top of page

二通りのメキシコ人 - Mexico vol.2 -

次に向かったのは、パレンケというマヤ文明の遺跡の残る町だった。カンクンから夜行バスに乗って約十二、三時間。実は、この旅に出てから夜行バスに乗るのは初めてで、少し、いや、かなり緊張していた。というのも、中南米の長距離バスは、とにかく盗難が多く、トランクに預けたバックパックがナイフで切られて、金目の物だけ盗られただとか、朝、バスから降りるとバックパックごとなくなっていただとか、色々な話を聞かされていたので、緊張するのも至極自然なことだった。かといって、長距離バスを避けていては、この土地で旅をすることなど、ほぼ不可能に近く、だからこそ、早い段階で長距離バスに慣れておきたいという気持ちもあった。カメラやパソコン、それにパスポートなどの貴重品は、トランクに預けるバックパックから、小振りなデイバッグに移して膝の上に置き、常時、体から離さないようにした。

そんな緊張感のまま、バスはカンクンのターミナルを出発した。乗客は様々だったが、とりわけ目を引いたのは、数組の大きな荷物を抱えたインディヘナの家族だった。その荷物といったら、それはもう大変な大きさで、厚手の布に、家財道具一式がすべて包まれていそうな、巨大な布を背負っていた。彼らがどんな理由でバスに乗り込み、遠方を目指すのかは分からなかったが、少なくとも、僕のように、悠々自適とした旅ではないことだけは確かなようだった。こんなに大きな荷物を抱えている時点で、何か大きな決断をしてそのバスに乗り込んでいることは間違いない。しかし、インディヘナ達のその姿は、どこか締まりがなく、楽観的で、同時に、社会に対する諦めのようなものも感じ取れた。「なるようになるさ」諦め混じりのそんな言葉が聞こえてきそうなその姿に、少しばかり哀愁を感じた。

これは僕の主観だが、メキシコには、人々の生活する世界が、二通りあるように思う。一つはインディヘナの人々が生活する世界。もう一つはメスティーソの人々が生活する世界だ。インディヘナというのは、土着の先住民をルーツとする人々で、女性は民族衣装を身にまとい、男女ともに小柄で、メスティーソのメキシコ人よりもさらに肌が浅黒く、少し赤みがかった肌、小柄な体系が特徴だ。一方、メスティーソとは、その昔スペインが、「新大陸」、すなわち南北アメリカ大陸を侵略し、その後の長い期間において、スペイン系移民と先住民が混血を繰り返し、今日に至った人々で、デニムやTシャツといった服装をした、いわゆる一般的なメキシコ人だ。肌の色は、浅黒い人が大半だったが、稀に白人と同じ位、肌の白い人も見かけた。

どうやら、現在のメキシコでは、その人口において、メスティーソがマジョリティ、インディヘナがマイノリティということになるようだ。この二通りの人々が、一つの町に同じように住み、暮らしているわけだが、その世界は真っ二つに別れているように思えた。両者の間には、目には見えないが、はっきりと境界線が引かれていて、お互いに交わるということはないように見えた。メスティーソとインディヘナが一緒にいる場面に遭遇したことはなかったし、両者の間には、明らかに温度差が生じていて、総じてインディヘナの人々には、その服装、表情などから、経済的な貧しさと、どこか悲しげな雰囲気を感じ取れた。両者は、生活において、互いに混ざり合おうとしない。同じメキシコ国籍を有するメキシコ人にも関わらず、まるで、全く違う二つの国民が、この国には存在しているかのようだった。

夕闇の差し迫る中、バスはパレンケに向けて出発した。町を抜け、国道だろうか、周りに民家のない道をしばらく走り始めると、バス内の照明が消され、乗客はみな眠りに入った。しかし、僕は緊張していたせいもあって、なかなか寝付くことができず、色々なことに思いを巡らせていた。こういう時、人は、感傷的になるようにできているらしい。多分、このバスの中で日本人は自分だけだろう。メキシコの長距離バスに乗って、行き先は決まっているけれど、それは、場所としてのそれだけだ。他の乗客には、その決まった行き先に、場所と付随した何かがあるはずだ。それは、新しい土地での生活だったり、家族だったり、仕事だったり、様々だろう。でも、僕には何もない。それが悲しいわけでも、寂しいわけでもないが、バスの中で、自分一人だけがそうだという状況が、なんだか不思議な感じだった。

宵が深まるともに、いつのまにか眠りに落ちていたみたいだ。目を覚ますと、窓から見える空が、薄紫色に染まっている。夜が明け始めた。どうやら、荷物も無事なようだ。どんなに思いを巡らせていても、いつも、夜の半ばには、眠りに落ちてしまう。やがて、バスはパレンケに到着した。後ろの席に座っていたインディヘナの家族には、小さな子供がいた。まだ5、6歳だろうか、何が楽しいのか、キャッキャとはしゃぐ子供を抱きかかえる、みすぼらしい格好をしたその父親は、そんな子供の姿が嬉しいようで、表情が緩んでいた。バス内の一角に、微笑ましい時間が流れた。インディヘナの屈託のない笑顔を見たのは、この時が初めてだった。社会に対する不満なのか、いつも不機嫌そうで、悲しげな雰囲気を身にまとっている彼らのその笑顔に、僕の心も緩んでいた。僕がその光景を見つめていると、彼らも僕の視線に気付いたようだ。「アディオス」といい、軽く手を上げながらバスの出口に向かおうとすると、その父親も、子供の手を取り、笑顔で同じ言葉を繰り返した。

Follow Us
  • Facebook - Black Circle
  • Facebook - Black Circle
Recent Posts
Search By Tags
まだタグはありません。
bottom of page