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シリアへの道 - Turkey return vol.1 -


帰りの飛行機はシリア発だったので、一度トルコに戻り、そこからシリアに行かなければならなかった。なぜ、シリアからにしたのかと言うと、僕はずっと、「中東」という地域の持つ、ただならぬ魅力に取り付かれていた。具体的に何かと言われると答えに詰まったが、イスラム教を軸とする、中東地域の人々の生活は、先進国とも途上国とも違う、何か、そういった枠組みを超越した、特別なものがあるように思えてならなかった。そんな思いがあり、トルコもイスラム教の国だが、より「中東」という地域を濃く感じられるであろう、シリアにまで足を延ばすことにしたのだった。

プロウディフからスヴィレングラッドに戻り、そこからエディルネに戻り、その時は、もう夜になっていた。もし、今夜、イスタンブールに戻るバスがなければ、エディルネに一泊することになる。そうすれば、イスマイル達にまた会えるかもしれない。淡い期待を抱きながら、チケットカウンターで確認すると、まだイスタンブール行きの便はあるという。そんなことは関係なしに、もう一度この町に立ち寄っても良かったが、こんなに早く、みんなと再会してはもったいないと思ってしまい、イスタンブール行きのバスチケットを購入した。もし、何年後か何十年後か、僕がまたエディルネを訪れた時に再会できれば、それは、本当に幸せなことだと思う。「今はまだ……」の気持ちが、この時は強かった。

イスタンブールに戻り、そこで二泊ほどしてから、シリア国境近くのアンタキヤという町までは、バスで16時間程ということだった。なかなかの長旅だ。しかし、こうして今思い返してみると、こんなに長い時間バスに揺られていたにも関わらず、この道中の記憶というのが、全くと言っていい程ないのだ。エディルネでの出来事が印象的すぎて、無意識の内に、もう、トルコにそれ以上のことは望んでいなかったのかもしれない。

アンタキヤは、本当に小さく、寂れた田舎町だった。到着したのは夕方で、このままバスを乗り換えてシリアに入ることも出来るには出来たが、どうせならという欲が出てしまい、一泊することにした。翌朝、朝の光を浴びたアンタキヤの町は、しかし、何もない町だったが、バスで30~40分の所にサランダーという名の、海沿いの小さな町があるという。宿に荷物を置いたまま、日帰りでサランダーに出かけることにした。サランダーまでのバスを探しに、町をウロウロしていると、やけに細い路地が多いことに気付く。路地から路地へ道は繋がり続け、気が付くと、知らない場所に出ていることもよくあった。路地では、子供が遊んでいたり、女性が洗濯をしていたり、人々の生活が垣間見えた。町を歩く人々の顔は、イスタンブールよりも、どことなくアラブ色が強いように感じた。よくテレビや新聞で見かける、恰幅の良い体に真っ白な民族衣装をまとい、頭にターバンを巻いていそうな、髭を生やした顔の濃いアラブ人を彷彿とさせる。シリアの国境が近いこともあり、シリア人か流入しているのか、もしくは混血が進んでいるのかは分らなかったが、そんな顔をした男性を、チラホラ見かけた。

バス停を見つけ、そこに並んでいる中年の男性に、ここに停車するバスがサランダーまで行くか否かを訪ねると、僕の二の腕当りに腕を絡ませ、腕を組む形にしてから、少し強引に僕の体を引っ張るようにして、目の前の道路を横切り、反対側に連れて行った。程なくして、バスが停車すると、運転手に、

「サランダーまで行きたいらしいんだ、よろしく頼むよ」

といった調子で声をかけ、さあ乗りなさいというように、目の前のバスを指差した。お礼を言うと、特に笑顔を見せる訳でもなく、まるで、それが当たり前だというような誇らしげな態度で深く頷き、軽く手を上げた。そのままバスに乗り込み、僕は、こんなにも強引で、それでいて恩着せがましくない親切というのは、今まで味わったことがなく、エディルネの一件に加え、トルコ人のホスピタリティの高さに、感動を覚えていた。

サランダーは、町というか、海沿いにレストランや小さな商店が立ち並ぶ、おそらくは、近隣のトルコ人にとっては、メジャーな観光地のようだった。立ち寄ったレストランで、ビールを飲んでいると、店の奥から、大柄のギョロッとした目つきの中年男性が姿を現した。僕を見て、日本人だとすぐに分かったのだろう、

「こんにちは」と日本語で挨拶をしてきた。

彼は、自分の身の内を、誰に聞かれるともなく、淡々と話し始めた。

「昔、山梨県の会社で働いていた。そこでお金を貯めて、この店を開いた。また日本に行きたいが、ビザをとるのが大変だ。そうだ、私が働いていた山梨の会社の社長の電話番号を教えるから、電話するといい」

と言って、山梨の社長の連絡先までよこしてきた。彼にとって、日本は、まるで夢の国か何かのような、そんな話し振りだった。もう二度と行くことはないであろう日本を、遠い目をして話す彼を見て、自分はなんて自由なのだろうと、申し訳ない気持ちになった。

アンタキヤに戻った頃には、もうすっかり日は暮れていた。宿の近くには、街灯も少なく、閑散とした町並がより強調されている。宿の一階部分には、簡単なロビーのような場所があり、小さなテレビは備え付けられていた。ビールを飲みながらボーッとしていると、近くに座っていた、おそらくトルコ人であろう中年男性が、人一人がやっと座れる程の大きさのランチョンマットを、鞄の中から取り出した。一体何をするのかと見ていると、彼は、それを床に広げ、その上に正座をした。そして、両手を床に付け、床に付くか付かないか位まで頭を下げ、その後、すぐに頭を上げて何かを呟く。その動作を何回も繰り返していた。ふと、テレビに目をやると、画面の中心に、黒く四角いものが写っている。その周りには、尋常ではない人だかりができていた。日本人の僕でもすぐに分かった。メッカだ。今は、夜の礼拝の時間だったのだ。今まで、モスクの中で祈りを捧げる人はたくさん見てきたが、このような場所で見たのは初めてだ。汚い宿の床の上で、黙々と祈りを捧げるその姿を見て、僕は、ただただ感心するというか、神々しさすら覚えていた。中東が、シリアが、もう目の前まできていることを、実感させられた夜の出来事だった。

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