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Maybe yes, Maybe no. - Costa Rica vol.1 -


中米の旅も、いよいよコスタリカ、パナマの残り二カ国となった。マナグアから、TICAバスで一気にコスタリカを目指し南下する。「一人旅をする者は、北へ北へと向かって行く。それが何故だかは分からないけれど、そういう風に人間の体はできているらしい。」と、昔誰かに聞いたのを思い出した。しかし、この時の僕は、北へ北へではなく、南へ南へと歩を進めていた。それでも、自分が人間本来の感覚に反していることをやっているという感覚は全くなかった。移動の車中は、孤独な上に身動きが取れないからか、脳の動きが活発になるのだろうか。色々なことを思い出すし、普段考えないことを考えてしまう時がある。そのほとんどは、目的地に着けば、どうでもいいようなことばかりで困る。本当に大事なことならば、目的地に着いた後でも、同じことで考え込んでしまうはずだ。しかし、そうなった試しはない。つまりは、暇つぶしなのだ。かといって、目的地に着いたら着いたで、本当に大事なことが何なのか、すぐに分かるはずもない。この旅もまた、僕にとって、壮大な暇つぶしなのかもしれない。だから、無責任で楽しいのかもしれない。

僕が事前に持っていたコスタリカの情報は、軍隊を持っていないこと、この辺りではメキシコに次いでサッカーが強く、W杯に何度か出場していること、そして、美人が多いということ位だった。美人について補足すると、中南米には、コスタリカ、コロンビア、チリの三か国が美人輩出国とされており、それぞれの頭文字がC(Costa Rica、Colombia、Chile)なことから、俗に3Cと呼ばれているらしい。いつどこで誰が付けたのか分からないこのヘンテコな称号も、この三か国に住む女性にとってはこの上ない名誉であり、男性にとっては至福の喜びであろう。

さて、コスタリカに着いて最初に滞在したのは、その首都であるサンホセだった。サンホセのバスターミナルに着いたのは夕方で、しとしとと小雨が降り続いていたのを覚えている。グアテマラシティに着いた時と同じような、灰色の気配がした。そして、その気配が、天気のせいだけであることを祈っていた。サンホセには、日本人が経営しているゲストハウスがあると聞いていたので、そこに行きたかったのだけれど、ターミナルの前で待ち構えているタクシーに場所を伝え値段交渉してみると、US20$と法外な値段を吹っかけてくる。まだコスタリカに着いたばかりで物価の感覚が掴めなかったが、ターミナルから宿の距離を地図で確認すると、大体2~3キロといったところだろうか、それでUS20$はないだろう。何台かのタクシーに交渉しても同じような結果だったので、僕は、とりあえず宿の方角に歩いてみることにした。そのまま歩いて着ければいいし、迷ったらタクシーを捕まえればいい。流しのタクシーならば、多少ボラれても、さっきのような金額にはならないだろう。

小雨の中、灰色の住宅街を黙々と歩き続け、「パルケ・サバナ」という大きな公園の近くに出た。公園といっても、砂場や遊具のあるそれではなく、代々木公園やセントラルパークのような、規模の大きなものだ。地図によると、宿はこの近くにあるはずなんだけれど、地図に示されているそれらしい方角に歩を進めるも、宿は一向に見えてこない。ならばと歩く方向を変えてみても、代わり映えのしない住宅街が並んでいるだけだった。この時にはもう辺りは暗く、街灯の光がその存在感を増し始めてきた。こうなったらもう無理は禁物だ。そう思い、すぐにタクシーを拾った。タクシーを拾った場所から宿までは、車でわずか3~4分ほどだったと記憶している。それでも、「こんなに近いのに、勿体ないことをしたなー」とは思わなかった。無事に宿まで辿り着けたことの方がよっぽど大事だ。しかし、これで事は終わらない。今度は、宿の前でインターホンを押しても、誰も出てこないのだ。タクシーの運転手も降りてきて、一緒になって大声で中に呼びかけてくれたが、それでも応答がない。住所は、運転手が言うには、確かにここで合っているという。どこかに出かけているのだろうか。仕方がないので、一旦近くのサブウェイで夕食を食べることにした。

今日は移動日だったので、まともな食事をとるのはこの時が最初だった。移動の疲れと空腹で疲弊し切ってきた僕は、通常の倍サイズのサンドイッチを注文して、一心不乱にそれをむさぼった。値段はUS$換算でおよそ10$程。コスタリカの物価は、今まで通過してきた国と比べて、かなり高いようだ。空腹だった僕は、ものの数分で食事を終えたが、すぐ宿に戻ったところで、状況が変わっているとも思えない。幸い、店の中にはwifiが飛んでいたので、それを拝借してインターネットで小一時間程時間をつぶしてから、再び宿に戻ることにした。その道の途中、宿までほんの数十メートルのところで、前から走ってくる車が、速度を緩めて僕のすぐ横に停車した。「日本人か?」前席のドアから顔を出した男性が声をかけてきた。暗くて顔はよく見えない。

間もなく、男性が車から降りてきてこう言った。

「今、オーナーの日本人は、旅行に行っていて、ここにはいないんだ。でも、泊まることはできるから大丈夫。オレたちは今からピザハットに夕食を食べに行くんだけど、一緒に来るかい?え?もう夕食は食べた?そうか。じゃあ、宿の中を案内するよ。」

そう言って、仲間を車の中に残して、中へ案内してくれた。オーナーが留守中、彼がこの宿の管理を任されているらしい。リビングもキッチンも広く、掃除も行き届いている。宿泊客は、僕一人のようだ。足早に一通りの説明を受けて、彼は仲間の元へ戻って行った。一泊約US15$。部屋は2人部屋のドミトリーだということを考えると少し高いが、他に宿泊客もいなく実質一人部屋なので、まあよしとすべきだろう。それに、あの管理人のコスタリカ人もいい人そうだし。色々と話を聞けそうだ。

管理人の名前はグスタフといった。彼の父親が、この宿のオーナーと知り合いだということで、オーナー不在の間、管理人の仕事を任せれているとのことだ。様々血が混ざっているのだろう。アフリカ系の黒人のようなハッキリとした二重のクリクリとした大きな瞳にチリチリ髪の坊主頭、しかし、肌の色は真っ黒ではなく、薄い茶色だ。彼はとても面倒見のよい青年で、宿周辺の情報や、これから僕が行こうとしている場所についても色々と教えてくれた。話し出すと止まらなくなる性格なのだろう。何か一つのことを聞くと、決まって二つか三つの答えが返ってきた。そして、その彼でも分からないことを僕が質問すると、決まって彼はこう答えた。

「Maybe yes, Maybe no.」

つまり、自分には分からないということなのだろうが、大きな目をさらに大きく見開いて、いかにも自信ありげにそう言い放つ彼は、憎めないと同時に、なんだか可愛らしくもあった。

グスタフは、よく彼女や友人を宿に連れてきていたのだけど、その彼女というのが、コロンビアとコスタリカという、共に頭文字Cを持つ国同士のハーフで、グスタフにはもったいないくらいの美人だった。いわゆる「ラテン美女」とでいうのだろうか、カーリーな金髪に健康的な白さの肌、キリリとした眉に少し気の強そうな瞳。なんとなく、ブラジルの海岸にいそうなイメージだ。笑顔も、可愛いといより、凛々しいという感じの人だった。サンホセに着いて早々、3Cの片鱗を見せつけられた。グスタフは、どちらというとコミカルな顔立ちだから、なんだか不釣り合いなカップルのように思われた。もしくは、自分にない特徴を持つ相手に、お互い引かれ合ったのかもしれない。もしそうならば、まさにベストカップルだ。まあどちらにせよ、二人の関係が、今でも続いていると良いのだけれど。

サンホセの気候は、グアテマラのアンティグアと同じような感じで、日本の避暑地のようだった。カラッとしていて、暑くも寒くもない絶妙な気候。加えて、宿の周辺は閑静な住宅街で、治安もそんなに悪くはないようだ。何度か夜にスーパーマーケットに出かけたりもしたけれど、問題はなかった。こういった心地よい環境に出会ってしまうと、長居してしまいたくなるのが人の常。良く晴れた日の昼間は、「パルケ・サバナ」を散歩した。平日はそこまで人は多くないけれど、休日の「パルケ・サバナ」は、サッカーなどのスポーツを楽しむ人々で賑わいをみせる。日差しが木々の間をすり抜けて、細長い長方形の放射線が地面に注がれている。蒼蒼とした新緑が目に眩しい。この時にはもう、バスターミナルに降り立った時に感じた灰色の気配は、僕の心から消え去っていた。

「パルケ・サバナ」を抜けて、バスターミナル方面に歩いて行くと、そこが街の中心部になっていて、そこもよく散歩をした。歩行者専用のメインストリートには、今までの中米の国ではお目にかかれなかった、理路整然とした商店街を拝むことができた。そこには、多くの人々が行き交い、活気はあるが、ここサンホセの気候と同じように熱気はなく、それがどこか安心感を生んで、僕の足は速まった。なんだか、日本やアメリカの繁華街にいるみたいだ。毎日散歩をして、スーパーマーケットで食材を買い、宿に戻って簡単に調理して、ビールと一緒にそれを流し込む。夜は涼しいから良く眠れるし、グスタフは確かに話好きだが、必要以上には干渉してこないので、ゆったりとした時間の流れの中で、自分のペースでひたすら「何事もない生活」を送っていた。

一度、ふと思い立って、バスでサンホセ近郊の「サルセロ」という村まで日帰りで行ったことがある。その村の売りは、中心部の教会前の広場がちょっとした庭園になっていて、そこにあるいくつかの植木が、人が通れる位の高さのアーチ上になっているということだった。もし、僕が庭師の仕事を少しでもかじっていたのなら、植木をアーチ上にするための技術や、それを維持する手入れの、途方もないであろう労力に感銘を受け、庭師に尊敬の念を抱いていたことだろうが、そんなことが何もわからない僕には、「珍しい庭園だなー」位のことしか感じることができなかった。しかし、その教会の内部は、大きくもなく、特別豪華というわけでもないのだけれど、ちょうど人が少なかったせいもあり、しんと静まり返っていて、色とりどりのステンドガラスから差し込む陽光がやんわりと暖かく、教会奥に祭られていたのはイエス様の像だったのだけれど、その時の暖かさは、母であるマリア様を想像させた。僕は奥の席に座り目を閉じて、しばらくその雰囲気に酔いしれた。もし僕がクリスチャンだったなら、感動で涙していたかもしれない。サルセロで印象深かった出来事といえばそれ位で、あとは村の周りを一周して、のどかな田舎の空気を思い切り吸って、その日の夜にはサンホセに帰ってきた。

そんな毎日を過ごしているうちに、僕の中の時間は何もせずに止まっていたが、現実の時間は否応無しに進んでいたらしく、気付けば一週間が過ぎていた。急いでサンホセを出る必要もなかったが、かといって、ここに留まる理由もなかった。後々になってこうして振り返ると、サンホセは、その気候も相まって、砂漠の中のオアシスのような場所だった。さよならサンホセ。さよならグスタフ。良い休日だったと自分に言い聞かせて、僕は次の場所に向かうことにした。

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