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ブレない人々 - Belize vol.2 -


次に行く場所を考える際に、その要素に土地の名前を取り入れたのは、後にも先にもこの時だけだった。ベリーズ北部の町「オレンジウォーク」これほど分かりやすく、かつインパクトのある地名を、僕は他に知らない。ガイドブックでこの地名を知った時から、是非とも行ってみたいと思っていた。さすがに、オレンジの木が生い茂っているわけではないと分かってはいたけれど。

話は少し遡るけれど、ベリーズに来て驚いたとの一つに、華僑の存在がある。キーカーカーに着いたその日、夕食を食べようと島内をウロウロしていると、焼きそばやチャーハンを看板メニューにしている一軒の店を見つけた。値段もそれ程高くないので入ってみると、店内はさほど広くなく、小さなテーブルが3つ4つ入るのがやっとで、店を切り盛りしていたのは、アジア人の夫婦だった。店内に散在する赤い菱形に金色の縁取りを施した装飾を見て、すぐに中華系なのだと分かった。注文した焼きそばは、芯の残った野菜が入っていて、お世辞にも美味しいとは言えないものだったが、気さくな夫婦で、同じアジア人を見つけて嬉しかったのだろうか、僕が日本人だと分かるとしきりに話しかけてきたのを覚えている。こういった対応をされると、その会話に中身がなくとも、なんだか嬉しい気持ちになってしまう。

また、キーカーカーには何軒かスーパーマーケットがあったが、その内の一つも、やはり華僑の人達が経営する店だった。僕は、海外のスーパーマーケットをウロウロして、大雑把に陳列されたカラフルな商品を見て回るのが好きで、それは、単純に日本とは全く違う商品に物珍しさを覚えるからという理由だったけれど、他にも、地元の人達が購入する食材や日用品、雑貨などを見ることで、少しでもその土地の暮らしを知ろうと無意識の内に考えていたのかもしれない。だから、キーカーカーの何軒かあるスーパーでも、僕は店内を練り歩いた。といっても、そのどれもが規模の小さい店ばかりだったので、面白さを感じることは少なかったけれど、発見もあった。華僑の経営するスーパーには、他のスーパーにはない商品が多く取り揃えてあったのだ。冷凍の中華まんや豚足のようなものから、麺類、米、その他雑貨にいたるまで、パッケージに漢字を使用しているので、一目で中華系の商品だと分かる。これらが売られているということは、島内に、少なくない数の華僑が暮らしているということなのだろう。

ベリーズシティで、キーカーカー行きの船を待っている時に知り合ったオランダ人も、(彼は、以前中国に住んでいた時期があり、僕を見て中国人だと思ったらしく「ニーハオ」と声をかけてきた)昨日ベリーズシティで中国人が二人殺されたと言っていたし、大々的な中華街は存在しないものの、カリブ海に面するこんな小さな国にまで華僑が生息していたことに、驚きを隠せなかった。世界中どこに行っても、彼らは中華料理の店を開き、同族同士で経済を回し、助け合って生きる。そのバイタリティと同族意識の強さには脱帽させられる。純粋に、すごいと思う。もしかすると、彼らには、「どこで暮らすか」よりも、「誰と何をして暮らすか」の方が重要なのかもしれない。だからこそ、華僑は世界中に散らばり、それぞれバラバラの場所で、しかし、本国にいるのと同じようなメンタリティで生活できるのではないだろうか。彼らの再現能力には、素直に感心させられる。メンタルが強いのだなあと思う。

さて、本題のオレンジウォークの人種も、実に様々なものだった。まず、この町でも華僑の存在を外すことはできない。僕がオレンジウォークで泊まったホステルを経営していたのも、中国からきた華僑の方だったし、(その方は、日本の大学に留学経験があり、簡単な日本語を話すことができた)、メキシコやグアテマラにいたメスティーソに加え、キーカーカーにもいたレゲエの似合う黒人が、町の印象にアクセントを加えている。

さらに特筆すべきは、メノナイトと呼ばれるキリスト教一派の人達だ。彼らはドイツに起源を持ち、宗教上の理由により、電気や車を使わずに生活しているらしい。キリスト教の中でも、特に厳しい戒律を守っている人達なのだろう。その存在は、事前に読んだガイドブック中に、民族衣装のようなものを身に付け、馬車に乗った姿で紹介されていた。実際にベリーズに来てみて、その緩やかで南国的な雰囲気を味わった僕は、ベリーズのイメージと、ガイドブックに掲載されていたメノナイトの写真があまりにもそぐわないので、「本当にこんな人達が、この国に暮らしているのだろうか」という疑問が湧いてきた。正直に告白すると、メノナイトが本当にオレンジウォークに存在するのか、もしそうならば、本当にガイドブックに載っていた写真のような格好で馬車に乗っているのだろうか。その疑問が、次第に「オレンジ・ウォーク」というキャッチャーな地名以上に、その町の対する興味の対象となっていった。

オレンジウォークは、オレンジの木が道ばたに溢れているわけでも、ましてやオレンジが名産なわけでもない。ラマナイ遺跡というベリーズ最大のマヤ遺跡への玄関口らしいが、メキシコとグアテマラで素晴らしい遺跡群を見てきた後だったので、さほど興味は湧かなかった。その遺跡以外は、取り立てて何もない小さく牧歌的な町だ。唯一、この町が「オレンジウォーク」らしいところは、長距離バスターミナルにほど近い町の中心に、少し傾いたオレンジ色の時計台が立っていることぐらいだろうか。元々なのか経年変化でそうなったのか、その傾き加減も、時計台自体がポップなオレンジ色ということで、なんだか可愛らしかった。前述したように、この町には、様々な人種が混在している。こんなに小さな町に、これ程多くの人種が暮らしている光景は、なかなか見れるものではない。町を歩くと、華僑、黒人、メスティーソ、みなそれぞれの人種同士で固まっている姿をよく目にした。みな、自分のコミュニティ内で生活しているようだが、それでよく町として成り立っているなあと感心させられる。あるいは、それぞれの人種が、それぞれのコミュニティ内に留まっているからこそ、平和に事が運ぶのかもしれない。

ある時、日中の暑さにやられて、オレンジ色の時計台近くにある公園の木陰で涼んでいた時に、とうとうメノナイトの人達を見ることができた。それまでは、ガイドブックの写真を半ば疑っていたが、その時僕の目の前に現れたのは、紛れもなく、写真で見たままのメノナイトだった。見るからに純粋な欧米人(この言い方もどうかと思うが)で、男性はきっちりとしたワイシャツにカウボーイハットとサスペンダー、女性はヨーロッパの農村にいそうな印象で、アイボリーのワンピース(というのだろうか?肩と手首にふんわりとしたボリュームがあり、ウエストがキュッとくびれている、ひとつなぎの洋服)を清潔に着こなしている。とりわけ、男性の目には、信仰心が強い人特有の、すべてを見透かしているような、強く、それでいて慈悲深い眼差しを感じた。トルコやシリアに行った時に感じたあれだ。この暑いのにワイシャツは長袖で、馬車に乗る優雅なその姿は、砂漠の中のオアシスのようで、なんだか涼しげに見える。「本当にいたんだなあ」という驚きよりも、彼らの放つ異質感に戸惑いを隠せなかった。彼らもまた、「どこで暮らすのか」よりも「誰と何をして暮らすのか」に重きを置いているのだろう。きっと、そのスタイルを突き詰めた結果こうなったのだ。

僕は、新しい「場所」から「場所」へと、何かを求めて旅を続けていた。しかし、その肝心の「何か」は、自分でもよく分かっていなくて、もしかするとそんなものは存在しないかもしれない。ベリーズで暮らす華僑やメノナイトのように、どんな場所に行こうとも、どんな場所で暮らそうとも、ブレない「何か」を手に入れる日は、まだまだ遠くにありそうだ。

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