない気持ちが、心の中に同居していた。 アルゼンチンに入国したのは、日差しの温かい冬の早朝だった。しかも、幸運なことに、南米大陸における4年に一度の祭典であるコパ・アメリカ(サッカー南米選手権)を目の当たりにするチャンスを得ようとしていた。そう、今回の開催国は、ここアルゼンチンだ。ブラジルと双璧をなす、南米、いや、世界屈指のサッカー大国アルゼンチン。まさか自分が、こんな世界の裏側に来ることになるなんて、にわかに信じられなかった。 人よりも、牛の方が多いとも言われている、草原の国アルゼンチンの国道は、真っすぐな、本当に真っすぐな道が、大草原の真ん中を突っ切って延々と伸びている。このままどこまでも続いていきそうな、ひたすらに長い道。あまりにも真っすぐ過ぎて、世界の果てまでも行ってしまうのではないか。綺麗に舗装された轍もない車道を見ていると、不意に、そんな気持ちが胸をよぎった。真っ平らで遮るものもなく、人間が造ったものとは思えない一本道。こんなにも真っすぐな心を持った人間は、多分存在しなくて、多くの場合、その心は邪念や雑念で溢れているものだ。しかし、その道を車窓からジーッと見つめていると、ぱっと見ただけでは分からない小さなデコボコや、小石があることに気付く。僅かながらも、人間の心のようなに起伏があるその道を見て、「ああ、やっぱりこの道は人間が造ったものだ」と妙に安心したのを覚えている。同時に、アルゼンチンという未知の国に対する警戒心が和らいでいった。 アルゼンチンに入国して、最初の町であるフフイ。インディヘナ色の濃いエクアドル、ペルー、ボリビアを渡り歩いてきた僕の目には、おそらくアルゼンチンの中でも、恐ろしく田舎であろうこの町でさえ、とても洗練されているように感じた。まず新鮮だったのが、道ゆく人々の多くが、まるでヨーロピアンのような白人だったことだ。歩いている人の人種が変わるだけで、同じような街並みが、こうも違って見えるものなのか。 フフイという小さな町の小さな宿は、しかし、コパアメリカの期間中ということもあってか、多くの宿泊客で賑わっていた。夕刻、受付の前にある小さなテレビの前に、人だかりができる。アルゼンチン対コロンビアのグループリーグ第2戦が放送されていたのだ。開催国ということもあり、ボリビア、コスタリカ、コロンビアと、比較的恵まれたグループに入ったアルゼンチンは、しかし、第1節のボリビア戦で、力の劣る相手にまさかのドロー。絶対に負けられない第2戦の相手は、グループ内では最も力のある相手、コロンビアだ。自国開催のオープニングゲームで国民に勝利をプレゼントすることのできなかった選手たちは、白と水色の縦縞を身に纏い、試合開始直後から、猛然とコロンビア陣内に攻め込んでいく。そして、いともたやすく幾つかの決定機を生み出すけれど、なかなかゴールネットを揺らすことができない。それでも、テレビの前で試合に釘付けになっていた僕を含む宿泊客や、受付のおばさんは、ブランコ・イ・セレステの勝利を信じて疑わなかった。だって、その美しいユニフォームを汗で濡らしていたのは、リオルネ・メッシやクン・アグエロ、カルロス・テベスにゴンサロ・イグアイン、ガゴ、マスチェラーノ、ブルディッソ、、、、一人でのいいから日本に帰化してくれれば!と願うような、世界に名だたる名手達だったのだから。

ハーフタイム。0-0のまま前半を折り返し、僕は近くの商店にアルコールを買いに出かけた。その古びた店に置いてあった、水色のカクテルベースの酒を買い、アルゼンチンの勝利を願いながら、その水色を体内に流し込む。酔いが廻るにごとに、試合に残り時間は短くなっていく。負けでも引き分けでもなく、勝利のみを約束された選手達の顔は、疲労と焦りで曇りはじめていた。僕の隣でおとなしく観戦していた青年が、首を何度も大きく横に振り、肩をすくめて、受付のおばさんは、険しい顔で、何事かを呟いた。同時に0-0のまま、試合終了のホイッスルが吹かれた。試合に勝利すると、たくさんの、本当にたくさんの紙吹雪が、観客席からピッチに舞うというアルゼンチン。しかし、今宵、白と水色の紙吹雪を見ることは叶わなかった。試合後、水色のネクタイをバッチリと決めてインタビューに応じていたバティスタの顔は、明らかに困憊していた。ブラジルでは、代表監督の仕事は、大統領よりもストレスが多いというのは有名な話だけれど、アルゼンチンにおいても、それは同じなのかもしれない。

試合の後、人のまばらになったロビーで、一人の男性が声をかけてきた。ずんぐりとした体型で無精髭を生やした、憎めない顔の三枚目は、携帯電話の充電に使うコンセントがなくて困っているという。どう見ても外国人の僕が、アルゼンチンで販売されている携帯のコンセントを持っているはずもなく、残念ながら、彼の期待に応えることはできなかった。しかし、その後も彼はベラベラとなにやら話し続け、その大半は理解できなかったけれど、いくつか分かったことがある。まず、彼は、仕事か観光か分からないけれど、アルゼンチン国内のいくつかの町を移動している最中であること。次に、国内リーグの名門であるボカ・ジュニアーズのサポーターで、中でも、マルティン・パレルモという往年に名ストライカーが大好きだということだ。ボカは首都ブエノス・アイレスを本拠地とするクラブだけれど、そのサポーターは、「アルゼンチン国民の50パーセントより1人多い」と言われるほど、各地に多くのファンを持つ。日本で言えば、野球の巨人軍のようなイメージだろうか。だから、ブエノス・アイレスから遠く離れたここフフイで、ボカサポーターに会ったとしても、なんら不思議ではない。 そして、彼の愛するマルティン・パレルモ。僕もその名前ぐらいは知っていた。長年ボカでプレーし、クラブの象徴的な存在として名を馳せた、しかし、ことアルゼンチン代表とは相性が悪く、主要大会での招集は、コパ・アメリカとワールドカップが1回ずつ。どこの国にもいる、実力はあれど、代表とは縁薄い選手の典型だ。そんなところも、サポーターとしては、応援したくなる一因なのかもしれない。 彼のボカ、そして、マルティン・パレルモに対する愛情は凄まじく、それは、情熱という言葉の方がしっくりくるほど、熱を帯びていた。とにかく、パレルモはすごいんだ。一方的に話した後、彼は部屋に戻り、一冊の雑誌を持って戻って来た。その表紙には、ゴールを決めた後、雄叫びをあげるパレルモの姿が、アップで映し出されている。興奮がこちらまで伝わってきそうな、生々しく、激しい写真だった。雑誌のページをめくりながら、その一枚一枚を、かれが興奮気味に説明してくれる。相変わらずそのほとんどは理解できなかったけれど、いつ、どこが相手の試合で、パレルモがどのようにしてゴールを決めたのかを説明してくれているらしい。何ページ目かの説明が終わった後、彼が雑誌を渡してくれたので、パラパラとページをめくってみて驚いた。全ページの全記事が、全てパレルモに関することだったのだ。 これもパレルモ、あれもパレルモ。ため息をつきながら、あるページの写真を指差し、「これもパレルモ?」と彼に聞くと、ニヤリとした笑みを浮かべて、「マルティンのことか?」と聞き返された。マルティン・パレルモ。そう、ファーストネームはマルティンだ。まるで友人のようにスター選手をそう呼ぶ彼を、可笑しくなって僕は笑ったけれど、しかし、フットボールに対する情熱に満ちたその態度が羨ましくもあった。一通り「マルティン」の自慢話をしてすこぶる上機嫌になった彼は、別れ際に、自らが被っていたニット帽をくれた。耳まで隠れるカバーの付いた、可愛らしいニット帽を見る度に、ニヤリとした彼の顔と、雄叫びをあげるマルティン・パレルモを思い出す。世界で一番情熱的だと言われるアルゼンチンサッカー。フフイは、その情熱への入り口だった。

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