top of page

プエルト・ロペス1 - Ecuador vol.2 -

  • Ryusuke Nomura
  • 2015年5月30日
  • 読了時間: 7分

エクアドルで最も印象に残っている町はどこかと問われたら、それは「プエルト・ロペス」ということになるだろう。首都であるキトを抑え、エクアドル最大の都市とされているグアヤキルからバスで約3時間。太平洋に面した小さな町だ。キトからバーニョスへ行き、そこからさらに南下してグアヤキル。そこまで、ナカムラさんと一緒に移動してきた僕は、ここで袂を別つことになる。といっても、それはほんの2週間程度のことだった。ナカムラさんがガラパゴス諸島に行っている間、ずっとグアヤキルにいてもなんなので、少し田舎の小さな町に滞在しようと思ったのだ。それで色々と模索した結果、太平洋沿いの「カノア」という町が第一候補に挙がった。そこでは、日本人のサーファーがネットカフェを経営しているらしく、在住者ならではの目線から、エクアドルについての面白い話を聞けるかもしれないと思ったからだ。

しかし、色々と調べるうちに、どうもその方は、今、別の国に旅行しているらしいことが分かった。それならば、数ヶ月間のアメリカ大陸での旅を経て、肌の色こそ海の男になっていたけれど、波間で板の上に立つことのできない僕は、グアヤキルから6時間かかるカノア行きを回避して、ちょうどその中間の「プエルト・ロペス」行きを妥協策として採用した次第である。グアヤキルに到着してから知ったのだけれど、エクアドルの太平洋沿いはサーファーにはものすごく有名な場所で、なんでも、「波」が最高に良いらしい。サーファーの間では、メッカの一つに数えられているそうだ。しかし、最高に良い「波」を目の当たりにしたところで、きっと僕には何も感じることができないだろう。

グアヤキルのバスターミナルは、屋内に数十のバス会社のオフィスがあり、その中から行き先に合わせてオフィスを選択し、チケットを購入する。大きいバス会社などだと、オフィスの前に売り子(といっても男だけれど)が立っていて、大声で行き先を連呼している場合もある。それがなんとも言えない独特なリズムで、例えばキトの場合だと、「キト キト キト キト キィィィィィィ トォォォォォォ!」のような感じで、最後のところで声量と伸びが最大になる。現地の人はなんとも思わないのだろうけど、これがなんとも可笑しくて、心の中で反芻しながらターミナル内をウロウロしていると、色々な男が口々に「どこへ行きたいのか?」と声をかけてくる。

彼らは多分フリーで、一人をバスに乗せるごとに、バス会社から僅かなマージンを得ているのだろう。声をかけてきた男の中の一人に、「プエルト・ロペスに行きたい」と告げると、屋外の発車場まで案内してくれた。彼は、なぜだかカメルーン代表のユニフォームを着ていて、背中にはくたびれたNo.9のプリントがあった。ネームはなかったけれど、カメルーンの九番といえばエトーで間違いないだろう。それにしても、エクアドルで不屈のライオン(カメルーン代表の愛称)を拝めるとは思いもしなかった。フットボールの世界はいつだってボーダレスだ。案内人のエトーは、本人ほどではないけれど、一般的なメスティーソのエクアドル人よりも濃い褐色の肌を持っていて、頭もチリチリの坊主頭だった。前にも書いたと思うけれど、肌の色が濃くなればなるほど、肌と白い歯のコントラストが強くなって、力強い美しさが生まれる。真っ白なキャンバスに、黒い絵の具を勢い良く投げつけたように、作り込まれていない、野性味のある美しさだ。

エトーに案内されるがまま、屋外にある発車場を目指す。彼はラフな服装をしているせいか、最初は若く見えたけれど、僕よりかなり年上のようだ。黒い額には苦労という名の皺が何本も刻まれていた。それでも頻繁に白い歯を見せて気さくに話しかけてくる彼の顔は、前述したように黒と白のコントラストが印象的だったけれど、どこか品がなく、何かに媚びへつらっているように見えた。要するに、詐欺師のようだった。決して彼を卑下しているわけではない。きっと、それが彼の人生において、最善の生き方だったのだ。「別れ際にチップをあげよう」こちらが渡す前に要求してくるであろうことは分かっていたけど、くれと言って貰うのと、何も言わずに貰うのとでは、心理的にかなりの開きがあるはずだ。

いくらだか忘れたけれど、結果的に僕はエトーにチップを渡した。しかし、それは僕から自発的にではない。確かに、先ほどのような気持ちが一瞬頭をよぎったのだけれど、「バックパックを背負って貧乏旅行をしている」という事実を都合良く変換してしまい、結局は、エトーが言い出すまで、財布の紐を固く閉じていたのだ。僕はなんて小さい人間なのだろう。事実を自分の都合に良いように変換できるのは、人間の持つ特別な能力で、時にそれは、ものすごくポジティブなパワーをもたらす。だけど、この時の僕のそれは、ものすごくネガティブなパワーに満ちていた。チップを渡した後、エトーは腕時計の交換を申し出てきた。僕が左手に巻いていたのは、学生時代に秋葉原で買ったボロボロのGショックだ。確か5000円位だったと思う。一方、エトーの腕時計は、出店で売っている子供向けのような、テカテカとした安っぽい質感の金属製だった。

発展途上国における幸福に対する概念には、物質的な要素が強いと思う。経済的に困難な人の割合が多く、個々人が、様々な価値観に基づき自身の幸福を見出すというレベルまで、社会が成熟していないのだ。日本ならば、職種や収入の差こそあれ、とりあえずは、衣食住に困らず、各々の価値観に従って、そこそこの生活ができる。人生を楽しむための資質が、僕ら日本人に備わっているのかは別として、あくまで表面的な話にはなるけれど。しかし、エクアドルのような国では、そんな当たり前の生活をしていくための最低ラインのハードルが、日本とは比べものにならない程、高いのだと思う。

エトーが僕の時計と自身の物を交換したがったのも、そんな理由からのはずだった。僕が日本人であるが故に、日本製=高価と捉えたのか、液晶版のCASIOの文字が見えたからかは分からないけれど、エトーの中で、「高価な物を手にいれる=自身の幸福度を上昇させる」という図式が出来上がっていたことは否めない。僕たち日本人は、(あくまでも)経済的に豊かになっていく過程で、高価なものを購入する際にも、その値段に付随する付加価値を求めるようになったけれど、前述したように、発展途上国ではそうではないことの方が多いのだろう。

どちらが良いのかではなくて、両者の間に違いがあるというだけの話だ。それに、今僕が書いたことなんて、人生を取り巻く限りない事象の中のたった一つに過ぎなくて、他にも大事なことはたくさんあるはずだ。ただ、エトーとのやり取りの中で、違いを感じ、それを文字に変換させたに過ぎない。

結局、時計は交換しなかった。左腕のGショックには、それなりの思い出がいくつか詰まっていたからだ。バナナかサトウキビか、他の何かか分からないけれど背の高い、鈍い緑のプランテーションが延々と続く。中米から見慣れてきた、いや、見飽きてきた風景だ。3時間という短い時間で助かった。僕が移動にバスを使うのは、手段がそれしかないか、もしくは最も安価だからであって、決してバスでの移動が好きだからではない。深夜特急の著者である沢木耕太郎さんは、バスでの移動にこだわっていたけれど、常人離れした思考力を持っていたに違いない。延々と同じ景色が流れていく中で、自分自身や、その他様々な事に思いを馳せてらっしゃったと聞く。その集中力と観察力。だから、あんなに素晴らしい作品を書けるのだと思う。景色や人からといった外部から影響される「想像力」と、自分自身の内部から、ふつふつと湧き出てくるような、一から創り上げる「創造力」そのどちらも、本来人間には備わっている感覚だと思うけれど、そのバランスがうまく取れ、なおかつ高い次元で表現できて初めて、それが「良い作品」と呼ばれるのではないか。

話が逸れた。海を見ると気分が高揚するのはなぜだろう。ザーッという波の音が聞こえてくると、心がざわついてくる。波の音は、僕にとって非日常的なもので、だから、波の聞こえる場所で過ごす時間は特別だ。バスの車窓から僅かに海が見えた時、耳を澄まして、波の音を聞いた時。決して贅沢ではないけれど、特別な時間が始まる予感がした。子供の頃の夏休みが始まる前日のように、特に何か特別なことをするわけではないのに、ワクワクする気持ち。言い表すならば、そんな表現が一番近いだろう。車窓から通りの向こうに海を見つけてからも、バスは一向に止まる気配がない。もしかすると、もう通り過ぎてしまったのではないかと不安になる。ちょうどその時、夕方から夜へ空模様が変わろうとしていたものだから、余計に焦った。時間にすると10分位だったと思うけれど、こういう時は、それが2倍にも3倍にも感じられる。何度か集落を通り過ぎ、暗くて車窓から海が見えなくなった頃、少し遠くに町の灯りが見えた。夏祭りの屋台の出店のように、ぼんやりとした、黄色い灯りだ。そして、その灯りこそが、プエルト・ロペスだった。

Comentários


Follow Us
  • Facebook - Black Circle
  • Facebook - Black Circle
Recent Posts
Search By Tags

© drunk afternoon all rights reserved.

bottom of page