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プロウディフ旧市街観光記 - Bulgaria vol.3 -


純粋に、観光について。多くの場合、旅や旅行における最大の目的は、観光であると思う。この僕も、他聞に漏れず、フラフラとした旅の中で、その作業をサボりながらもこなしていた。ブルガリアの旅におけるそれは、プロウディフの旧市街ということになる。

寂れた集合住宅が立ち並び、過ぎ去りし社会主義時代の面影を残す、モノクロ調の新市街から、プロウディフ観光のメインである旧市街までは、タクシーで15分程だった。運転手に旧市街までとだけ伝えておくと、大きな教会の前で降ろされた。その教会は、年季が入っおり、しかし、それでいて古びた感じはなく、ずっしりとした重厚感があり、この町のすべてを見続けてきたかのように、悠然と鎮座していた。ここから、旧市街観光がスタートした。

特にガイドブックも持っていなかったので、あてもなく、フラフラと気の向くままに歩くことにした。町の構造は、中心に道幅の広い商店街のような目抜き通りがあり、その周りがローマ時代のお面影をそのまま残す、観光地区のようだった。あくまでも、僕の歩いた感覚になるが。

誰もが感じることだろうが、旧市街の観光地区に一歩足を踏み入れると、まるでタイムスリップしたような感覚に陥る。不揃いな石が、無造作に、それでいて計算されたように、美しく敷き詰められている、石畳の道。所々、その石と石の間に雪が残り、それが、高貴な雰囲気をより一層高めている。細い路地に入れば、両脇を高い石畳の塀に囲まれ、もしかすると、この空間から抜け出せないのかもしれないと思う程、時代が逆行していくようだった。

このような観光名所にあっても、ブルガリア人の寡黙な気質は健在のようで、観光地にありがちな、土産物屋の押し売りも、英語を駆使し、旅行者を騙そうとする輩もいなかった。そのため、ゆっくりと、観光だけに集中できたのは、嬉しい誤算だった。

前日にインターネットで調べたところによると、観光の一番の目玉は、円形競技場らしかった。いわゆる、コロシアムというやつだ。それが、ローマ時代のまま残っているらしい。石畳の道を、ゆっくりと、歴史を噛み締めるように歩いていると、円形競技場には、すぐに辿り着けた。入り口を探していると、看守のような男が、どこからかやってきた。入場料を払えという。値段は忘れたが、町一番の観光名所にしては、安いと感じたのを覚えている。入場料を支払うと、入り口にある、腰の高さ程の粗末なチェーンを、片手でひょいと上げてくれ、僕は屈みながら、中に入った。

時期的に観光客が少ないのか、いつでもこうなのかは分からないが、見物客は僕を入れて数組しかおらず、しかも、僕以外は、全員ブルガリア人のようだった。見物と言っても、特に見るものもなく、当時のまま残された競技場を、スタンド上部から眺め、あるいは、下まで降りて行き、競技場のの中をウロウロと歩き、その雰囲気を味わうというだけだった。

そんな中、一組のカップルが、スタンドから、下方の競技場をじっと見つめていた。おそらく、ブルガリア人だろう。言葉を交わすわけでもなく、寄り添いながら、ただ、ずっと、競技場を見つめていた。表情を見たわけではないが、その背中からは、暖かな微笑が感じられた。この競技場が紡いできたであろう、幾多の歴史、その栄光や重みを、心と体一杯に受けとめて、朗らかに背中を並べるそのカップルを見て、「見る」という言葉の、本当の意味を知ったように思った。そのカップルは、この円形競技場の雰囲気を「見て」いたのだ。雰囲気を感じ、その世界に浸り、その奥側を見ようとする。美術展などで、作品をじっと見つめ、それが生まれた背景や、作家の意思などを汲み取ろうとする作業に、なんとなく似ているのかもしれないと思った。

目抜き通りに戻り、あてもなく歩く。脇道に、くねった階段を見つけた。登ってみる。思っていたよりも長いようだ。数分、クネクネとした道を登り続ける。所々、石でできた階段が剥がれ、土がむき出しになっている所もあった。登り終わると、そこは、プロウディフの町が見渡せる、展望台のような場所だった。ローマ時代に、軍事的な何かでもあったのだろうか、崩れ落ちた砦のような石造りの建物もあった。なごり雪のグラデーションを身にまとった旧市街の町並は、どこか悲しげで、壮観さと歴史を感じさせた。歴史を感じるから悲しいのか、悲しいからこの町の歴史に思いを馳せるのかはわからなかったが。

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