top of page

Lima - Peru vol.3 -


ペルーでの長距離バスの旅は、今まで通過してきた国々と比べて、非常に快適なものだった。まず、一席一席のシートが広く、足を十分に広げられるスペースがある。バスの中には、揃いの制服を着た女性の添乗員が数名いて、出発してすぐに乗客へ飲み物を配ったり、そして何より驚いたのは、約10数時間に及ぶバス旅の中で、二回の食事が提供されたことだった。今までも、長い時間バスに揺られることはあったけど、その際の食事は、頃合いになるとバスが停車する休憩所の食堂や売店で、各々に買って食べるのが常だった。だから、添乗員が食事を運んできた時、それは綺麗に真空パックされた、のっぺりとしたサンドイッチと菓子ケーキだったけれど、僕は、その飛行機のようなサービスに感激したものだった。柔らかいパンにハムとチーズが挟まれたそのパンは、見た目よりも食べ応えがあり、予想以上でも以下でもない素朴な味だった。胃袋が満たされるというのは、こういうことを言うのだなと、妙な満足感を覚えた。

後から聞いた話だけど、ペルーでは、長距離バス市場(という言葉が正しいのか分からないけれど)が近隣諸国よりも発達していて、各社のサービスもそれに比例しているらしい。中でも「Culz del sur」(クルス・デル・スル)という会社のバスが、値段、設備、サービス共に最上級であるらしく、一番高いクラスのシートは、椅子が180℃に倒れるスリーピングシートで、座席ごとにテレビが付き、wifiまで飛んでいるというのだから驚きだ。 僕が利用したのは、もちろんCulz del surのバスではなくて、もっと安価な会社のレギュラーシートだったけれど、それでも今までに比べれば十分すぎるほど快適だった。

長距離移動にバスの中っていうのは、何とも不思議な空間で、暇だから色々なことに思いを馳せるのだけど、その多くは、バスに乗っていない時は、決っして考えないようなことばかりなのだ。疲れていれば眠ればいいんだけれど、移動時間が10時間を超えてくると、寝て起きても、まだバスの中にいるという状態が続く。だから、自然と頭の中では何かを考えている時間が多くなる。特に夜中に目を覚ましてしまった時なんかは、車内の明かりも消えているし、窓から景色を眺めることもできないので、自然と意識が自分の内面に向かう。すると、周囲の暗さも手伝って、大抵はネガティブよりな思考になってくるのが常だった。地球の裏側まで来て、自由気ままに時間を浪費しておいて、不安もネガティブもないだろうと思うかもしれないが、人間、誰とも会話せず、ずっと一人で何かを考えていると、不安な気持ちになってくるから不思議なものだ。少なくとも、僕の場合はそうらしい。

日をまたいだ早朝、リマのバスターミナルに着いた。前述したように、変な時間に目を覚ましてしまい、そのまま寝付くこともできずに、言いようのない正体不明の不安感に覆われていた僕の心は、しかし、バスを降りて、朝の黄色い光が放射状に降り注ぎ、宙を舞う埃にさえもキラキラと輝きを与える様を見て、やっと夜が明けたことを実感し、落ち着きを取り戻した。

さすがに首都のバスターミナルだけあって、広々とした構内で大きく伸びをした僕は、ベンチに腰掛けて、さてこれからどうしようかと思案していると、体の奥に残った疲れが、どっと押し寄せてきた。周りを見ると、ベンチや床で、体を丸めて横たわっている人の姿が多い。移動を終えた者と、これから移動する者が、各々に休息をとっている。僕も、ベンチから床に移動して、思いのほか綺麗に清掃された床に横たわってみた。ひんやりしたのは最初だけで、すぐに体が床の温度に慣れていって、押し寄せてくる眠気が心地よい。大きなバックパックを、盗まれないように抱き枕のようにして抱えながら、僕は浅い眠りに落ちていった。

小一時間眠ったろうか。リマに着いたのが早朝だったから、目を覚ましても、まだ朝の冴え冴えとした空気が辺りに充満していた。ほんの少しの睡眠で、頭がすっきりとしたので、外に出てタクシーを拾うことにする。リマが、ペルーはもとより南米の中でもかなり危険な都市であることは、旅行者の間では有名な話だった。だから、僕がバスターミナルからすぐに動かずに一度睡眠をとったのは、心のどこかで外に出ることを躊躇していたのかもしれない。しかし、もうリマに着いてしまったのだ。この街を楽しむより他はない。僕は、バスターミナルから出てくる客を待って停車しているタクシーの一台に声をかけると、あらかじめ調べておいた宿の名前と住所を告げて、勢い良く車内に飛び込んだ。

リマは、想像以上に大きな街で、単純に旧市街と新市街という区分けではなく、幾つもの地域に分けられ、それぞれごとに特色があるようだ。僕の泊まった宿は、旧市街の中心であるマヨール広場からすぐのところで、観光地であるサンフランシスコ教会とも隣接していた。カテドラルと広場が混在しているマヨール広場は、広々としていて夜になるとライトアップされて綺麗なのだけど、饐えた匂いというのだろうか、どんよりとした空気が辺りに漂っているのが気になった。いったんそう思うと、広場でたむろしている人々の目が、なんだか鋭く見えてくる。マヨール広場を抜けると、様々なショップの立ち並ぶラ・ウニオン通りに入る。旧市街の目抜き通りで、雑然とした商店街のような感じ。そこでは、昼夜を問わず、地元の人々で賑わっているのだけど、人々は例外なくみな早足で、僕もそれにつられるように、ひたすら足早に街を練り歩いた。

そして、リマでは、大きな都市に見合う近代的なメトロが運行されていて、まだまだ路線は少ないけれど、市民の足の一端になっているようだ。ある良く晴れた日の午前中、宿近くの駅からメトロに乗り込んで、ミラフローレスという地区に行ってみた。そこは、リマの中でも最もハイソなエリアらしい。太平洋に面する閑静な外観は、旧市街のセントロとはうって変わり、同じ街とは思えないほどに対極的だった。幅が広く、人の少ない歩道は歩きやすく、旧市街で感じた違和感を感じることもなかった。立地の良い海沿いには、モダンなショッピングモールがあって、カフェやレストランを始め、ブランド品のアパレルショップがこれでもかと立ち並んでいる。吹き抜けからは、海を眺めながら食事できるスペースなんかもあって、近代的な造りだ。値段はもちろん、旧市街の露店とは桁違い。こんなものを買えるペルー人は、さぞかし階級の高い人々なのだろう。それでも、それなりに賑わっていたから、竣工して間もない感じだったけれど、それなりに需要はあるらしい。ショッピングモールの造りっていうのは、東京でもバンコクでも、そしてここリマでも画一的で、置いてある商品も似たり寄ったり。なんだかきちんと躾られた犬みたいで面白みがない。

ミラフローレス地区からの帰り道、旧市街でメトロを降りて、夜に向かってにわかに活気づく街を歩いてると、そこかしこで物乞いの姿が散見された。中には、路上で歌を歌う幼い物乞いの姿もあって、ミラフローレス地区とは、大きく異なる光景だ。経済的な発展を享受できる人々がいる一方で、その日の生活にも困窮する人々もいるのだという構図は、もはや現地の人々には当たり前過ぎて、疑問にも感じてないのだろう。だけれど、よそ者である僕は、どうしてもそれが「普通」のことには思えない。こういった格差的な光景は、今までたくさん見てきたはずなのに。リマにいた時のことを書いた日記を読み返していたら、そんなもどかしさが綴られていた。

街の中心部が、どこからどこまでか分からない程、どこへ行っても人が多く、都会なリマ。そういえば、プエルト・ロペスの宿で会ったイタリア人の女の子が、クスコは美しい街だったけど、リマは汚くて人が多くて…と、しかめっ面で言っていたのを思い出した。どんよりとした分厚い雲が頭上を塞ぎ込んで、なかなか太陽が姿を見せないリマ。危険な匂いのする街だから、歩く時はいつも早足で、左右のポケットに手を突っ込んで、その中で財布を握りしめていた。滞在中は、特に観光らしい観光もせず、とにかく色々な場所をひたすら歩きまわった。カフェなんかでのんびりと過ごすよりも、その方がリマでの滞在に適している。それほど、リマは大きな街だったのだ。

しかし、歩けども歩けども、何かを見つけることはできなかった。何かをしていないと落ち着かないような、都会特有の焦りを感じた。だから、滞在中にひたすら街を歩く僕は、巨大な機械の中に放り込まれた、一本のネジみたいだった。そう、リマは、僕には大きすぎたのだ。そう思い、1週間程度の滞在で見切りをつけて、いよいよ、クスコへ出発した。

Follow Us
  • Facebook - Black Circle
  • Facebook - Black Circle
Recent Posts
Search By Tags
まだタグはありません。
bottom of page