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ニューヨーク 最後の夜 - America vol.2 -

  • Ryusuke Nomura
  • 2013年9月28日
  • 読了時間: 4分

西日が空き地のフェンスの編み目に差し込み、空に紺とオレンジの絵の具が混ざり始めた頃、憧れの地を堪能した充足感を抱えて帰路のつこうと、ハーレム25丁目の駅でメトロの到着を待ってた。すると、不意に、東洋人の男性に日本語で声をかけられた。

「日本人ですか?」

その台詞から、彼が日本人ではないことは瞬間的に分かったが、いかにも日本人らしいその顔の判別に戸惑っているうちに、彼は自分のことを、少し癖のある日本語で話し始めた。

「私は中国人です。NYの大学に留学していて、日本のことも少し勉強しています。」

おそらく、第二専攻が日本文化および日本語なのだろう。ここがハーレムだということで、少し怪しいと思わなくもなかったが、彼の誠実で遠慮深そうな態度と雰囲気から、これは大丈夫だろうと判断した。日本語を流暢に話す外国人は怪しいというのは、旅先での定石なはずなのだが、彼に対しては、前述した理由に加えて、言葉には変換することのできない安心感を覚えた。こうして、僕たちは、一緒にメトロに乗ることになった。これが、デイヴィットとの出会いだった。

あれ? 中国人なのに、なぜ名前がデイヴィットなのだろう。僕が尋ねると、海外に留学している中国人は、中国名のままだと現地の人になかなか覚えてもらえないので、英語名を名乗るのだと教えてくれた。ちなみに、英語名は自分で自由に決められるとのことだ。それを聞いて、なんだか滑稽に思ってしまった。マイケル、デイヴィス、リチャード、、、etc。どんな理由をもって、彼らが英語名を決めるのかは人それぞれだろうが、いずれにせよ、ここNYには、アジア人の顔をしたマイケルやデイヴィスやリチャードが、五番街を歩いたり、セントラルパークをジョギングしたり、マンハッタン島のレストランでディナーをとったりしているのだ。まさに多民族国家。人種のサラダボール。

もし、日本で外国人が日本名を名乗ろうとすれば、こうも簡単に事は運ばないだろう。奇しくもこの時はちょうど、アメリカがリビア空爆を開始した時期と重なっていて、タイムズスクエア周辺で、空爆反対のデモが、小規模ながら行われていた。圧倒的な経済力と軍事力を背景に、大国としてのエゴがクローズアップされがちなアメリカだが、しかし、今回の件は、そんなアメリカの懐の深さというか、寛容さを垣間見ることができた。

翌朝の便で、メキシコのカンクンに飛び、待ちに待った中南米の旅のスタートラインに立つ予定だったので、泊まっていたホステルは、今日でチェックアウトし、今晩は空港で夜を明かそうと思っていた。そのことをデイヴィットに話すと、クイーンズという地域にある彼の自宅に泊まっていかないかと言ってくれた。空港に前泊する理由に、早朝の、しかも重いバックパックを背負っての移動のしんどさと、寝坊の恐れをがあった僕は、彼のありがたい提案に一瞬戸惑いはしたが、結局、厚意に甘えることにした。旅先でのこのような厚意には、甘えなければ、自分が相手を信用している場合、逆に申し訳ないのかなとも思っての選択だった。

クイーンズにある彼のアパート周辺は、中国人コミュニティ地区のようで、近辺には、割と大きな中華系スーパーもあった。そこには、もちろん中華系の食材が棚に並び、飛び交う中国語と共に、彼らが集団になった時に発せられる、特有の雑多な雰囲気が溢れていた。中国人という人種は、どこにでも自分たちの居場所をつくってしまう。しかも、ほとんど本国と遜色ないであろうレベルに。横浜しかり、バンコクしかり。その他、僕がこれから旅をする地域にも、中華街は存在するのだろう。その繁殖力と中国人としての強いアイデンティティーは、世界中のどんな人種よりも際立っていると、僕は思う。いかにも軽い感じでイングリッシュネームを名乗ったかと思えば、その実、自分が中国人だという自覚を決して忘れない。忘れないようにするために、こういった再現度の高いコミュニティをつくるのだろう。異国の地で生きる、彼らの「強さ」を再認識した。

さて、肝心のデイヴィットは、そんなイメージとは似つかわしくない、非常に物腰の柔らかい好青年だった。大学の課題が忙しく、遊ぶ暇もあまりないという、絵に描いたような真面目な学生だ。貧乏学生の彼は、家での自炊も欠かさない。夕食は、彼がつくった、中華料理だった。卵と野菜の炒め物、中華スープ、甘辛いタレの豚肉のソテー。そして、おそらく中国米なのだろう、タイ米のようなサラサラとしたご飯。久々に食べた箸を使う食事は、出来立てというタイミングも相まって、非常に美味だった。あえて聞くことはなかったが、同胞のコミュニティに守られているとはいえ、異国の地で暮らすことは、様々な苦労があるのだろう。だからこそ、「日本」というお互いの共通項があったとはいえ、見ず知らずの僕に、ここまで親切にしてくれたに違いない。

様々な場所で、色々な人が、親切に接して助けてくれた。しかし、そういったことが続くと、さも親切を受けることが当たり前にも思えてくる。今回、僕がデイヴィットととのことを書こうと思ったのは、受けた親切を忘れないためというのが、理由の一つにある。良い出会いに恵まれ、NY最後の夜は、深々と更けていった。

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