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デモ運動に見るタイ人の気質 - Thailand return vol.2 -


ノーンカーイから、もう一度ラオスに入国しようかとも考えたが、とりあえず、バンコクに戻り、それから考えることにした。バンコクに行けば、カンボジアでも、ベトナムでも、近隣の国には直通のバスが出ている。選択肢が広がるのだ。そして、決断することを制限時間ギリギリまで伸ばすことで、広がった選択肢の幅を狭めると共に、その間の宙ぶらりんな時間を楽しみたかった。「とりあえず」とか「ひとまず」という言葉を使う時に、その言葉の後には、何もない空白の時間が横たわっている。

そんな自由を感じながら、数日間をバンコクで過ごした。文字通りの、何もない、考えなくてはいけないことのない空白の日々。こんな時間を手軽に味わうことができるのが、旅の持つ、側面の一つなのかもしれない。次の目的地が決まった時点で、目的が生まれ、日々に色がついてゆく。次はその色が何色になるのか。

バンコクに来るのはこれが二度目で、カオサンロードとその周辺の地理と風土は、なんとなく分った気でいたので、特に何の驚きも発見もなく、日々が流れていった。そんな中、唯一、新しい発見だったのが、この時期タイを賑わしていた、タクシン派のデモだ。ある日、そのデモが、カオサンロードの近くで開催されると耳にして、そこに向かったのは、日曜日の夕方近くだった。寺院のある大きな通りのが封鎖され、赤いシャツを身にまとった人々が大挙している。赤は、タクシン派のメインカラーだ。

道路に面した大きな広場で、何かを演説しているのが、おそらく指導者クラスか、それに準ずる地位の人間だろう。こんなにたくさんの赤を見たのは、埼玉スタジアムで開催された、浦和レッズのホームゲーム以来だった。その回りを、武装した警察が取り囲んでいる。それだけを見ると、明らかに「臨戦態勢」だが、デモを取り巻く空気は、どことなく緩かった。赤いシャツを着ていない外国人の僕でも、簡単にデモの輪の中に加わることができたし、その中では、露天さながらに、タクシン派の赤を基調としたグッズを売る露店まであり、地元のタイ人や観光客は写真の撮影に夢中だった。もちろん、写真撮影も規制されてはいない。

警察は、一応デモ会場を取り囲んではるが、なんとも仕方なしにといった感じで、面倒くさそうな顔をしている者も、ちらほら目に付いた。何も起こるはずはないが、とりあえず立っているだけで、彼らもまた、警備中は、空白の時間だったのかもしれない。その時間が空白だったのならば、このデモも、意義や意味を持たない空白のものだったのか。しかし、それは、違うと思う。

確かに、そこには、デモと呼ぶには、あまりにも揺るく、心地よい空気が流れていた。その緩さが、タイの暑さからくるものなのか、タイ人が本来持っている気質のせいなのか、あるいは、その両方なのかはわからない。その緩く心地よい空気が、デモの持つ意味を薄れさせているようにも見えた。しかし、これだけ大勢の人間を動かす思想や理想には、必ず何かしらの意味があるはずで、むしろ、ないはずがないのである。次第に、僕はこう思い始めていた。「これが、タイ人のスタイルなのかもしれない」と。

この緩さこそが、彼らがタイ人であるということであり、緩いか緩くないかが、行動の本質的な価値には、あ

まり関係のないのかもしれない。そして、この運動が、もしも成功したのなら、それは、タイ人の性質を最大限に活かした成功ということになるのかもしれない。何かが「変わる」瞬間というのは、急に訪れるものではなく、日常の中から、その色を崩さないように、徐々に変わっていくものだ。

だから、多くの場合その「瞬間」を見逃してしまうことの方が多い。しかし、それが最も違和感や負担が少なく、自然な形だろう。だとすれば、今回のデモに見るこの運動は、まさに理想的だと言えよう。「緩さ」という、自分たちの持つ特性を消すことなく、むしろ最大限に活かし、デモという行為を、生活の中に落とし込んでいるように見えた。

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