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過去と現在2 - Cambodia vol.3 -


プノンペンまでは、バスで約5時間の移動。道路は「とりあえず」程度で舗装されてはいるものの、やはりデコボコで、一定のリズムでガタガタと揺れていた。景色には、山のような高さのあるものが見当たらず、車窓の一面は見渡す限りの平面で埋め尽くされた。そのほとんどは田んぼのようで、一体誰がこんなにも広大な田んぼを耕しているのかと、疑問に思った。カンボジアは、真っ平らな国だ。

たどり着いたプノンペンの街は、車とバイクの排気ガスで埋め尽くされ、行き交う大勢の人々の姿が、ただでさえ高い気温を、一層上昇させ、気分が悪くなるようだった。目的を果たしたら、すぐにどこかへ移動したい気分になる。僕の場合、街との初対面は、悪いことの方が多い。

翌日、早速、元処刑場である「キリング・フィールド」へと向かった。なんともストレートすぎるネーミングで、この単語を口に出すごとに、多少の罪悪感を覚えながら向かったその場所は、プノンペンの街外れにある。広い公園のような敷地内は、街中の喧噪を忘れるほどに静かで、まるで別の街にいるようだった。その敷地の奥の方に、死者を祭ったモニュメントがあり、その中には、死者の頭蓋骨が大量に積み上げられていた。その頭蓋骨のいくつかには、おそらく鈍器のようなもので強打されたであろう大きなヒビがあり、その下には、死者が身につけていたであろう大量の衣類が、当時のまま、乱雑に置かれていた。その多くは変色していて、その黄ばみや汚れが、やけに生々しかったのを覚えている。

正直、ショックが大き過ぎた。きっと、「過去の過ちを忘れないために」ここまでストレートな表現方法をとる意味は、僕にはそれしか考えられなかった。しかし、ここまで生々しくては、逆に「過去」に囚われ、「未来」へ進むための足かせになってしまうのではないか。でもそれは、僕がこの悲劇の起こった国で、暮らした経験がなく、もっと根本的なことを言えば、カンボジア人ではないからかもしれない。

僕は今、どこへでも行けて、どんなものでも見ることができるけれど、その本質を100%理解することはできない。どんな物事にも、目に見える部分と、見えない部分、もっと言えば、それを作り出しているバックボーンがある。そのバックボーンを理解するには、自分はその当事者か、もしくは近い立場でそれを経験しなくてはならない。いつも、その欠落感を味わいながら、色々なものを見て、それを、自分というフィルターを通して理解しようとしてきた。当事者ではないがために欠落している部分。その部分を、自分の今までの経験と、想像力とで埋めていく作業。それが、この時点での、僕の旅であるようだった。

次にその足で、トゥールスレン博物館に向かった。ここは、ポルポト政権時に、政治犯という名の多くの一般人が収容され、拷問を経て虐殺された刑務所で、ポルポトの残忍さを語る上で、切っても切り離せない場所だ。ここもまた、キリングフィールド同様に、当時の面影を十分すぎる程、残していた。当時のまま保存された、独房と拷問部屋。独房は、人が一人横になれるかなれないかの狭いスペースが、仕切り板で申し訳程度に区切られた、お粗末すぎるもで、拷問部屋はそれに比べて広く、金属むき出しのベッドに、手足を縛り付けたであろう鎖が無造作に置かれ、床には、長く年月が経ちすぎて、黒いシミのようになった血痕が散っていた。それらには、最大限、当時の状況を保存しようとする努力が見受けられた。

ポルポトの狂気を最も感じたのは、被害者の生前の顔写真がパネル上に並べられたフロアだ。どの顔も、まるで証明写真のように、無表情に前を見据えていた。聞くところによると、この写真は、拷問によって殺される前に撮られたもので、記録という側面を持つ傍ら、ポルポトの趣味でもあったらしい。そう思いながら見ると、その写真の顔はどれも、無表情の中に、微かな諦めの匂いがした。その中の一人の少女の顔写真がどうしても忘れられない。その顔は、これからの運命を諦めきれずに、恐怖に怯えているような表情だった。その顔だけは、今でもはっきりと覚えている。

ポルポトが目指したのは、社会主義のユートピア。そのために、今までの一切を破壊し、新しい国を創造しようとした。彼の理想を叶えるための過程で、たくさんの、本当にたくさんの人が犠牲になった。理想を追い求めるのは、人として、すごくポジティブな行動で、しかし、その理想が、自分一人の範囲では完結しない場合、さらに、自分が大きな権力を握ってしまった場合、規律や規則が作用しなくなってしまった場合に、こういった悲劇が起こるのだろう。

プノンペンで見たキリングフィールドとトゥールスレン博物館にショックを受けて、気が付かないでいたけれど、この残酷な出来事が起こってから、まだ40年も経っていないのだ。それなのに、カンボジア人たちは、これらの負の歴史を世界に公表し、「過去」の出来事として捉え、新しい時代を生きている。これは、特筆すべきことだと思う。自国のネガティブな歴史を、余すことなく世界に発信する。それには、その出来事を、自分(自国)の中で消化することが必要不可欠だ。この短すぎる期間で、彼らにはそれができている。「過去」に囚われているのではなく、「過去を」を乗り越えているのだと理解するまでには、少し時間がかかった。それこそが、カンボジア人の強さであり、この国の「未来」を築いていくための、礎となるのだろう。その過程である、カンボジアの「現在」を見れたことは、良い経験となった。

カンボジアに行くと決めた時の、「豊かさ」とは何かの答えを出すことは、とうとうできなかった。けれど、教科書ではないのだから、それで良いのだと思う。もしかすると、この国は、物質的にはもちろん、精神的にも、まだまだ豊かではないのかもしれない。しかし、前述したカンボジア人の強さを持ってすれば、「豊かさ」を得る日が、いつかくるのだと信じたい。そのための「現在」。

こうして、僕のカンボジアでの旅は終わった。

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