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プリーズ、プリーズ! - Guatemala return vol.1 -


僕は、再びグアテマラに戻ってきた。オレンジウォークからグアテマラシティを経由して、一路、スペイン植民地時代の古い町並が残る古都・アンティグアへ。

グアテマラシティのバスターミナルはいくつかあり、ベリーズ国境からのバスが到着したターミナルと、アンティグア行きのバスが発車しているターミナルは離れているようだった。初めて訪れた街を少し歩いてみたい気もしたが、グアテマラシティが危険な場所だということは、メキシコでもベリーズでも聞いていたので、ここはおとなしく、バスターミナルのすぐ外に待機していたタクシーで移動することにした。この臆病さが、今まで特に大きなトラブルもなく、旅を続けてこられた理由の一つなのかもしれない。

そのタクシーのドライバーは、小太りで、手足の短いずんぐりとした体格のメスティーソだった。年齢は四十を越えた位だろうか。彼がよれた青いポロシャツを着ていたのを、不思議と今でも覚えている。脂肪で膨らんだ顔は浅黒く、肌は荒んでいて、顎あたりから首にかけて、大きなイボがいくつかあった。おそらく、何かの病気なのだろう。その運転手は、貧しさと生活に疲れた雰囲気を醸し出していた。それは、よれたポロシャツや荒れた顔の大きなイボのせいだけではなく、何かこう、内面からにじみ出てくるようなものだった。実際、その運転手の態度からは、毅然さを感じるとまではいかないが、卑屈な感じは一切受けなかったのだ。それにもかかわらず、である。僕は、その暮らしにまみれた運転手を見て、朝から何とも言えない気持ちになってしまった。貧しさに同情したわけではない。ただただ、現実を見せられたのだなと。その日は曇りで太陽が見えず、空は灰色に染まっていた。明け方なのにどんよりとした天気と相まって、そのモヤモヤとした気持ちが、そのままグアテマラシティの印象になった。今でも時々、彼の着ていた青いポロシャツとともに、灰色のグアテマラシティを思い出す。

グアテマラシティからアンティグアまでは、チキンバスと呼ばれる、ド派手な装飾の施された公共バスで移動することになる。このチキンバス、元々はアメリカで使わなくなったスクールバスに、グアテマラ人が思い思いにペイントをしたものらしい。原色を多様していることもあり、見ているだけなら楽しいのだが、実際に乗ってみると、椅子はクッション性などまるでないプラスチックのむき出しで、おまけに3人掛け位に所に4、5人がギュウギュウに押し込められるのだから、たまったものではない。さらに盗難も多いらしく、いかにも旅行者風の僕はただでさえ目立ってしまうので、荷物を両手で抱きかかえ、片時も目を離さないよう注意した。大変だと思うと同時に、初めてのことを経験するのは少し楽しくもある。なんだか矛盾しているけれど。

アンティグアでは、日本人の経営するゲストハウスに泊まった。宿泊客はもちろん日本人がほとんどで、韓国人が数人と、なぜか長期滞在のドイツ人カップルがいた。アンティグアに来た目的は、スペイン植民地時代を思わせる、極めて保存状態の良い教会や、石畳の美しい町並を見てみたいということもあったが、一番は、スペイン語の学校に通うためだった。少しばかり学校に通ったからといって、話せるようになるわけがないのは分かっていたが、アンティグアのスペイン語学校は格安だと聞いていたので、ここは一つレジャー感覚で試してみようと思ったのだ。

宿に泊まっていた日本人たちも、そのほとんどがスペイン語学校に通っていた。話を聞くと、数あるスペイン語学校でも、とりわけ多くの日本人を受け入れているのが「KANO」という学校らしく、宿泊している日本人も、ほとんどがそこに通っているらしい。早速学校に行って値段を聞いてみると、マンツーマンの授業が一日6時間の週五回で、なんと一週間US40$。その時はちょうど1ドル80円台の円高だったので、日本円に換算するとかなり安いということになる(換算しなくても十分安い!)。もしかすると、安い分授業や教師の質が今ひとつということもあるのかもしれないが、こちらはスペイン語が全く分からない初心者なので、その質とやらもおそらく分からないだろう。その場で二週間の授業を申し込んだ。しめてUS80$。これで、ほんの少しでもスペイン語が理解できるようになれば……。

学校初日。これから二週間お世話になる僕の先生は、ファティマという笑顔のチャーミングな、少しぽっちゃりとした女性だった。日に焼けた肌は、健康的でツヤツヤしている。彼女は、当然ながら日本語が話せない。加えて、英語も危うい。英語のレベルは、僕より少しできる位だろう。そのため最初のうちは、一体今、何を教わっているのか分からないという場面に遭遇することが多々あった。しかし、心優しいファティマは、僕のために日本語のプリントを用意してくれ、根気よく何度も教えてくれた。そんなファティマは、優しいだけではなく、なかなか面白い女性でもあった。

彼女は、そのぽっちゃりとした見た目から容易に想像できるが、食べることが好きなようで、ある日、休憩時間にうつむきながら、真剣な眼差しでジッと何かを見つめているファティマがいた。それは、スペイン語の教材でもなんでもなく、ピザ店の写真付きメニューだった。僕がそれを見つけると、彼女は少し恥ずかしそうに、はにかんだ笑顔を見せた。そんな食欲に忠実な彼女も、年頃の女性だ。(たしか24歳か25歳)食べてばかりではなく健康(と、おそらく美容)のため、毎朝自転車で30分程サイクリングをしているという。アンティグアの町は石畳の道がほとんどなので、ガタガタ道を30分もサイクリングするのは大変だろう。なかなかいい運動になるはずだ。しかし、その効果が出ているかは、今のところ確認できなかったが……。

ある日、ファティマが興味深い話をしてくれた。それは、グアテマラの国鳥「ケツァル」についての伝説だ。前にも少し書いたと思うけれど、ケツァルはグアテマラの通過の単位にもなっている長い尾を持つ鳥で、その尾の先は赤く染まっているという。彼女の話では、かつてスペイン人がこの地を侵略しにきた際に、最後まで抵抗を続けた「テコノマン」(もしかすると、正式な発音は違うかもしれない)という勇敢な人物がいた。しかし、激しい抗争の末、やがて彼も帰らぬ人となる。彼が倒れて間もなく、その血まみれの遺体に、一匹のケツァルが舞い降りた。その時、ケツァルの長い尾の先にテコノマンの血が付き、ケツァルはそのまま飛び去って行ったという。だから、ケツァルの尾の先は、テコノマンの血で赤く染まっているのだ。なんとロマンを感じる話だろう。肝心のスペイン語はろくに覚えていないくせに、こういった話に限って記憶にとどめてしまうのもなんだかなぁという感じだが、実にいい話を聞けたと思う。

そうこうしているうちに、時間だけはどんどん過ぎていく。語学の学習に二週間は短過ぎた。挨拶を覚え、数字の数え方を覚え、簡単な定型文を覚えていくと、瞬く間に時間が過ぎていった。しかも、宿に帰ればほとんど日本語しか使わないので、(これは意志の弱い自分が悪いのだが)余計に覚えるのが遅くなる。なので、僕のように意思の弱い人には、グアテマラ人家庭でのホームステイをお勧めする。ここアンティグアなら、提供している家も多く、値段もお手頃のようだ。

最後に、アンティグアで、もう一つ印象に残っている出来事がある。通っていた学校の時間割は、ざっくりと午前3時間、午後3時間の二部制だったのだけれど、その合間の休憩時間に、近くの公園でプリントを見ながら復習をしていると、現地人とおぼしき男性が声をかけてきた。見た感じ年齢は僕より少し上だろうか。彼は、「プリーズ、プリーズ」と言いながら、僕に右手を差し出してきた。おそらく、これが彼の知っている唯一の外国語なのだろう。僕が返答に困っていると、畳み掛けるように「プリーズ、プリーズ」と、前よりも語気を強め手を差し出してくる。その姿からは、ただ単に観光客から金をたかってやろうという浅ましさはなく、切実に生活に困っている様子がうかがえた。彼の顔は疲れきっていて、何度も繰り返される「プリーズ、プリーズ」には、鬼気迫るものさえあった。

自分は、こんなところで一体何をやっているのだろう。高い航空券代を払って外国にまでやって来て、スペイン語学校に通っているはいいが、習得しようと言う努力もろくにせずブラブラしている。きっと手を差し出してきたこの彼は、グアテマラはおろか、下手をするとアンティグアから一歩も外へ出ることなく、一生を終えていくのだろう。こういったことを、その都度真剣に考えてしまっては、途上国を旅などできない。それでも、ふとした瞬間に考え込んでしまう。もしかすると、旅をするということは、こういった矛盾を身をも持って感じ、積み重ねていくことなのかもしれない。と。

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