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白い湖 - Bolivia vol.2 -


ラ・パスの長距離バスターミナルは、標高の高い町の、さらに小高い丘の上にある。ペルーと同じくバス文化の発達しているこの国では、首都であるラ・パスを起点にして、地方都市や近隣諸国へ運行しているバス会社が、日々凌ぎを削っている。それを象徴するかのように、小高い丘の上のバスターミナルは、大きな市場のように各バス会社のカウンターが軒を連ね、活気とともに、これから旅立つ者の期待と、旅を終えし者の安堵感とが入り混じっていた。空港なんかでもそうなのだけど、僕は、そういった人々の非日常的な感情が入り混じる雰囲気が好きだ。出発までの緊張感、到着したての開放感、出会い、別れ、喜び、涙。混ざり合う感情が、大きなエネルギーの塊となってバスターミナルに渦巻き、そこに生気を与えている。

そうか。人が行き来し、使われてこそ、これらの建造物は「生」を与えられるのか。ともすれば、これらの建造物が「死」する時というのは、それは物質的な損傷ではなく、使用する人が潰えた時なのかもしれない。各バス会社のカウンターから聞こえる威勢のいい呼び込みの声を聞いて、ラ・パスの、大きいけれど、しかし南米の貧国らしい粗末な造りのバスターミナルもまた、まだまだ「死」する気配はないことに、心の中でニヤリとした。

それにしても、ボリビアのバスの揺れは、今まで経験したことがないほど凄まじかった。それには、首都であるラ・パスをを除くと、ほとんど舗装が行き届いていない道路の他にも、バス本体に原因があるような気がする。時折激しく揺れるその揺れ方が、横揺れではなく、縦揺れだったからだ。タイヤが悪いのかエンジンが悪いのか、その両方なのかは分からないけれど、車内が縦に大きく揺れる時、一瞬、自分の体が座席から浮き上がる。ウトウトしていても起こされてしまうし、おちおち考え事もしていられない。慣れるとそんなに驚きはないのだけど、最初は身の危険を感じた程だ。長距離バス網は発達していても、こういった面での不自由さに、隣国であるペルーとの経済格差を感じずにはいられなかった。

実際、ボリビアという国名を知っている日本人は、そんなにいないのだろうと思う。この大陸のお家芸でもあるサッカーでは、過去から現在において南米最弱の名を保持しているし、観光といえば、唯一にして最大のウユニ塩湖を除けば、こじんまりとしたものばかりで、外貨獲得に期待はできない。リチウムなどの地下資源は豊富らしのだが、それを開発する技術力および資金が不足しているため、多くの富を外国資本に奪われるという悲しい現実もある。南米諸国をスペインから独立させた、解放者シモン・ボリバルの栄誉ある名を国名に冠するこの国は、しかし、現在のところ、真に解放されているとは言い難い。

そして、僕がボリビアで訪れたのは、ラ・パスとウユニ塩湖の2ヶ所だけだった。ラ・パスの安宿で出会った日本人と話が盛り上がり、数名で夜行バスを使い、縦揺れの激しいバスに揺られながらウユニを目指した。もっとも、明け方到着する頃には、すっかりその揺れにも慣れてしまっていたのだけど。もし次の国でバスに乗ったなら、その快適さにもの足りなく感じるのだろうか。慣れというのは、良いのか悪いのか、分からなくなることが時々ある。

バスでウユニへ向かう途中、夜中の12時を回る少し前だろうか、休憩の為にバスは小さな町の広場に停車した。広場と言っても、それは見すぼらしい民家のが立ち並ぶ通りの中央に、馬に跨った勇ましい男性の銅像がポツンと立っているだけだ。黄色い電灯が、ゆらゆらと揺れる裸電球のように頼り気ない光を放ちながら、町の貧しさをより一層と引き立てていた。

町の風景を見て、これほどまで悲しい気分になったことは、今までない。それは、民家や銅像がくたびれていたからではなく、真夜中だったからという訳でもない気がする。その町には、生気が全くといっていいほどなかったのだ。おそらく、人が全く暮らしていないということはないのだろうが、荒涼とした、無機質なその町並みは、そこに住む人々の心の中を写しているようだった。貧しく、波風のない生活。前述したラ・パスのバスターミナルのように、人間の感情に振り回されることによって、建造物に命が宿るのだとすれば、この町は、もうすぐ死んでしまうのではないか。僕が感じたのは、そんな類の悲しみだった。できれば、昼間の姿も見てみたい。一瞬そう思ったが、そうすることで予感が確信に変わりそうで恐ろしかった。窮屈なバスの中で縮こまった身体を、物憂気な星空に向かって大きく伸ばすと、僕は急いでバスに乗り込んだ。

ウユニ塩湖を観光する拠点であるウユニ村もまた、生命感の乏しい場所だった。10000平方メートルにもおよぶ広大な塩の湖は、国内外から多くの人が集まる観光スポットだ。特筆すべきは、雨季と乾季とで、その表情が180度変わるという点であり、多くの旅行雑誌に掲載されているウユニの写真は、そのほとんどが雨季のものだ。真っ平らな塩の湖に、空から降る雨粒が均一に貼りついて、薄い水溜りをつくる。それは、クリスタルのように透明感溢れたフィルターで、まるで鏡のように空の表情を、そのまま地表に映し出す。神秘的な夕陽や、満点の星空、天と地がひっくり返ったような非日常的な空間。それを体験した誰もが、感動の二文字を心に刻むという。

しかし悲しいかな、僕達がその塩の湖に降り立ったのは、雨季とは対極をなす乾季の真っ只中だった。そのせいもあるのだろうか。荒涼とした乾いた大地に、冷たい風が音を立てて通り抜けるこの村には、その規模に反して、観光客向けの宿やレストランが異様に多いのだけど、そのほとんどは開店休業中で、閑散としていた。

一体全体、ウユニ塩湖がなければ、この村はどうなっていたのだろう。観光地を訪れた時に感じる、普段なら敬遠するはずの人工的な雰囲気を感じることもなく、逆にそれが寂しいような気もするのだから、不思議なものだ。町の中心から思い切って走り出せば、すぐに何もない荒野に出てしまう。燻んだ水色をした空から、黄土色の太陽が力ない輝きを放っている。辺りを見渡して驚いた。こんな何もない場所にも、ポツンポツンと家々が立っていたのだ。土地柄か、それは藁葺き小屋ではなく、石で造られていたが、吹きさらしにされた外壁が、白っぽく変色しているのを見て、その貧しさは容易に見て取れた。ウユニ村も、この近辺の家々も、観光業か塩を主とした製造業に従事し、生活の糧にしているのは間違いない。僕が、この村で感じた生命力の欠落は、そんな生活のための生活によって、彩りのない暮らしをしている人々の心情が、土地全体にこびり付いていたからかもしれない。

しかし、何はどうあれ、ここは南米でも指折りの景観で名高いウユニ塩湖。それは、オフシーズンの乾季といえども、その異世界ぶりは圧巻だった。高低差がなく、地平線の果てまで続く広大な塩の湖は、漂白剤に漬け込んだように真新しく白い輝きを放っている。360度どこを見てもそんな調子だから、僕はすぐに方向感覚を失った。これがツアーでなかったら、永遠に白い砂漠を彷徨っていたかもしれない。ウユニ村では頼りない光を放っていた太陽も、ここでは生き生きとしている。黄金色の熱が、白い地面に力いっぱい降り注ぎ、その反射光が目に突き刺さる。白という色がこんなにも眩しく力強いことを、僕は、この地で初めて知った。

ツアーの途中、白い湖の中にポツンと佇む、サボテンの島があった。もちろん、それは島などではなく、サボテンが密集しているだけなのだが、一面真っ白な世界にあって、その存在感は異質そのものだ。近くに行くと思ったよりも広いその島では、サボテンと岩とが同じ敷地内に肩を並べるようにして共存していた。手ごろな岩によじ登って、少し高い目線から塩湖を眺める。相変わらずの力強いその白さに負けて、思わず目を閉じると、そこは静寂の世界だった。それは、単に耳に入る音がないというだけではなく、心も頭の中も、無心の状態だったのだ。広大な白い大地の中に、小さな自分だけがポツンと存在している感覚。不思議と孤独感はなく、ささやかながらも満ち足りた暖かさが、そこにはあった。ウユニの白は、その眩しさで視界を遮るほど力強く、そして時に優しい。

なんだか、塩の白さに夢を見ていたかような不思議な体験をした後、ウユニ村へ戻った僕達は、相変わらずの町並みに、否応なく現実に引き戻された。唯一救いだったのは、夕方、レストランや商店が立ち並ぶ町の中心付近で、汚れたサッカーボールを追いかける子供の目に、小さな光が見えたことだ。無邪気にボール遊びに興じる少年達には屈託がなく、その分、彼らの行く末が心配にもなった。近くのレストランで、到底イタリア人は口にできないであろうピザとパスタを平らげて、これから目指す土地に想いを馳せた。このまま南下すれば、次はいよいよアルゼンチンだ。先刻、少年達が追いかけていたサッカーボールが、ふと脳裏をよぎる、アルゼンチン。アルゼンチンかあ。白と水色の国旗が、はっきりと瞼に浮かんだ。

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