top of page

謎の国 - Laos vol.1 -

  • Ryusuke Nomura
  • 2011年3月11日
  • 読了時間: 3分

思いがけず長居をしてしまったバンコクを後にして、陸路でラオスを目指した。「ラオス人民民主共和国」通称ラオスは、今回の旅で最も行ってみたかった国だ。というのは、このラオスという国には、「特に何もない」らしいからだ。タイならばビーチや寺院、カンボジアならばアンコールワット、ベトナムならばフォーや生春巻きなど、他の東南アジアの国々には、例えそれが事実ではないにしても、ある程度の「イメージ」といものがある。しかし、ラオスにはそれがないのだ。他にも、「世界一不思議な国」だとか「とにかく人がいい」などの抽象的な情報ばかり。これはもう実際に行ってみるしかないと、日本を出発する前から考えていた。

バンコクから長距離バスで約13時間。夜6時に出発したので、ラオスの首都ビエンチャンに到着したのは、翌朝のことだった。タイの国道は田舎でもキレイに舗装されていて、まるで日本の道路のようだった。それが、ラオスに入ると一気に道路がみすぼらしくなる。舗装はされているものの、かなりのデコボコ道だ。道路は、その国の経済状況を示す一つの目安なのかもしれない。そして、ビエンチャンに着いてまず驚いたことは、人も建物も少ないこと。「本当にこんな町が首都でいいのか」と少し心配になるほどだ。普通、一国の首都というと「街」という感じだが、ビエンチャンは、どこからどう見ても「町」のほうがシックリくる。

一通り中心街(といっても、特に何があるわけでもない)を散策して、屋台で食事を済ませると、もう日が落ちていた。ビエンチャンの町は、夜も早い。夜8時以降は商店のシャッターは閉まり、営業しているのはインターネットカフェぐらい。タイではあんなに見かけたコンビニも、僕が見つけられたのは町に一軒だけだ。それも、もちろん24時間営業ではない。見た所、映画館などの娯楽施設も見当たらないし、噂通り「特に何もない」国のようだ。

では、何でもある日本にはなくて、何にもないラオスにあるものは何か。それは、言葉にするのが難しいが、あえて言葉にするのなら、ゆっくりと流れる時間が作り出す「人の優しさ」だ。噂には聞いていたが、ラオス人は本当に優しい人が多い。それは、のんびりとした生活の中で特にセカセカする必要もなく、心に余裕があるからだろう。現代人に一番足りないものだ。最も、ラオスの人たちだって僕らと同じ現代を生きているわけだから、そういった意味では現代人のはずだけれど。

こんな話もある。ある日本人旅行者が、ビエンチャンで家族に手紙を送るために、切手を買いにコンビニへ行った。しかし、そのコンビニには切手は売っていなかった。どこで売っているのか訪ねると、なんと仕事中にも関わらず、切手を売っている店まで案内してくれたという。もちろん、そのラオス人がたまたま良い人だったのかもしれないが、実際にラオス人に接すると、そんな話にも納得できる。それぐらい、ラオスは「優しさの国」だ。

最近の日本では、そんな優しさをお金で買うような雰囲気があると感じている。サービス業しかり、介護職しかり。本来、提供するべきは技術や知識であって、優しさではないはずだ。優しさや思いやりは、生活の中で自然に出てくるはずのもであって、それに値段をつけるのは間違っていると思う。もし値段がついてしまえば、それは不自然な優しさになる。しかし、そういった場面になりがちなのが今の日本だ。だからか、余計にこう思う。僕がラオスで触れた優しさは、あくまでも自然な優しさだった。きっと、ラオス人にはそれが自然の行為すぎて、自分たちが優しいとは考えないだろうけど。

Comments


Follow Us
  • Facebook - Black Circle
  • Facebook - Black Circle
Recent Posts
Search By Tags

© drunk afternoon all rights reserved.

bottom of page