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エディルネの思い出 - Turkey vol.2 -


イスタンブールでガラタサライの試合を観戦し、満たされた僕が次に向かったのは、エディルネという小さな町だった。エディルネは、トルコ最西部の田舎町。イスタンブールから、バスで約3時間の所にあり、これといった観光資源もない。イスタンブールの喧噪が嘘のようにのんびりとした町で、同時に、隣国であるブルガリアとの国境まで10キロ足らずという、国境の町でもある。僕が、そんなエディルネに訪れたのは、多くの旅行者がそうであるように、ブルガリアに抜けるためだった。エディルネの町で一泊し、翌日、すぐにブルガリアに向かう予定だったのだ。しかし、結果的に僕は、この町に3泊もしてしまうことになる。さして観光する場所もないこの町に、なぜ3泊もすることになってしまったのか、これからお話していこう。

正午頃にイスタンブールからのバスに乗り、エディルネに着いたのは、夕方近くだった。町の人に聞きながら、なんとか安宿まで辿り着き、一息入れてから町に繰り出す。日はすでに傾きはじめていて、西日が町をオレンジ色に染めようとしていた。町のメインストリート(と言っても、車道はなく遊歩道だけの道)では、仕事や学校帰りと思われる人々が、賑やかにおしゃべりしながら歩いている。おそらく、夕暮れ時が、この町の最も賑やかな時間帯なのだろう。しばらく歩いていると、大衆食堂を見つけた。思えば今日は、イスタンブールで朝食を食べてから何も口にしていない。少し早いが、夕食を摂ることにした。中に入ってみると、店内は地元客で溢れかえっていて、活気があった。

こういった大衆食堂で、地元の人が食べる料理を口にするのも、旅の楽しみの一つだ。トルコのこういった店の多くは、日本でいうデパ地下の総菜売り場のようになっている。たくさんの作り置き料理が並んでいて、その中から自分で好きな物を注文する。自分の目で見て選べるので、言葉が分からなくても安心だ。パスタのようなものとフライドポテトを注文した。トルコ料理は日本人の口に合うのか、何を食べても美味しい。お腹が空いていた僕は、ひたすらに黙々と食べ始めた。すると、隣のテーブルにいた、二人組の青年の一人が話しかけてきた。

「こんにちは」から始まり、

「どこからきたのか?」

「年齢はいくつだ?」

「どのくらい旅をしているのか?」

片言の英語で質問してくる。僕も、片言の英語でそれに答える。僕が「日本から来た」と言うと、彼らは驚いたと同時に、嬉しそうな顔をした。きっと、日本人が珍しかったのだろう。ましてや、観光客自体少ないであろう田舎町だ。そんなことを思っていると、彼らの方が先に食事を終え、席を立った。僕が、

「ギュレギュレ」(トルコ語で「さようなら」)

と言うと、彼らは一瞬驚いたが、すぐに「ギュレギュレ」と応え、微笑みながら手を振り去っていった。

その後すぐに僕も食事を終えて、店を出た。もう日が暮れていて、辺りは暗い。程なくして、店の横で先ほどの青年二人が待ちぶせていることに気付く。彼らは僕の存在に気付くと、すかさず話しかけてきた。

「これからどこへ行くんだ? よかったら、一緒にカフェでお茶を飲まないか?」

僕は正直、怪しいなと思い、一瞬迷った。できれば、人を疑うということはしたくはないが、一人で異国を旅している以上、100パーセント他人を信用することはできない。それでも、この時、僕がこの青年二人の誘いに乗ったのは、日が暮れたエディルネの町が寒過ぎて、温かいお茶に目がくらんだのと、この町が醸し出す、ローカルで、どこか温みのある雰囲気からだった。3人で、町の中心地近くにあるカフェに入る。名前は「メイダン・カフェ」と言うそうだ。店内は綺麗で広々としていて、お茶を飲む人や水たばこを楽しむ人で賑わっていた。トルキッシュ・ティーを飲みながら、お互いに自己紹介をする。最初に食堂で僕に話しかけてきた方が、イスマイル。地元の大学に通う大学生だ。もう一人の方が、サルカン。エディルネだけに流通している、地元新聞の印刷所で働いているという。

しばらくすると、彼らの友達もやってきた。イスマイルと同じ大学に通うフルカンと、地元の建設会社で働いているサメットだ。みんな、歳の頃は24、5歳で、僕より少し年下だが、同年代ということにしておこう。みんな日本から来た僕に興味津々で、次から次へと質問してくる。

「東京はどんなところか?」だとか

「トルコのことをどう思うか?」など、話は延々と続く。

みんな、東洋の国から来た、一旅行者である僕を温かく迎えてくれているのが、言葉ではなく、その態度から伝わってきた。片言の英語で真剣に質問してきてくれる。僕も、片言の英語で、真剣にそれに答える。つい数時間前まで、彼らを疑っていた自分が恥ずかしい。僕は、トルキッシュ・ティーを3杯おかわりした。たくさん話したので、すぐにいい時間になり、お茶会はお開きとなった。会計時に自分の飲んだ分を払おうとすると、みんなして

「大丈夫、リュウは払わなくていい」

と言う。僕は申し訳ないと思いながらも、彼らの厚意に甘えることにした。ますます、一度でも彼らを疑った自分を恥ずかしく思った。帰り道、みんなが宿の前まで送ってくれた。イスマイルが言う。

「リュウ、明日はどうするんだ? 昼間、ウチの店に遊びにこないか?」

聞くと、今、大学は休暇中で、両親が経営している雑貨店の手伝いをしているらしい。当初の予定だと、明日はブルガリアに行くはずだったが、こんなに気のいい連中と一日で別れるのも勿体ないと思い、僕は、その誘いを二つ返事で承諾した。

贅沢な時間

翌日、正午頃に約束の店に行くと、イスマイルが一人で店番をしていた。店番と言っても、客はほとんど来ず、トルキッシュ・ティーをごちそうになりながら、お互い色々なことを話した。イスマイルの大学での勉強でのこと、好きな音楽のこと、女の子の好みこと、日本のこと、トルコのこと。程なくして、昼休み中のサルカンがやってきた。僕のことを印刷所のみんなに紹介したいという。イスマイルに「すぐにもどるから」と言って店を出る。サルカンの働く印刷所は、イスマイルの店からほんの2、30メートル行った所にある。中は狭く、従業員は6、7人だった。サルカンが、業員を一人一人紹介してくれ、誇らしげに機械の説明までしてくれた。その後、新聞のカメラマンがいるオフィスにも案内してくれ、そこでも一人一人紹介してくれた。トルキッシュ・カフェもごちそうになった。みんな異国から来た僕を、温かく迎えてくれた。サルカンが僕をみんなに紹介してくれるということは、サルカンの中で、僕という存在を受け入れてくれたからに他ならない。その事実が、ひどく嬉しく、心地よかった。

その日の夜も、昨日のメンバーと「メイダン・カフェ」でお茶をした。トルコでも、イスタンブールなどの都市部ではお酒を飲む人も多く、他のイスラム諸国に比べて、比較的、戒律は緩いようだ。しかし、厳格なムスリムである彼らは、一切お酒を飲まない。よって、最大の楽しみは、こうして友人同士で卓を囲み、お茶やコーヒーをを飲みながら話すことなのだ。昨日から、彼らのお世話になりっぱなしの僕は、今日、あるプレゼントを用意していた。

昨晩、彼らと別れた後、僕は宿でずっと考えていた。一旅行者である僕を温かく迎え入れてくれた彼らに、何かお礼がしたい。簡単で、みんなで共有できるもの。しかし、特にこれといった特技のない自分に何ができるだろうか。思いついたのは、ありきたりだが、折り紙を折ることだった。旅に出る前に、念のため、バックパックに入れておいたのを思い出したのだ。それに、折り紙なら、みんなで折ることで思い出を共有できる。かくして、「メイダン・カフェ」での折り紙教室が始まった。題目は、「鶴」だ。理由は簡単。僕が折れるのが、これしかないからである。まず最初に、僕がお手本で、みんなの前で折り方を見せる。みんな興味津々だ。すぐにやらせてくれとせがまれたので、各々に折り紙を渡して、それぞれ個別に指導することになった。店の店員や他の客も、珍しがって近寄ってきた。みんな最初は、試行錯誤していたが、何回か折っていくうちに、すぐにマスターしてった。一番器用だったのはイスマイルで、僕より上手いのではないかと思う位、キレイな鶴を折っていた。サルカンは自由な発想で、自分で考えた折り方で花を折りはじめた。フルカンは、一番手こずっていたが、何度か折るうちにマスターした。サメットは、この折り紙を非常に気に入ったらしく、みんなが折り終わってお茶を飲んでいる間も、一人黙々と折っていた。折り紙を通して、一人一人の性格が垣間見えたようで楽しかった。

みんな、楽しそうに折ってくれて、喜んでくれたようで何よりだった。口々に

「教えてくれてありがとう」

と言われると、なんだか少し恥ずかしかったが、同時にすごく嬉しかった。彼らとの絆が深まった瞬間だ。その後は、昨日と同じように、お茶を飲みながら色々な話して、その後、イスマイルの住む大学の学生寮に招待された。そこでは、「これが今トルコで人気の歌手だ」と音楽を聞かせてくれたり、テレビを見たりして過ごした。もちろん、お酒は飲んでいない。今回、彼らとの距離を縮める為に選んだ手段は折り紙だったが、折り紙を教えたから、彼らとより仲良くなれたのではない。彼らの為に何かをしたいと思いながら折り紙を教えたからこそ、仲良くなれたのだ。手段は所詮、手段に過ぎない。大切なのは、その奥にある気持ちなのだ。それが伝わったからこそ、僕は彼らとより仲良くなれたのだ。そんなことを、この時の僕は感じていた。

次の日も、昼間はイスマイルの店に遊びに行き、夜はお決まりの「メイダン・カフェ」でお茶をした。この夜、僕は、明日ブルガリアに向けて出発することをみんなに伝えた。名残惜しけれど、彼らに会うのも今夜が最後だ。いつものようにお茶をしていると、イスマイルが

「みんなでエディルネの町を歩こう」

と言い出した。「メイダン・カフェ」を出て、町のメインストリートをみんなと話しながら、あてもなく歩く。この夜は雪が降っていて、小さなエディルネの町は、どこか寂しく悲しげな雰囲気だった。雪の中を、20分程歩いただろうか。もう、時刻も11時近い。明日のこともあるし、そろそろ帰ろうか、でも、もう少しみんなといたいなと思っていると、誰かが「リュウ、学生寮に行こう」と言い出した。彼らも、僕との別れを名残惜しんでくれているのかと思い、嬉しくなった。学生寮でも、特に何をするわけでもなく、TVを見たり、お茶を飲んだりしているうちに、時間が過ぎていった。なぜ、日本から来た、見ず知らずの自分にこんなに親切にしてくれるのだろう。最後にそれを聞こうと思っていたが、野暮だなと思いやめた。そのかわり、親切にされた分を、いつか自分が見ず知らずの誰かに返そうと思った。その繰り返しで、世の中はきっと今より良くなるはずだ。そんな大それたことも少し考えた。

やがて時計の針は12時を回り、さすがにもう帰ろうかという雰囲気になってきた。帰り際、みんなが宿の前まで送ってくれる。恋人同士だったら、今夜は雪も降っているし、別れを惜しんでロマンチックに抱き合ったりでもするのだろう。けれど、あいにく僕らは全員男だった。それでも、僕はみんなに抱きついてしまいたい位、感謝の気持ちで一杯だった。

「ありがとう、ありがとう」

そんな言葉しか出てこなくて、彼らも口々に「リュウ、ありがとう」と言ってくれた。最後にぼくは、みんなに「ギュレギュレ」と言い、彼らも「ギュレギュレ」と応え、微笑みながら手を振った。僕は宿の玄関をくぐり、彼らは雪の降る町を歩きはじめた。僕は、一人で宿の部屋に着いた時に後悔した。トルコ語で、「また会いましょう」という言葉を覚えておけば良かったなと。でも、それは、次にこのエディルネの町に来る時までの、宿題にしておこう。翌日、僕はブルガリアに向かった。

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