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赤と黄の夜 - Turkey vol.1 -


一旦、日本に戻り、どこへ行きたいのかを考えた。不思議と、ヨーロッパにはあまり興味がわかなかった。しかし、トルコという国はその広大な国土を、アジアとヨーロッパに挟まれ、その両方の文化が入り交じっているということは、ガイドブックなどを見ると必ず目にする、トルコの「売り文句」だ。この、アジアなのかヨーロッパなのか、はたまた中東というカテゴリーに組み込んでも良いのかどうかわからないこの国に、大きな興味を抱いたのは必然とも言えるだろう。

トルコまでの道のりは長かった。アエロフロートというロシア系航空会社のモスクワ経由便が一番安かったのだけれど、モスクワでのトランジットを含め、約十四時間。イスタンブールの空港に到着したのは、夜遅くだった。トルコの治安は良く分からなかったが、初めての土地で夜遅くに出歩くことは危険だという認識が、旅を続けていくうちに出来上がってしまっていたので、この日は空港のベンチで夜を明かすことにした。

翌朝、空港と直結しているメトロから路面電車に乗り換え、スルタンアフメッドという駅で下車した。トルコの冬は、東京のそれよりも寒く、今まで、比較的暑い国を旅してきたこともあり、余計、身にしみるようだった。しかし、その乾いた冷たい空気が逆に新鮮さを僕に与え、新しい土地に来たということを、これでもかという程、実感させた。

スルタンアフメッド地区は観光客の集まる地区なので、ゲストハウス探しには困らなかった。すぐに適当な所を見つけ、チェックインを済ませた。このスルタンアフメッドという地区は、旧市街というカテゴリーに属しており、古い街並が至る所に残されていて、それでいて、古ぼけた印象を与えることはなく、決して敷居は高くないが、品があり、とても美しかった。アジアの旅ではお目にかかれなかった文化的な匂い、匂いというよりは香りと言っても良い位、その街並は美しかった。

美しい街並ももちろん印象に残ったが、もう一つ、イスタンブールの思い出として真っ先に浮かび上がるのが、サッカートルコリーグを観戦したことだ。イスタンブールには、ベシュタクシュ、フェネルバチェ、ガラタサライという三つのクラブがあり、そのどれもがリーグ屈指の強豪であることから、トルコの人々は、この三つのクラブを総じて、ビッグ3と呼んでいる。

少し昔の話になるが、2002年の日韓ワールドカップ。初の決勝トーナメント進出を果たした日本の夢を、コーナーキックからのヘッドで一瞬のうちに打ち砕いたウミト・ダバラも、かつては、このビッグ3の中の一つ、ガラタサライでプレーしていた。日本を破ったトルコは、その後、快進撃を続け、初出場のワールドカップで、三位という好成績を納める。そんなフットボールの国で、リーグ戦を観戦することは、僕にとって、イスタンブール観光のメインであり、トルコに行くと決まった時点で、心に決めていたことだった。

ビッグ3のうち、どのクラブのゲームを観戦してもよかったのだけれど、滞在期間と試合日程を照らし合わせ、ガラタサライのホームゲームを観戦することにした。かつて、稲本潤一も所属したことのあるリーグ屈指の強豪は、日本での知名度も抜群で、近年は日本におけるトルコサッカーの代名詞といっても過言ではないと、僕は勝手に思っている。ガイドブックで調べたホームスタジアムまでは、路面電車とメトロを乗り継いで、すんなりとたどり着いた。

そして、劇場(スタジアム)へ

スタジアム周辺は、赤と黄がトレードマークの、ガラタサライのユニフォームスを来たサポーターで溢れかえっていた。スタジアムに併設されているチケット売り場で、当日券を買い求める。最も安価なゴール裏の席はすでに完売しており、「一番安い席を」と言って差し出されたのが、日本円で、約5,000円の席だった。遅くなったが、トルコの物価は東南アジアのそれと比べるとかなり高く、物にもよるが、おおよそ、日本の五、六割程度で、ことサッカーのチケットに関しては、日本のJリーグの価格と変わらないようだった。予定外の出費となったが仕方がない。日本以外の国で、その国のリーグ戦を観戦することは、長い間、望んでいたことだった。

チケットを買い終わり、スタジアム周辺をウロウロしていると、ガラタサライのユニフォームを着た、恰幅の良い中年男性に声をかけられた。

「日本人ですか?」

その言葉に驚き、顔を見ると、どこをどう見ても生粋のトルコ人だった。彼はビールを片手に相当気分が良くなっており、日本語で、ベラベラと僕に話し始めた。彼がトルコ絨毯の店を経営していること。日本人の客が多いので、そのために日本語を勉強したこと。そして、もう一つ、彼は、僕にとってとても有益な情報をくれた。

「今日の試合は、このスタジアムでは行われません。新しいスタジアムで行われます。一緒に行きましょう。」

なんということか。この中年男性に出会わなければ、僕は、購入したチケットを手に握りしめたまま、試合の行われないスタジアムで、延々と待ちぼうけをしていたことになる。なんという幸運。

その中年男性の友人二人を加えて、メトロで新スタジアムに向かった。メトロの中は、ガラタサライのユニフォームを着たサポーター達で、お祭り騒ぎの状態だった。皆、酒を飲み、応援歌のようなものを歌っている。日本では、まずありえない光景だ。こういった試合開始までのプロセスも含めてサッカーなのだと思う。

「稲本はとてもいい選手でした。できればもっと長く、うちのチームにいてもらいたかった。」

中年男性は、懐かしそうに、そう話す。僕は、当然、日本人として、少し鼻が高い気分になる。

「ガラタサライは、今期は、あまり調子が良くありません。でも、昔は本当に強かった。スペインやイタリアの強いクラブよりも、もっともっと強かった。」

少し悲しげに、それでも、それ以上に誇らしげにそう言った。その話し振りから、彼が、生粋のガラタサライサポーターで、クラブをとても愛していることが、すぐに分かった。自分の愛するクラブを持っているという幸せ。当の本人は感じていないだろうが、僕には、嫉妬してしまいそうな位、ガラタサライと共に生きる彼の人生が、素晴らしく、幸せなものに見えた。

試合が行われるスタジアムは、近代的で、その大きさ、設備共に、ガラタサライという、トルコを代表するクラブに、申し分のない造りだった。中年男性達とは、観戦する席のカテゴリーが違うので、スタジアムに入ったところで、礼を言って別れた。ガラタサライというクラブが、この短い時間の中で、僕に、小さな出会いと別れをもたらしてくれた。きっともう、彼らと会うこともないだろう。

程なくして、満員のスタジアムで、試合が始まった。不思議と、試合内容はあまり覚えていない。相手は、名前も聞いたことのない地方の下位チームだったと思う。覚えているのは、ガラタサライの攻撃がチグハグで、パスもあまり繋がらず、あの中年男性の言っていた通り、今期は、調子があまり良くないのだなと思ったこと。それでも、なんとか一点をもぎ取り、1対0で勝利を納めたこと。そして、何より、トルコ語の大歓声と熱気がスタジアム中に溢れ返り、四方を赤と黄に染めていたこと。結果的に、ゴールが決まった瞬間の大歓声の中で、ガラタサライが自分の愛するクラブではないが故の孤独感を、満員のスタジアムの中で味わうこととなった。

試合後、笑みを浮かべて、勇み足で帰路につくガラタサライサポーターを横目に、その喜びに、心から共感できないもどかしさを抱えながら歩いていた。日本人の僕の顔を見ると、口々に「イナモト、イナモト」と声をかけられる。自分が日本人であるということを、そう呼ばれる度に、強く、強く自覚した。

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