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しばしの休息 - Belize vol.1 -


朝もやの残るベリーズ側の国境で、僕は呆然と立ち尽くしていた。グアテマラからベリーズに入国する際、日本人にはビザが必要だが、それを日本のベリーズ大使館で取得していなかった僕は、国境でビザを取得するはめになった。それが可能なことは、フローレスからベリーズの首都・ベリーズシティに行くバス会社の人にも確認済だ。しかし、事前にインターネットで調べた情報によると、グアテマラ・ベリーズ間の国境でビザを取得するのには、かなりの時間がかかり、バスも二十~三十分程度しか国境で待ってくれないので、結果、バスに乗り遅れ、ベリーズに入国した途端、待ち伏せていたタクシーを利用するはめになるという事例が多々あるらしい。

ただ、そういった情報を聞いた所で、それ以外にフローレスからベリーズに入国する手段も無く、あるいは、首都のグアテマラシティにあるベリーズ大使館に行けば、グアテマラにいる間にベリーズビザを取得することも可能だったかもしれないが、わざわざグアテマラシティに行くのも面倒だったし、第一、何日かかるか分かったものではない。特に先を急ぐ必要も無かったが、それでも、時間の無駄になりそうなことはしたくない。まだ薄暗い早朝、僕は花の島・フローレスを後にした。

バスの中はガラガラで、乗客は、僕と欧米人のカップル、数組の現地人だけで、残りはドライバーとガイドだった。連日の早起きでウトウトしているうちに国境へ着き、ガイドが「三十分だけ待つ!」と大きな声で叫び、僕達はバスを降ろされた。グアテマラ側のイミグレーションでスムーズに出国手続きを済ませ、ベリーズの入国審査へと向かう。先に並んでいた欧米人は、既にビザを取得しているのか、あるいは不要なのか、すんなりと入国ゲートを通過していく。僕は、ビザ申請のための書類を書かなくてはならないので、木製の粗末なテーブルに立ちながら、書類へ必要情報を記入していく。記入事項が多い上に、大抵の国境では、こういった書類は、ある程度適当に書いてもすんなり通過できていたが、今回に限ってはそう簡単にはいかず、書いてはダメ出しをされ、書いてはダメ出しをされ、三度目でやっとOKをもらうことができた。

しかし、手続きはこれだけでは終わらない。今度はビザ代を支払うために、別室に通される。ドアを開けると、ガッチリとした体格の黒人男性が僕を出迎えた。ビザ申請の旨を伝え、US一〇〇$とパスポートを手渡すと、僕の顔を一瞥し、ゆっくりと作業に取りかかり始める。顔にはうっすらと笑みを浮かべ、フレームの細い眼鏡が知的さを演出している。一見物腰が柔らかそうに見えるが、その声は風貌に似つかしわしくない甲高さで、どこかこちらを見下している風にも見える。ゆっくりと、良く言えば丁寧にビザ発給の手続きを終えた彼は、やはりうっすらと笑みを浮かべて、僕にパスポートを返してきた。そして、そのまま僕に背を向け、奥のデスクに戻ろうとする。「US五十$を返してくれ」ベリーズのビザ代がUS五十$なのは事前に調べてあったし、こんなに短期間でビザの料金が倍に跳ね上がるということは、いくらなんでもないはずだ。すると彼は、映画のワンシーンのように、わざとらしく思い出したふりをして、見慣れない一〇〇$札を僕によこした。僕が不思議そうにその紙幣をまじまじと見ていると、「これはベリーズ$で、US五十$と同じ価値がある」と得意げに説明した。一US$が二ベリーズ$。おそらく固定相場なのだろう。

やり取りが終わると、僕は部屋を飛び出し、急ぎ足で外に向かった。ゲートを出ると、そこはもうベリーズで、国境を越えた人々、これから越える人々、バスや車やタクシーでごった返している。しかし、フローレスから僕が乗ってきたバスは、どこを探しても見当たらない。約束の三十分は、とう過ぎていたのだ。書類を何度も書き直した時点で、ある程度は予想していたものの、実際に置いてけぼりを食らうと、やはりそれはショックだった。呆然と立ち尽くす僕に、タクシードライバーの一人が声をかけてきた。

「バスはもう行ったよ。タクシーでベリーズシティまで連れてってやる」

これはもう仕方がない。

「ベリーズシティまではバスで行きたいから、一番近いバスターミナルまで連れてい行ってくれ」

グアテマラからベリーズに入って変わったことがある。それは、バスの中を流れる音楽が、ラテンの民族音楽から、陽気なダンスホールレゲエに変わったことだ。乗客も、体格の良い黒人系が目立つ。ここベリーズは、一九八一年にイギリスから独立するまでは、英領ホンジュラスと呼ばれ、現在でも中米で唯一、英語を公用語としている国だ。ここに住む黒人系の人々は、イギリス統治時代に、アフリカ大陸から奴隷として連れてこられ、労働力として活躍していた人々の末裔なのだろう。通貨であるベリーズドルには、エリザベス女王が不敵な笑みを浮かべている。その歴史的背景と、ドレッドヘアにバギーパンツを履きこなした黒人が、レゲエのリズムに乗って体を揺らす様子を見て、ジャマイカは、きっとこんな場所なのかもしれないなと、勝手に想像してみた。

ベリーズシティに着いてから、船でキーカーカーという小さな島に向かうことにした。治安も悪く、見所の少ないベリーズシティよりも、カリブ海に浮かぶ小さな島で、つかの間のリゾート気分を味わうことが、ベリーズに来た目的の大半だ。船と言ってもそれは、せいぜい20人程が乗れるくらいの、ボートに近いものだった。ベリーズシティを出発する時は、濁って水中が見えかった海も、キーカーカーに近づくにつれ、次第にその透明度を増していく。水しぶきが太陽に照らされ、宝石のようにキラキラと空中に跳ね上がる。それを浴びながら、埃っぽい旅を続けて緊張していた心が徐々に解きほぐされ、ソファーで寛いでいるような、ゆったりとした気分になっていく。揺れも少なく心地よい船旅は、海面がエメラルドグリーンになった頃、終わりを告げた。

キーカーカーは、まさにバックパッカーのリゾートとでもいうような島で、高級ホテルやカジノはないが、その代わりに、美しいエメラルドグリーンのカリブ海と、まばゆいばかりの太陽の光、そして、それらを優しく包み込む潮風があった。島は完全に観光客向けにアレンジされていて、ゲストハウスやホテル、レストランがたくさんあったが、どこかあか抜けていなく、そこが逆に居心地を良くしてくれるようだった。日中は浜辺で日焼けをしたり、ビールを飲みながら浅瀬に体を半分くらい預けてボーッとしていると、ドレッドヘアーにサングラスを決めた黒人達が、「ヤーマン!」言いながらガッチリと腕を組んで挨拶を交わしている。海辺のバーから流れる音楽はボブ・マーリーで、酔いも手伝い、体がとろけそうになる。これ以上の贅沢はないように思えた。かつては奴隷の子孫達は、今日、自由を手にしているようだ。実情も分からずにこんなことを言うのは良くないのかもしれないが、僕の目にはそう映った。日が傾いてきたら、涼しくなった海辺をビール片手に散歩するのも楽しいし、適当に腰を下ろして、夕凪を浴びながらひたすらにボーッとしてみるのもいい。この島での生活は、旅ではなく、ただただ「休息」といえるものだった。

メキシコでもグアテマラも、場面場面の切れ端に、どこか哀愁を感じる瞬間があった。それは、フローレスで、湖に落ちていく真っ赤な夕日を眺めている時だったり、カンクンで工芸品を歩き売りしているインディヘナの笑顔に、ふと、浮き世から隔離されたような、悲しみの陰を見た時などに感じたものだったが、ベリーズで、そういった瞬間に出会うことはなかった。それは、バスの中や商店に流れるレゲエミュージックのせいだったり、キーカーカーの透明感溢れるカリブ海に降り注ぐ太陽のせいだったり、もしくは、それがスペイン語圏と英語圏の違いなのか、そんなことは関係ないのかはわからない。しかし、ここベリーズが、中米という地域の中で、特異な存在であろうことは、はっきりと感じ取れた。

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