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自然の中で考えた文明社会 - Laos vol.4 -

  • Ryusuke Nomura
  • 2012年1月18日
  • 読了時間: 7分

そんな調子で、バンビエンを満喫することになった僕は、早速、次の日から、町を散策し始めた。泊まっていたゲストハウスは、バナナとコーヒーの朝食が無料だったので、それらを平らげた、しばらくゆっくりすると、ぶらぶらと町を歩き出した。町と言っても、本当に小規模で、観光客が来るようになる前は、おそらくは村であっただろうと想像できる。町への入り口付近、国道沿いの広場のような所に、市場を見つけた。大きなテントの下に、食べ物の屋台が立ち並び、現地の人々で賑わっていた。テントの奥には、買った食べ物をすぐに食べられるように、簡易的なテーブルと椅子が並んでいる。朝食を食べてから、あまり時間は経っていなかったが、せっかくなので食べることにした。テーブルに座っているラオス人の献立を見ると、ほとんど全員が、餅米のようなものと、なんらかのおかずの組み合わせで食べている。

どうやら、ラオスでは餅米が主食らしい。問題のおかずは、店によって、様々な物が用意されている。煮物、炒め物、何かの肉の串焼き、野菜サラダのようなもの。様々だ。餅米を少しと、野菜の煮物のような、スープのようなものを買った。確か、二つで、10000KIP(約100円)程だったと思う。ラオスの通貨であるKIPは、単位が非常に大きい。しかし、0を二つ取れば、大体日本円と同じになるので、慣れてしまえば簡単だ。早速、テーブルに座って食べ始める。周りを見ると、餅米は手で食べるのが基本スタイルらしいので、真似しててで食べてみる。次に、煮物かスープかよくわからないものを口に含む。味は、少し辛い野菜スープのような感じで、周りのラオス人の真似をして、スープの部分に餅米を浸しながら食べると、大変に美味で、ほんの少し、ラオスという国と、そこに住む人々を理解できたのかもしれないという錯覚に陥った。

次に僕が向かったのは、ここバンビエンの名物である、「チュービング」の受付だ。「チュービング」とは、バンビエンに流れるソン川という大きな川を、タイヤのチューブを浮き輪代わりに下っていくというもので、ここに訪れた旅行者ならば、誰もが体験するアクティビティだ。そのことだけは、事前にガイドブックで調べておいた。チュービングの受付は町の中にあり、ここに荷物を預けてからチューブを渡され、小型トラックで川の上流に向かう。到着すると、乗客はみな降ろされ、思い思いに川に向かって歩を進める。チュービング途中には、所々にアルコールを販売している簡易的なバーがあり、ここでも例のごとく大音量のポップミュージックが鳴り響いている。いざ、チュービングに出発すると、そこは、未だかつて体験したことのない別世界だった。ラオスは熱帯の国なので、日中の気温は30度を越える。小学生の夏休み、かんかん照りの日中に、プールへ飛び来む子供の気分だ。

ソン川は、速くもなく遅くもなく、程よい速さで流れている。その緩やかな流れの中で、パンパンに膨れたタイヤのチューブの中心に体を通し、両手をダランと伸ばす。チューブの後方部分を枕代わりに、首を座らせる。後は、ひたすらに流されるだけだ。しばらく流されると、バーの騒音も遠ざかり、欧米人達はみなバーへ行ったのか、周りに誰もいなくなった。そこにあるのは、川と、山と、太陽、そして自分だけ。聞こえてくる音は、川の流れる音だけ。燦々と降り注ぐ太陽の光、奇形で、それでいて素晴らしい景観の山々、そして、川に浮かぶ浮遊間も相まって、ひたすら心地よい時間が、そこにはあった。数分間の自分と自然の対話の中で、「人間は、そこに自然があるというだけで、こんなにも、心地よくなれるのだ」ということに気付く。

その心地よさは、それはもう、「人間は、長い時間と労力を費やして、何の為に文明社会を築いたのか」と、疑問を感じる程に。そんなことを思いながら、流されること小一時間。そろそろゴールが見えてきても良い時間帯になっていた。しかし、一向にその気配はない。ついさっきまでは、僕と同じようにチュービングを楽しむ観光客が周りに数人いたが、彼らの姿も消えていた。そうこうしているうちに、一時間半、二時間と、時間だけが過ぎてゆく。僕は、ここにきてやっと理解した——流され過ぎてしまったのだ。今思えば、数十分前、河口が少し広くなり、岸にチューブを持った観光客を数人見かけた場所があった。そこがゴールだったのだ。川の流れは速くなり、日が傾き始めていた。「早く何とかしなくては」と思いながらも、川の流れは速く、岸には草木が生い茂っていて、自力で到達できそうなにない。このソン川が、一体どこに続いているのかも分からず、いよいよ最悪の事態も頭をよぎった。

そんな時、左手の岸に、草木の隙間から釣りをしているラオス人青年を見つけた。

「ヘルプ! ヘルプ!」

英語など通じるはずもなかったが、僕は両手は広げ、こう叫ぶしかなかった。僕の存在に気付いたラオス人青年は、川の流れよりも速く、草木をかき分けて岸を走り出す。僕も何とか左手の岸に近付けるように、必死で手と足を漕ぐ。ラオス人青年が、川の中に入ってきた。僕の方も、何とかそちらの方向に近付いている。

「あと少し、ほんの数メートルだ」

ラオス人青年が手を差し伸べてきた。僕も必死に腕を伸ばす。次の瞬間、お互いの手が繋がった。ラオス人青年は、ものすごい力で僕を引っ張りながら、岸まで誘導してくれた。

「助かった……」

岸に着くなり、安堵感がこみ上げ、ある意味、ハイな状態になった僕は、両手を胸の前で合わせて、「サンキュー、サンキュー」と何度も繰り返した。ラオス人青年は、気にするなとでも言いたげに、足早に帰り道へと案内してくれた。途中、おそらくは彼が生活しているであろう村を横切った。助かったという安堵感と、長い時間、川に流されてきた疲労感とで、よくは確認できなかったが、おそらくは、何十年か前で時間がストップしているような住居と暮らしぶりだたと記憶している。ラオス人青年が

「どこに帰るのか?」

と訪ねてきた。多少、英語が話せるようだ。僕が、

「バンビエンに帰りたい」

と言うと、村を通り過ぎて、大きな道路まで案内してくれた。おそらくは、これが国道なのだろう。

「この道を真っすぐ行くと、バンビエンに着くよ」

僕はもう一度、胸の前で両手を合わせ、「ありがとう」と言い、別れた。

帰り道は分かったものの、あれだけ余分に流されたのだから、歩いて帰れる距離であるはずもなく、バスが偶然通りかかるのを待つことにした。程なくして、先程のラオス人青年が、バイクを持って戻ってきた。聞くと、なんと、バンビエンまで、バイクで送ってくれるという。このままバスを待っていても通りかかる保証はないし、何より疲れていたので、僕はその厚意に甘え、バンビエンまで送ってもらうことにした。ひたすら続く、真っすぐでデコボコな道をひた走る。浮き輪に体を通し、バイクの後部座席に座る僕は、ひどく不格好だったことだろう。左右に広がる田園と山々の風景に見飽きはじめた頃、バンビエンに到着した。おそらく、3、40分程だったろうか。やはり、バイクで送ってもらって正解だったと、改めて思い、彼の厚意が身に染みた。

「僕はもう帰るよ」

そう言う彼を少し引き止め、防水性のウォーターバッグの中から財布を取り出し、その中から、50000KIP札を二枚抜いた。日本円にして、約1000円。散々流されたせいで、バッグの中に水が侵入し、財布の中もビショビショだ。50000KIP札を、シャツの裾で挟んで、少し水分を取ってから、彼に差し出した。彼は確か、

「ありがとう」

と言ったのだと思う。僕は、最後にもう一度、胸の前で両手を合わせ、

「ありがとう」

と言った。そして、今度こそ、僕らは別れた。僕は疲れきった体に喝を入れてヨロヨロと歩きはじめ、彼は、バイクで颯爽と来た道を走り去った。

僕が彼に50000KIPを渡したのは、感謝を代弁する手段が、お金しか見当たらなかったからだ。チュービングをしている時に感じた、「人間は、長い時間と労力を費やして、何の為に文明社会を築いたのか」という疑問に対する一つの答えが、そこにあるような気がした。もし、自分の感情や、他者に対する感謝・尊敬を豊かに表現するために、人間が作り上げてきた文明社会の最たるものである、お金(通貨)の活用が有効ならば、文明社会も決して捨てた物ではないと。旅行者は、ラオスという国に、文明化の行き過ぎた先進国が忘れてしまった何かを求めるが、そのラオスで文明化の最も基礎的な部分である、お金(通貨)の、素晴らしい使い方を学ぶとは、それは何とも皮肉な話だ。しかし、これもまた、僕がラオスという国を通した体験した一つの事実であり、体験した当事者の僕にとっては、これからの生き方に通じる「何か」であると信じたい。

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