天国 - Nepal vol.4 -
- Ryusuke Nomura
- 2012年10月27日
- 読了時間: 6分

ミニトレッキングには、宿が用意した、ネパール人ガイドのハッピーと二人で出かけることになった。宿から車で10分程走り、登山口のような場所で降ろされた。そこから登山を開始するわけだけれど、実は出発の日の朝、僕は少し風邪気味だった。このミニトレッキングに行こうか行くまいか迷ったが、元来の優柔不断さが発揮され、出発直前まで判断を先延ばしにするという大技をやってのけ、時間も直前なものだから、トレッキングをキャンセルするわけにもいかず、出発の時を迎えてしまったというわけだ。
しかし、不思議なことに、トレッキングが始まり汗をかきはじめると、みるみる内に体調が良くなっていったのだ。体中に汗をかき、美しい景色に目を奪われるごとに。僕の優柔不断さは、稀に幸運を生み出すことがある。今回は、その最たる例と言えるだろう。
20~30分程、急な斜面を登り続ける。その後は、緩やかな登り坂が続く。所々に、民家や段々畑が姿を見せ始めた。段々畑は、ナガルコットで見たものとほとんど同じだ。何を栽培しているかは分からないが、やはり、美しいと思った。こんな山の中に、人々は家を建て、作物を栽培し、生活を営んでいる。のんびりと暮らしているようで、その「のんびり」という言葉の裏に隠されている意思の強さ、行動力を感じた時、ネパール人という民族を、ほんの少しだけ理解できたような気がした。それは、日本で暮らす僕には到底手に入れることのできない、人間として、とてつもなく大きなポテンシャルだった。
そうこうしている内に、今晩泊まる宿にたどり着いた。登山客向けのロッジのようなところだ。時間はまだ夕刻にもなっていない、「なんだ、こんなものか」内心そう思った。トレッキングというより、ハイキングといった感じだ。暇なので、宿の周りを散策してみた。例のごとく、段々畑と、時折咲いてる発色の良い花々に目を奪われる。その花々は、辺り一面ではなく所々に咲いているものだから、その赤や黄の色がより際立ち、色味を増していた。そんな発見のある散歩はとても楽しく、少し期待はずれだったトレッキング一日目を、良いものに変えるためには、十分な出来事だった。

その日の夜。夕食は、焼きそばのような、パスタのような、名前の分からないネパール料理だった。食事を終え、宿の従業員と話している時に、その中の一人がこういった。
「カトマンズは良くない。ここは天国だ。」
そのあまりにもストレートすぎる表現に一瞬面食らったが、確かにそうかも知れないと思った。カトマンズは、このネパールで一番大きな町で、首都であり、この国の中心だ。しかし、国の中心ということは、この国の抱える問題のほとんどが、カトマンズに集中することとなる。そんな首都を引き合いに出し、自然の中で、強く逞しく生きる彼らの誇りが、このストレートすぎる表現に感じられ、それ故、芯のある言葉として、僕の脳裏に刻まれた。
そして天国へ
翌日、サナルコットというヒマラヤ山脈を臨む絶景のスポットを目指して、再びトレッキングが始まった。緩やかな道が続き、トレッキングというよりは、一日目同様、ハイキングという表現の方が近いのかもしれない。ガイドのハッピー曰く、途中にある村の小学校で、ハッピーのお父さんが教師をしているらしく、必然的にその小学校に行くことになった。このハッピーという男は、英語とネパール語しか話すことができない。よって、僕との会話はすべて英語になるわけだが、僕の低い英語力では、必要最低限の会話しか成り立たず、それでも僕が分かるように簡単な単語を使って話してくれる。それは、仕事上の都合というよりは、彼が本来持っている性格だということが、短いながらも寝食を共にしたことで分かり始め、次第にこの男を、僕は信頼するようになっていた。
少し遠くに、村と呼ぶにはあまりにも民家の少ない集落が見えてきた。その手前に、丘のような場所があり、そこに村の小学校があった。小学校に着くと、程なくして、ハッピーのお父さんが姿を現した。
「初めまして。あなたに会えて嬉しい。」
決まり文句の中に、穏やかな年配の男性特有の安心感と、温かみが感じれれた。言葉は、その人の内面の豊かさを表現するためにある。
授業中の教室を覗いてみると、先生に入っていいと言われたので、入ってみることにした。日本の学校のそれとは比べ物にならない程お粗末な黒板には、無数の英文が書かれていた。英語の授業だ。こんな小国の山奥の学校にさえ、国際化の波が押し寄せている。驚くと同時に、大学まで出て、ろくに英語も話せない自分に嫌気がさした。10人にも満たない少人数の授業で、子供たちは、先生の英語での質問にこぞって手を上げ、発言することに、自らの価値を見い出しているようだった。授業が終わると、子供たちは一斉に外へ駆け出していく。今度は教室の外で、先生を中心にみんなで輪になり、ネパール語で何かを歌い始めた。レクリエーションのようなものなのだろう。声の小さい男の子の背中を、サリーを着た恰幅のよい女性の先生が、「もっと大きな声で」とでも言うように、叩いている。すると、その男の子の声が、ほんの少し大きくなる。青空の下で、ネパール語での合唱。
人間が学ぶ気になれば、いつでもどこでも学ぶことができる。それがたとえこんな山奥であっても。ここでもまた、山と共に生きる民の強さ、そして、強さがあるからこその豊かさを感じ取ることができた。

小学校を後にし、夕方にはサナルコットにたどり着いた。見晴らしの良い高台の上に、今晩泊まるゲストハウスがあり、夕暮れ時の水色の空に、微かにオレンジが混ざっている。雲は、ある場所は白く、またある場所は少しオレンジがかり、山々を囲んでいる。どんな国のどんな場所にいても、夕暮れ時は、僕の一番好きな時間だけれど、この時は、それをことさら強く感じた。やがて夜になり、暗闇の中、水色とオレンジの混ざり合った空と雲は姿を消した。そのかわり登場したのが、満天の星空だった。平地よりも少し高い場所にいるせいか、星が、いつもより近く見えるような気がする。使い古された表現を用いれば、まさに星が降ってくるようだった。目を閉じても、まぶたの裏に星の姿が残像のように残り、まるで夢の中にいるような気分になった。昨日のあの言葉を思い出す。
「ここは天国だ。」
ああ、本当にそうかもしれない。すこぶる気持ちのいい夜だった。
翌朝は早起きし、ハッピーとゲストハウスから、10分程山道を登ったところにある展望台に向かった。ここは観光スポットで、早朝にも関わらず、たくさんの観光客で賑わっていた。ゲストハウスからよりも、ヒマラヤ山脈がやや近く、全体像がはっきりと見える。素晴らしい眺めだ。しかし、昨晩の星空での体験を未だに引きずっていた僕は、素晴らしいとは思いながらも、どこか感動できないでいた。それ程、昨晩の体験は、僕にとって素晴らしいものだった。トレッキング一日目の「天国」というフレーズのせいもあるだろう。もし、本当に「天国」という場所があるのなら、きっと、昨夜のような気持ちになれる場所のことを言うのだろう。
翌日、山を降り、その二日後、僕はカトマンズに戻った。カトマンズで一泊し、再びタイに戻る航空券をすでに持っていたからだ。このミニトレッキングは、言わずもがな、ネパールの旅のハイライトとなった。そこには、確かに「天国」があった。本当の「天国」も場所は違えど、きっとあんな感じなのだろう。もしかすると、それは、いつも身近にあるのかもしれない。僕は、不思議なネパールの旅を終えた。

Comments