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花の島と遺跡と - Guatemala vol.2 -


フローレスは、「ティカル遺跡」にほど近い、観光業で栄えた町で、僕の目的もまた、そのティカル遺跡だった。しかし、グアテマラ入国を果たした僕には、一つの大きな不安材料があった。それは、この国と、もっと言えば中米全体の治安についてだ。

グアテマラの治安については、インターネット、その他の旅行ガイドブックを見ても、悪い噂には事欠かない。日本にいる時、僕がこの国について知っていたのは、コーヒー豆の一大産地であることと、色鮮やかな民族衣装を身にまとったインディヘナ達が暮らしていることの二つだけだった。加えて発展途上国ということで、それなりに治安の心配もあるだろうが、それほど気を揉むことでもないと当初は考えていた。しかし、インターネットで、または、本でグアテマラの情報を調べれば調べる程、その楽観的な考えは、どこかへ吹き飛ばす必要があった。バスなど交通機関でのスリや置き引きはもちろん、近年は、青少年ギャング団と呼ばれる、冗談なのか本気なのか良く分からないネーミングの集団によるバスジャックが横行していて、運転手が殺されることも珍しくないという。そんな旅行者の不安を煽る情報が、次から次へと出てくるのだから、慎重になるのも必然だった。

そんなだから、フローレスに着いた僕は、今まで巡ってきた国々とは比較にならない位ビクビクしていた。しかし、いくら危険だと言われても、その程度が分からない。どの時間に、どこへ行けば危険なのか。夜の人気のない場所が危険であろうことは容易に想像できたが、それは昼間でも一緒なのか。とにもかくも、その「危険」の意味合が、今までとは違うらしいことだけは理解するよう努め、西日の差しかかる町を歩き始めた。

スペイン語で「花」を意味するここフローレスは、大きく分けると二つのエリアに分断される。地元の人が多く暮らすであろうローカルな地域と、そこから河を隔てた向こうにある、主に旅行者が滞在するフローレス島だ。旅行者の集まるフローレス島には、当然、ゲストハウスや土産物屋、カフェ系の飲食店が多くなる。僕も当然、そのフローレス島に滞在することにした。そして、このフローレス島に限っては、危険な雰囲気はほとんど無かったが、それでもここは、初めての中米・グアテマラ。油断は禁物だ。

フローレス島は、河の中に浮かぶ小さな島で、夕暮れ時になると、穏やかで流れのほとんどない河に、子供達が次々と飛ぶ込んでいく。夕日に映える子供達の姿は、タイのノーンカーイを思い出させた。河の対岸にラオスを臨むノーンカーイもまた、メコンに沈む夕日と、その水面に飛び込んでいく子供達の姿で、僕の心に記憶されていた。河に飛び込む子供達を尻目に、大人達は、コンクリートで固められた川岸に座り込み、何人かで丸く輪を作って、何やら話し込んでいる。なんのことはない、世間話をしているのだろう。中には、寄り添うカップルの姿も見える。東南アジアでは屋台で食事をしながら、トルコなどの中東では、カフェで水タバコをくゆらせチャイを飲みながら、そしてここでは、夕日をバックに河岸で座り込みながら。旅中に何度も目にしてきた、穏やかな時間を共有する人々の姿が、そこにはあった。河岸に吹く風はとても優しくて、吹き付けるわけでもなく、肌にまとわりつくわけでもなく、体を優しく包み込んでいく。その緩やかな風が運んでくる安心感は、日が沈んでも変わらなかった。光がなくなったことで、多少は回りに注意を配りながら歩くことにはなったが、地元民も欧米人の観光客も出歩いているし、危険な雰囲気はほとんど感じなかった。どうやら、人気の無い裏道などに迷い込まない限り、たとえ夜でも、ここフローレス島の治安は、おおむね良好らしい。しばらく河沿いに歩いていくと、テラスのあるレストランを見つけたので、そこでビールを一杯飲んだ。

「Gallo」という名前のそのビールは、パッケージにポップなニワトリがデザインされている。「Gallo」とは、おそらくニワトリという意味なのだろう。この町がさほど危険ではなさそうなこと、そして、晴れて「中米」に入ったことを祝い、一人で乾杯した。

この穏やかな島で数日を過ごした後、僕は、ティカル遺跡のツアーに申し込んだ。ツアーと言っても、遺跡に向かうバスとチケットが確保されているだけで、遺跡内では自由行動だ。一人で気の向くままに観光できるのは、何よりの利点だった。ツアーの日の朝は早く、午前5時頃に起床した。フローレス島は、気温は高くとも湿度は低く、カラッとしていて過ごしやすかったのだが、どうやらティカル遺跡のある場所は、日中の暑さが厳しいため、早朝に出発し、できれば午前中に観光を終えるのがベストだと、旅行会社の人が言っていた。そんなわけで、まだ暗闇の残る中、僕たちを乗せたバスは、ティカル遺跡に向けて出発した。

バスは、グアテマラ国境から乗ったバスの時と比べればまだマシだったが、お世辞にも舗装が行き届いてるとは言えない田舎道をひた走り、約1時間後、遺跡に到着する頃には、視界は明るくなっていた。が、まだ太陽の角度は低く、気温はさほど上がっていなかったので、朝特有の冴え冴えとした空気を全身に感じながら、ガイドの説明とともに、遺跡のチケットが配布された。それを受け取ると、ここからはもう自由行動だ。ツアー代に帰りのバス代は含まれていないので、ここからは、気の済むまで遺跡を堪能できる。エントランスを潜り、密林の中へ一歩足を踏み入れると、高校生の時以来忘れかけていた、古代文明への情熱(といっても何かを研究していたわけではないが)が、ゆっくりと体の奥から沸き上がってくるようだった。

「密林の中に眠る古代遺跡」ティカル遺跡には、そんなフレーズがピタリとはまる。遺跡の敷地は広く、ピラミッドや神殿がに点在していて、それら複数の建造物を結ぶ道は、密林の雰囲気を損なわない程度に、歩きやすく、程よく整備されている。そして、肝心の建造物は、おそらく定期的に補修はされているのだろうが、その面影を全く感じさせない程自然に仕上がっている。とりわけ印象に残っているのは、生い茂る林の中にポツンと佇む、崩れかけた台形の低いピラミッドで、その崩れ方は、美観を損なわず、なおかつ悠久の時を感じさせる秀逸なものだった。その小さなピラミッドをしばらく眺めた後、頂上に登り、じっと目を瞑ると、自分が古代マヤ文明の時代にタイムスリップしているかのような錯覚に陥った。そこで暮らしていた人々の生活や礼拝の様子が想像できる。決して薬物を服用していたわけではない。五感以外の何かが敏感になり、遺跡から無意識に何かを感じ取っているようだった。メキシコのカンクンで会った日本人に、ティカル遺跡の情報を聞いた時のことを思い出した。彼は、テントを持ち歩きながら旅をしている人で、ティカル遺跡にも泊まり込みで行ったらしい。そして、僕がティカル遺跡に行くつもりだと言うと、遺跡内に一泊することを強く勧めてきた。どうやら遺跡内には、キャンプ場のような施設があり、そこにテントを張ることができ、そこでは、それはもう星が綺麗に見えるらしい。たしかに、こんなに素晴らしい遺跡を間近に感じながら、満天の星空を眺めることができたなら、それはどんなに贅沢だろう。

その気になれば、テントもレンタルできたかもしれない。しかし、この遺跡の素晴らしさを甘く見ていた僕は、その準備を怠った。もう一度出直すことも出来なくはなかったが、そうすることも無いだろう。旅をしていると、どんなに素晴らしい景色や環境に出会っても、その場所へもう一度行くことは、今までを振り返っても、ほとんどなかった。なぜかと聞かれると明確な答えは用意できないが、どんな時でも、未知への好奇心が、無意識のうちに働いているのだろう。今いる環境がどんなに素晴らしく、心落ち着くものだったとしても、それよりも素晴らしい環境が、それよりも心落ち着く場所が、きっとどこかにあるはずだと、無意識の内に判断しているのかもしれない。そんな風にして、運良く理想の場所に辿り着くことができたとしても、しばらくすればそこを離れなければならないことは分かっている。それなのに、なぜ旅を続けてしまうのだろうか。一人でいると、余計なことまで考えてしまうから良くない。遺跡から帰るバスの中、その素晴らしさの余韻に浸っていると、窓側に座っていた欧米人男性が、不意にバンの窓を開け放った。すると、その横にいた、おそらくは他人であろう欧米人女性が、強い口調で「Don't be selfish!!」(勝手に開けないで!!)と言いながらガッと窓を閉めた。活発そうな女性の言い放ったその力強いフレーズが、なぜだか耳から離れずに、頭の中で反すうされていた。

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