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サンペドロ・スーラの危険な夜 - Honduras vol.1 -


ニカラグアに行く前、僕は数日間をホンジュラスで過ごした。その時に経験した、何気ない一夜の体験を書こうと思う。「ホンジュラスには、格安でスキューバダイビングの免許を取得できる、ウティラ島という島がある」アンティグアの日本人宿で同室だった大学生に誘われて、僕はホンジュラスに向かった。

ウティラ島のカリブ海もまた美しく、しかし、カンクンとキーカーカーでそれを満喫していた僕は、カリブ海を初めての感動として味わうことができなかった。しかし、青く透明感のある海が素晴らしいことに変わりはなく、こんなに良い環境で、スキューバダイビングのライセンスをおよそ150US$で取得できるのは、破格といえよう。カリキュラムとしては、まず、一日目に軽い座学とプールでの実習が行われた。このプールでの実習では、実際に酸素ボンベを背負って、水中で呼吸の練習をするのだが、どうにもそれがうまくできない。空気をうまく体内に取り込めないのだ。焦ると余計に苦しくなり、すぐ水面に出てきてしまう。

この時点では、慣れの問題だと思い軽くスルーしていたのだが、翌日に行われた実際に海に潜っての実習でも、それは変わらなかった。ボンベの中の空気をうまく吸い込めずに苦しくなってしまい、我慢できずに水上に出てきてしまうのだ。そんな状況だから、僕は段々と水中に潜ることに恐怖を感じるようになってしまっていた。とても不本意だったけれど、僕はこの日の実習後、このカリキュラムをリタイヤした。本当のところ、僕はスキューバダイビングにそれほど興味がなかったのだろう。もし本当にスキューバの資格が欲しいとなれば、誰かに誘われるでもなく、自分で計画を立てていたはずだ。余った日数分のお金を返金してもらい、翌日にはこの島を後にした。美しいウティラ島での数日は、だから、全くの無駄足になってしまった。

その後、僕は、当初の計画通り中米大陸を「南下」すべく、その足でさらに南のニカラグアへ向かうことになる。ここからニカラグアに行くには、フェリーで「サンペドロ・スーラ」まで戻り、そこから市内の長距離バスターミナルに行き、国際バスに乗車する必要があった。

揺れのひどいフェリーで嘔吐寸前になっていると、民族衣装を着たインディヘナのおばちゃんがビニール袋をくれた。なんとかそれを使うまいと、ガラガラの客席に横になり、別のことを考えようとする。吐き気の波が過ぎ去ったかと思うと、またどこからかやってくる。まるでこのフェリーが揺られている波に比例しているかのようだ。それを4、5回繰り返した頃、フェリーはやっとサンペドロスーラに到着した。前屈みでよろめきながら歩く僕を尻目に、先ほどのインディヘナのおばちゃんは、颯爽とフェリーを降りてタクシーに乗り込んで行く。「おばちゃんなのに強いなー」「いや、おばちゃんだからなのかなー」と思いながら、船着場のベンチにぐったりと倒れ込んだ。カリブの熱い太陽が、酔いでクラクラの頭をグラングランと揺らしてくる。

小一時間ほど休んだろうか。なんとか体力を回復させた僕は、タクシーで最寄りのバスターミナルに向かった。こぢんまりとしたオフィスが併設されたそのバスターミナルは、地元客で賑わっていて、旅行者は僕と他に数人程度しかいない。やがてバスが到着して乗り込む頃、日は西に傾いて、夕凪を感じられる程になっていた。途中で何回かの休憩を挟むのだが、夕食休憩の時に、バイキング形式の食堂で、僕が料理を選びかねていると、一人の男が声をかけてきた。彼は分かりやすい英語で、目の間に並んでいるいくつもの料理が、何なのかを説明してくれた。「親切な人だ」この時は確かにそう思った。しかし、次の一言で、その思いは180度傾く。

「日本人か? オレには日本人のガールフレンドがいるんだ」

旅先で「日本人の知り合いが――」と言ってくる人間は、大抵怪しい人物だ。多分、彼もその一人だろう。食事を終えた後も、しきりに声をかけてくる彼をなんとか振り切って、バスに戻った。

長距離バスターミナルに着いた頃には、日は完全に落ちきっていた。この巨大バスターミナルは、ホンジュラス各地に加え、隣国のグアテマラ、エルサルバドル、ニカラグアにバスを発着していて、いくつものバス会社のオフィスがあり、ショッピングモールも併設されているのだけれど、そのすべてのシャッターは閉じ、人も警備員以外ほとんどいなくなっていた。さて、どうしたものか。他の乗客のほとんどは、やはり地元民らしく、みなタクシーや迎えの車などに乗りこんで、暗闇の中へ走り去って行く。どこか宿を見つけるにしても、こんな夜にタクシーに一人で乗るのは危険が伴うし、いっそのことこのバスターミナルに朝までいれればよいのだけれど。

今晩の寝床をどこにするか思案していると、例のあの男が声をかけてきた。

「これからどうするんだ? オレの知っている宿にタクシーで行かないか?」

うーん。やっぱり怪しい。悩むふりをして時間を稼いでいると、僕の他に、もう一人旅行者がいることに気が付いた。どこかで見覚えのある欧米人の男性だった。ひょろっとした体によれたTシャツ、裾のすり切れたジーンズは色褪せていて、足下の白いコンバースは泥にまみれて汚かった。いかにも「バックパッカー」という風体の彼の存在に気が付いたのは、僕も怪しい男もほぼ同時だった。

怪しい男は、その欧米人にも、さっき僕に話したのと同じ内容を話している。その間、この欧米人をどこで見かけたことがあるのだろうとずっと考えていた。ふと視線を落とし、汚れたコンバースのスニーカーが視界に入った時、急に記憶が蘇りだした。この汚いスニーカーを、ウティラ島からサンペドロ・スーラまでのフェリーに乗り込む時と、町のバスターミナルから、今、僕らがいる長距離バスターミナル行きのバスに乗り込む時、確かに目にしていたのだ。つまり、この欧米人は、今日一日、僕と全く同じルートを辿ってきたということになる。同じ境遇の者が見つかって心強くなった僕は、ここで一気に、この怪しいホンジュラス人を追い払おうと決心した。

話を聞いていると、その欧米人も彼を怪しいと思っているらしく、「これからどうするんだ?」と問われると、あれこれ言葉を濁しながら、なんとか煙に巻こうとしている様子だった。ようし、ここは一つ僕も彼に便乗しよう。仲間がいれば怖くない。僕ら三人は、ターミナル入口の階段に腰掛けて、話し込んだ。話し込んだというよりも、ホンジュラス人が、なんとか僕らを連れ出そうと一人で話していただけで、僕と欧米人が「今夜はターミナルに泊まる」と言っても、「それは禁止されている。ここは危険だから、オレの知っている宿に行こう」行くもんか。もし付いて行けば、どこか他の場所に連れて行かれて、金品を巻き上げられるに決まっている。

なかなか首を縦に振らない僕たちに、苛立ち始めるホンジュラス人。しまいには、こう切り出す。

「日本人の彼女がいるんだ」

またその話か。

「ヤスユキっていう名前なんだ」

うん、やっぱりこいつは完全に黒だな。外国人が日本人の名前を聞いても、それが男性名か女性名かは分からないよな、確かに。適当に何かの本で読んだのだろう。欧米人に目をやると、繰り返される同じ口説き文句に、もううんざりとしている表情だった。痺れを切らした彼は、警察に自分の正当性を証明してもらおうとでもしたのか、ターミナル前の大通りを流すパトカーに向かって

「ヘイ! ポリシアー!!」

と叫んで駆け寄ろうとするが、一向に相手にされず、トボトボと僕たちの元に帰ってきた。その出来事をきっかけに、彼は、やっと僕たちのことを諦めてくれたらしい。一人でタクシーを捕まえて、暗闇の中へ消えて行った。意外にもあっさりとした最後に拍子抜けしていると、車窓から「アディオス」と手を振る彼の姿が見え、その悲しさと悔しさをごちゃ混ぜにしたような表情を見て、少し同情しそうになったが、すぐに思い直した。何かがあってからでは遅いのだ。僕と欧米人の二人だけになって、

「あいつは絶対に危険な奴だよ」

と僕が言うと、

「うん、僕もそう思う」

と彼は得意げな顔をした。見事ホンジュラス人を追い払うことに成功した僕らは、頼りない街灯の下、お互いに顔を見合わせて、軽くハイタッチを交わした。

簡単な自己紹介を終えて分かったのは、彼はイタリア人で、名前は「ニカ」ということ。イタリア北部オーストリア国境近くの出身で、オーストリアドイツ語も話せるということ。そして、イタリア人だが、サッカーがあまり好きではないということ。「そうか、イタリア人だったのか」生身のイタリア人を見たのは、その時が初めてだった。そう言われると、大きくて高い鼻に、優しげな下がり眉と青みがかった綺麗な瞳、睫毛もずいぶんと長い。少し面長な顔はいたずらっぽいが、愛嬌があって憎めない感じだ。さらに、髪型は、往年のロベルト・バッジオを彷彿とさせる縮れ毛の特徴的なポニーテールで、イタリア人だと言われれば、納得できる特徴がいくつもあった。

「日本の宗教は何だ?」

「日本は民主主義か?」

矢継ぎ早に飛び出す質問は、イタリア人にとって、日本が遠く、未知の存在だということを物語っていた。イタリア語が母国語の彼は、類似語のスペイン語もある程度分かるらしく、バスターミナル内に常駐している警備員に交渉して、今夜一晩ターミナルの空いているスペースに泊まってよしという許可を取ってくれた。特にスペイン語を勉強したわけではないと言っていたが、それでもここまで話せるのことに驚いた。「母国語と似ている言語がある」という感覚が、僕にはよく分からないのだけれど、日本人であることが、なんだか恨めしく思えてきた。そう、彼らは少しの努力で、バイリンガル又はトライリンガルになれるのだ。

僕たちのいる少し先には、僕たちと同じようにターミナルの床を一夜の寝床にしていたインディヘナの集団がいた。グアテマラからホンジュラスに何かの買い付けにでも来て、帰る途中といったところだろうか。そんなインディヘナ達を尻目に、僕らはターミナルの床に座り込み、途切れ途切れに話し始めた。本当なら、一仕事終えてビールでも一杯引っ掛けたかったのだけれど、売店はもうすべてしまっていたので、仕方なくミネラルウォーターを飲んだ。

ニカは、これからエルサルバドルに向かうらしい。エルサルバドルは、ホンジュラスの左横、南西部分に面している小さな国だ。僕も最初は行く予定だった国だが、エルサルバドルに寄ってしまうと、中米大陸を「南下」するにあたって、少し遠回りになってしまう。何に急いでいるわけでもなかったが、この時の僕には、無駄足を踏まずに、中米の果てであるパナマまで辿り着きたいという思いがあった。実際、エルサルバドルに行ったら行ったで、唯一無二の体験ができるのは明らかだったが、(それはどこの国に行こうとも同じことなのだけれど)この時の僕は、その経験よりも、先を急ぎたい気持ちの方が強かった。

翌朝、目が覚めると、床に直接寝ていたので、体中の筋肉が強ばっていて、伸びをすると、なんともいえない開放感に包まれる。まだ夜が明けきっていない空は、薄い紫色で、眠気眼に朝の冴えた空気が心地よかった。眠りに就く前、閉じていたバス会社のシャッターは、まだまばらだが、徐々に開き始めていた。僕たちは、お互いの目的地行きのバスを運行しているオフィスを探した。同じ路線を、いくつものバス会社が運行している。僕は、TICAバス社にしようと決めていたので、オフィスを見つけるのは容易く、ニカもエルサルバドル行きのめぼしい会社をすぐに見つけたようだ。ここで、僕達の一夜限りの奇妙な出会いは、終わりを告げた。同じトラブルに見舞われ、それを一緒に回避した僕達には、不思議な連帯感が生まれていたように思う。

エルサルバドルの国名は、スペイン語で「El sarvador」日本語に訳すと「救世主」となる。ニカがいなかったら、あの怪しいホンジュラス人に、身ぐるみ剥がされていたとも限らない。ニカとは連絡先も交換しなかったし、これからもう会うこともないだろう。それでも、僕はこの夜の奇妙な出来事を忘れない。この一夜に限って、ニカは、僕にとっての救世主だったのかもしれない。

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