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川を越える - Guatemala vol.1 -


グアテマラへの道。今まで、国境を越える時は、そのほとんどが、バスか徒歩によるものだった。しかし、今回、無数にあるメキシコ~グアテマラ間の国境の中で、僕が選んだそれは、互いの国土を細い一本の細い川が隔てており、国境を越える者は、小さなボートで、その川を渡ることになる。このルートを選んだのは、成り行きというか、偶然、旅のルートの延長線上にあったので、そうせざるを得なかっただけなのだが、ポートで川を渡りながら国境を越えるという希有な体験に、僕の胸は踊っていた。

人間が5、6人も乗れば満員になってしまいそうな小さなボートのエンジンが、ドッドッドッと頼りない音を響かせながら、どこが国の境目かも分からない川を横断していく。もし、この川で魚が取れたら、その産地はメキシコ産か、はたまたグアテマラ産か。いや、この辺りの国の消費者は、そんな産地表記を気にするほど、神経質ではないのかもしれない。容赦なく降り注ぐ太陽は、この日も相変わらず元気いっぱいで、その眩いばかりの光線は、濁って底の見えない水面を黄金色に染めていた。ほんの五分足らずの船旅で、僕のいる国は、メキシコからグアテマラに変わった。しかし、グアテマラ側の川岸に着いた時、その実感は全くと言っていいほどなかった。それもそのはずだ。小さな川の片岸から、反対側のそれに移動しただけで、そこが別の国だと言われても、実感など湧くはずもない。あるいは、自分が国境というものを重々しく捉えているだけで、実際、この辺りに暮らす人々にとっては、国の境目など、その程度のものなのかもしれない。「国境を越える」ということに、特別な感情を抱くことのできる自分は、幸せ者だ。

グアテマラに入国してまず最初の変化は、通貨が今までのペソから、ケツァルという聞き慣れないものに変わったことだ。その名前は、グアテマラの国鳥「ケツァル」に由来しているらしい。ケツァルは、古代アステカの時代から、神の使いとして崇められていた鳥で、小柄な躯に長い飾り羽を持ち、また、原色のその羽は色鮮やかで、見る者を魅了する。稀にしか見ることができないことから、「幻の鳥」とも言われ、このケツァルを見るためのツアーが組まれるほど、現代においては希少価値の高い鳥だ。そんな神秘的な鳥の名前を通貨にしてしまうあたりに、グアテマラの人々の、土地に対する愛着を窺い知ることができる。

ボートを降りた所で、寄ってきた両替屋に、ペソとケツァルを両替してもらう。そこからまた少し歩くと、右手に小さな商店兼食堂が、左手に、粗末な造りの土産物屋があった。ここからは、バスでフローレスという町まで移動することになっている。時間が経つにつれ、外にテーブルを構える食堂の軒先には、バスを待つ人々が集まり始めていた。しかし、食堂の斜め向かいに停車しているバスは、まだしばらくは発車しそうもない。仕方なく、僕も、中の商店で飲み物を買い、表に出て、空いていたテーブルの椅子に腰を下ろした。僕の隣には、平たい皿に、パサパサしていそうな米、いかにも固そうな牛肉と、野菜のピクルスのような物が一緒に盛られたグアテマラ式定食のようなものを、現地人らしい若い男性が食べていたが、その定食のような食事は、お世辞にも美味しそうには見えなかった。メキシコから川を一本渡っただけにも関わらず、これ程までに食事が貧相になるとは予想外だった。同時に、やはり、メキシコとは違う国に来たことを実感した。「メキシコで食べたような美味しいタコスは、もう食べられないのかもしれないな」などと先行きの不安を案じていると、定食を食べていた若者が話しかけてきた。

「どこから来た?」から会話は始まった。彼は、グアテマラの南東に位置する、ホンジュラスから来たホンジュラス人で、スペイン語が公用語の国において、流暢に英語を話す所を見ると、おそらくは大卒か、あるいは、それと似た高等な教育を受けているのだろう。どうやら、仕事の関係で、メキシコに行っていて、これからグアテマラのある町まで行く途中だという。物腰が柔らかく、朗らかな笑顔が印象的で、そんなところからも、出自の良さが伺えた。「ホンジュラスには行くのか?」中米を南下するにあたって、ホンジュラスは避けては通れない国だ。「行くつもりだ。多分。危険かい?」と尋ねると、それまでの柔らかい態度は崩さずに、「我が国には、たくさんの問題がある。くれぐれも気をつけるように。」やや語気を強めてそう答えた。「たくさんの問題がある」そう言われると、ただ単に「危険だ」と言われるよりもずっと、心にズシリとくるものがあった。そして、その言葉は、僕に対して危険を喚起すると共に、彼自身に言い聞かせているようでもあった。

ホンジュラス人の彼は親切で、バスの発車時刻も教えてくれた。やがて発車したバスは、舗装されていない道を、土埃を上げながら走り抜ける。その土埃が、窓の隙間から、容赦なく車内に入り込んでくる。窓を閉め切ってしまえばとも思うのだが、気温が高く、それも望ましくないのだろう。斜め前方に座っているホンジュラス人の方をに目をやると、彼も「参ったね」という表情で笑いかけてきた。発車してから、10分位走っただろうか、バスは、水色と白のグアテマラ国旗の色を配した小さな小屋の前で停車した。イミグレーションだ。グアテマラには入国していたが、入国審査をまだ受けていなかったのだ。もし、このイミグレーションを素通りしてしまえば、パスポートに入国スタンプを押されることはなく、不法滞在ということになってしまう。イミグレーションでは、恰幅のよいおじさんが、何を聞いてくるわけでもなく、慣れた手つきでパスポートにポンとスタンプを押してくれた。これで、僕は、晴れて正式にグアテマラへの入国許可を得たことになる。

その後もバスは、悪路をひた走る。僕の右斜め後ろには、7、8歳と思われる、少年と少女が並んで座っていた。互いに寄り添うように座るその姿から察するに、おそらくは兄弟なのだろう。どうやら、外国人である僕のことが気になるらしく、チラチラとした視線を僕に送っていた。まるで、東洋人を目にするのが初めてかのような好奇の視線だったが、悪意を感じる類いのものではなかった。その視線に耐えかねた僕は、その子供たちの方を向いて、「オラ」と優しい口調で挨拶してみた。男の子の方は、声は出さないのの、僕の方をチラッと見つめ返してくれたが、女の子の方は、僕が視線を向けると、恥ずかしがってすぐに目を逸らしてしまう。おそらく、外国人と挨拶を交わすことなど、生まれて初めてなのだろう。それは、彼、彼女らがあまりに若過ぎるからなのか、それとも、彼らの生活範囲において、外国人との接触自体が皆無なのか、あるいはその両方なのか。2、3回そんなやり取りを繰り返して、男の子も女の子も、小さな声で「オラ」と返してくれた。そんな子供達の初々しい態度に嬉しくなると、例のホンジュラス人も、こちらを見て微笑んでいた。

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