メコン川の夕暮れ - Thailand return vol.1 -
- Ryusuke Nomura
- 2012年2月21日
- 読了時間: 4分

ラオスのビザなしでの滞在日数は、二週間と定められている。その日数をすべて消化してしてしまいそうだった僕は、ひとまず、タイに戻ることにした。行き先は、ラオスの首都・ビエンチャンから、メコン川を挟んだ対岸にある、タイ北部の町・ノーンカーイ。バンコクからラオスに行く時には、スルーしてしまった国境に面している小さな町だ。バンコクと比べるとはるかに小さな町だが、のんびりしすぎたラオスから来たせいか、国境のゲートをくぐりタイに入ると、背筋が伸びるような緊張感を覚え、「空気」が変わったことを実感した。国が変われば、通貨も、言葉も、人も、食べ物も、目に見えるものの大半が変わる。そして、目には見えない「空気」や「雰囲気」も、確実に変わる。そんな変化も感じ取ることが出来るのが、国境を越えた時の醍醐味の一つだ。この手の感覚は、数日もすれば、慣れで感じなくなってしまうので、非常に贅沢なものだと思う。あと何回、こんな感覚を味わうことが出来るのだろう。
国境を越え、ノーンカーイに着いた翌朝、メコン川沿いに出ると、昨日の夜は、暗くて人通りも少なかった川沿いに、大きな人だかりができていた。川の方に目をやると、カヌーのレースをやっている。ラオスではカヌーが盛んだと聞いていたが、メコン川を挟んだ反対側の、ここノーンカーイでも、それはあまり変わらない様子だった。
ヨーロッパや南米のサッカーの応援のように、鬼気迫るものではなかったが、時折声を上げながら、みんな真剣にレースを観戦している。カヌーを漕ぐ選手達も真剣そのものだ。こんなに真剣な顔のタイ人の顔を見たのも初めてだった。今まで見てきたタイ人は、笑顔で物腰が柔らかく、いつもどこかヘラヘラしている、いい加減な人達という印象だったからだ。それとは対極的なタイ人の姿を目の当たりにして、それでもどこか、その光景に締まりがないように感じるのは、日中のタイの暑さと、やはりタイ人の内側から醸し出される、緩く生きていきたいという気質のせいだろう。レースのゴール付近にはDJがマイク片手に、タイ語で何かを叫んでいる。それに合わせて、観客からも歓声が上がっていた。
そんな賑やかな川沿いを歩いていると、そこに本当の意味で加われない自分の存在が、改めて、よそ者なのだと実感した。色々な場所へ行くことができる反面、どこへ行っても自分は「何者」でもないという、空虚感と安心感。しかし、その無責任な空虚感すら、今は心地よく、フワフワとそんな感情を抱く自分に安心感を覚えていた。そうでなけば、旅など続けていられないだろう。
その後、川沿いを後にして、町中をフラフラと歩いたが、特に目を引くようなものはなく、また、日中はかなり蒸し暑いため、宿に戻って休むことにした。東南アジアに来てから、日中はかなり気温が高く、加えて蒸し暑いため、昼間は屋内で過ごし、日が暮れ始めると、フラフラと外に繰り出すという習慣が身に付きはじめていた。気温が高い分、日が暮れてからも、Tシャツにハーフパンツの軽装で外を歩けるのは、日本の夏の夜のようで、なんだかワクワクしてくる。
この日も、日が暮れはじめ、空がオレンジ色に染まり始めるのを待って、再びメコン川沿いに繰り出した。昼間行われていたカヌーレースは、当然もう終わっていて、ゆっくりと散歩する人や、夕陽を眺める人、ギターをひく人などで、微かな賑わいを見せていた。そして、メコン川に沈みゆく夕陽は圧巻だった。その美しさに魅せられて、地元の人も引き寄せられ、集まってくる。それらすべてをオレンジ色に染めながら、夕陽は沈んでゆく。オープンテラスの店で、ビールを注文し、それを眺めていると、子供達が次々とメコン川に飛び込んでゆく。水遊びなのか、風呂代わりなのか分からないが、水をかけ合ったり、じゃれあったりしている。きっと、50年前も50年後も変わらないであろう光景が、そこにはあった。夕陽はいつだって急ぎ足で、沈み始めたかと思うと、あっという間にその姿を消す。この町の、おそらく一番美しい瞬間は、あっという間に過ぎていった。白と水色に鈍色が加わりはじめた空に、微かなオレンジ色が残っていた。
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