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砂漠の夕日 - Syria vol.2 -


砂漠の中の世界遺産。ダマスカス近郊の有名な観光地の一つに、パルミラ遺跡がある。ダマスカス滞在のタイムリミットが迫っていた僕は、柄にもなく、早め早めに予定を立てていた。このパルミラ遺跡に行くことは、ダマスカスに着いた時から、何となく決めていたことだ。

ダマスカスから、パルミラ遺跡に行くには、まず、宿の近くのバスターミナルから、ガラージュ・ハラスターと呼ばれる、地方への中長距離バスが発着している大型ターミナルまで移動しなくてはならない。バスに乗る際、当然、運転手にお金を払うのだが、僕は、まだシリアの通過「ポンド」に慣れていなく、お金を運転手の男性に差し出すまでに、時間がかかってしまう。髭を蓄えた中年の運転手は、ニコリともせずに、乗車値段を連呼する。僕は、手の平に数枚のコインをのせて、これでいのかと言うように、運転手の顔を見る。すると、どうやら違っていたらしく、僕の手のひらから数枚のコインをかっさらうと、これでOKだという顔をした。そんな運転手の態度は、髭を蓄えていることもあり、少々威圧的に感じられた。乗車賃を払い終え、どこに座ろうか考えていると、さっきの運転手は僕の方を振り返り、空いている席を指差し、「マイフレンド」と言って、そこの席に座るように促してくれた。表情は相変わらず固いままだ。しかし、彼の優しさは十分に伝わった。このぶっきらぼうな親切心が、シリア人男性の特徴なのかもしれない。

乗り込んだのは公共バスなので、乗客は全員シリア人だ。古都ダマスカスの朝。これから、仕事に向かう人もいるだろう。これから、遊びに出かける人もいるだろう。男性の多くは口と顎にひげを蓄え、彫りの深いの顔は威厳に満ちている。女性はモノトーン色のスカーフで頭部を覆い隠し、そのスカーフの隙間から、イスラム教徒特有の、意思を感じさせる瞳を覗かせる。なんてことはない、日常の光景だ。そんな日常も、僕にとっては多いに非日常であって、そのギャップを感じられているうちは、これ程までに楽しいことはない。

ガラージュ・ハラスターは、活気に満ちていた。いくつものバス会社が軒を連ね、半開きのオフィスからは、客引きの男達がアラビア語でバスの行き先を叫んでいる。そんなだから、パルミラ行きのバスチケットを購入するのに、さほど時間はかからなかった。呼び込みの男に、どこに行きたいのかを聞かれ、行き先を告げると、適当なバス会社のチケットカウンターに案内してくれる。そこでも事はスムーズに進む。行き先を聞かれ、それに答えるだけだ。所狭しとアラビア文字が書き込まれているチケットを片手に、発着場でバスを待った。

僕は、この一連のやり取りを、旅が終わった今でも、鮮明にとまではいかないが、所々、はっきりと覚えている。その時の情景から、空気の色、町の雰囲気、途切れ途切れではあるけれど、記憶が呼び覚まされていく。それは、もしかすると、僕がその国の言葉を解せないことに起因しているのかもしれなかった。言葉が分からない分、聴覚以外の機能が敏感になり、それによって、普段は気にも留めないようなことが、脳内に刻み込まれるのだろう。何かを一つ失えば、代わりの何かを手にすることができる。人間の身体の機能は、良くできたものだ。

パルミラ遺跡は、バスで走ること約3時間。ダマスカスの活気が嘘のような砂漠の真ん中にある。僕は今まで、砂漠というものを見たことがなかった。砂漠と聞くと、サラサラとした細かい砂が、ヒューと風に流されて宙を舞う。柔らかい砂に足を取られながら歩を進め、目指すは砂埃の中に微かに浮かぶ緑のオアシス。ふと横に目をやると、そこには我が物顔で飄々と砂漠を横切るラクダの隊商。と、まあこんな所だ。

しかし、ここパルミラ遺跡は、砂漠とは言っても、僕のイメージとは違っていて、砂の粒子は粗く、砂が風に流されてもヒューではなく、ゴーッという感じで、当然砂は固いので、歩いていても足を取られることもない。ラクダはいるにはいるが、長旅を経て辿り着いた隊商ではなく、衣装を着せられた、観光客向けのものだった。そんな全くイメージにそぐわない砂漠だったが、遺跡そのものは、世界遺産だけあって、さすがに圧巻だった。

パルミラ遺跡の敷地は広大で、ゆっくりと歩いて回った。黄土色の乾いた砂漠と一体化するように、いくつもの崩れかけた神殿の柱がそびえ立つ。この、スケールの大きなローマ時代の遺跡は、元々、眩いばかりの純白であったはずだが、経年変化と砂埃で、砂漠と同じような色になっている。仮に、純白のままの綺麗な神殿を見たとしても、僕は美しいと思ったことだろう。

しかし、今、実際に見ている砂埃にまみれた崩れかけの遺跡は、純白のそれとはほど遠い代物で、長い年月が、外面的な美しさを削ぎ落してしまっていた。それでも、夕日が神殿の柱と柱の間に沈んでいくのを見て、ハッとした。単純に美しかったのもあるが、建設当初の外面的な美しさを削がれた神殿の柱が、なんとも味わい深く見えたのだ。それはまるで、長く人生を生きてきた人間が時折見せる、余裕というか懐の深さというか、人間としての熟成された魅力のようだった。彼らは、若さと引き換えに、そういったものを一つずつ得ていったのだろう。パルミラ遺跡もまたしかり。純白と引き換えに得たものは、予想以上に大きかったのではないだろうか。内面から溢れ出る、重厚な雰囲気を携えて、崩れながらも威厳を保ち、むしろその崩れが見る者に味わい深さを与え、同じ場所に堂々と立ち続けている。これからも、歳月が流れるにつれて、その魅力は増していくのだろう。

何かを失うことは、何かを得ること。何をどれだけ失っても、得たものがそれよりもほんの少しだけ多ければ、それは本当に素敵なこと。人生もまたしかり。砂漠に沈みかける夕日を見ながら、そう思った。

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