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見えるもの 見えないもの - Costa Rica vol.2 -


サンホセから南へ。パナマを目指す道すがら、「マヌエル・アントニオ」という場所まで、バスで移動した。サンホセの長距離バスターミナルは、なぜだか、通称「コカ・コーラ・ターミナル」と呼ばれている。市内の中心部に位置しているものの、商店街のあるメインストリートのように理路整然としているわけではなく、各地からサンホセに着いた人、これから地方に向かう人が行き交い、道ばたで開業している露天やバス会社のチケット売りなどのおかげで、屋外にあるこのバスターミナルは、微かに熱気を帯びていた。

サンホセからマヌエル・アントニオへ向かうバスの中、車内はほぼ満員で、特に音楽がうるさいわけでも、乗客同士の会話が弾みすぎているわけでもなく、割と静かなバスの旅だった。車窓からは、代わり映えのしないプランテーションのくすんだ緑色が流れて行く。話す相手もなく、何かすることがあるわけでもない。昼間の移動だったので、深夜バスのように、物思いに耽るということもなかった。少々悪い言葉を使うと、「退屈」だったのだと思う。しかし、そんな退屈な時間も、そう長くは続かなかった。

僕が座っていたのは、四列シートの左半分やや後方だったのだけれど、通路を挟んで右半分、僕の席より一列か二列前方に、一組の親子が座っていた。品よく整った顔立ちの母と、その母の膝の上に抱きかかえられている男の子は4、5歳だろうか。その男の子が、突然、何の前触れもなく、叫び声とも奇声とも取れる声を上げた。僕を含め、何人かの乗客が、その親子に視線を向けたのが分かる。その声は断続的に続き、二度目、三度目のそれを聞くまでに、その男の子に何らかの障害があることを、車内の誰もが理解した。時間にすると、ほんの2、3分だっただろうか。しかし、非日常的な時間は、それを何倍にも長く感じさせるものだ。男の子が奇声を上げ続けている間、その母親は、表情一つ変えずに、平然と前を見据えていた。他の乗客に申し訳なさそうにするわけでもなく、男の子を叱りつけるわけでもない。我が子を膝の上に抱きかかえながら、まるで何事も起きていないかのように、しっかりと前を見据えていた。

斜め後方から見たその横顔は、優しい表情ではなかったけれど、強く、だから美しかった。少しウェーブのかかった長い栗色の髪、程よい高さの鼻、白か黒かで言えば、白色に近い肌、意思の強そうな瞳。モノクロ映画のように退屈なバスの旅の中で、その数分間だけ、鮮やかな色が付いたように、僕ははっきりとそれらを覚えている。気品があり美しい人。もし、僕が中世の時代に生まれていたら、その母親のような人を、「貴族」と呼んでいたのだろう。そして、それは財産や土地所有の有無ではなく、一人の人間としてどのように行動するかであって、その繰り返しが内面を磨き、やがて外面に滲み始めた時に、「貴族」かそうでないかが決まるのではないか。きっと、その母親は、先程のような美しい態度を、長年に渡ってとり続けてきたのだろう。そんなことを感じさせる、バスの中での出来事だった。

その後、男の子はおとなしくなり、親子は途中の小さな町で降りて行った。そして、何事もなかったかのように、バスの旅は、モノクロの世界に戻っていった。とは言っても、サンホセからマヌエル・アントニオまではわずかに4時間。先刻の出来事の余韻が残っている間に、バスは、終点のマヌエル・アントニオの到着した。サンホセのような都会とは違い、ここはかなりの田舎なようで、バスが停車したのは、砂利道に、斜めに傾いた粗末な街灯が、ぽつりぽつりと立っている薄暗い通りだった。どうせ二泊程度の予定だったので、多少宿代がかさんでもいいと思い、バス停で僕らの到着を待ちわびていた客引きの一人におとなしく付いて行くことにする。すると、これがなかなかいい宿で、部屋はドミトリーだが、広いキッチンに加えて、中庭にはプールまで付いている。土地が広いのは、田舎ならではの利点だろう。出来てまだ4ヶ月とのことで、内装もずいぶんと綺麗だ。これでUS15$なら、コスタリカの物価を考えればまずまずの値段だろう。

そして、この宿には、バカンス中の若者から、ハネムーン中の中年新婚夫婦まで、いずれもアメリカ人が多かった。コスタリカを含むここ中米は、日本人から見れば距離も遠く、得体の知れない未知の国々だが、アメリカからは、目と鼻の先にある。加えて、アメリカよりも物価の安いこれらの国々へアメリカ人が旅行に行くことは、日本人が、タイを始めとする、東南アジアの国々へ旅行に行くのと似た感覚なのかもしれない。そう考えると、中米の国の中でも、英語の通用率が高いコスタリカに、アメリカ人が休暇の消費を求めるのも、至極当然のことのように思えてくる。(ここの宿の従業員もすごく流暢な英語を話していたし、サンホセのパルケ・サバナで少し話した現地人の若者も普通に英語を話していた)もし、自分がアメリカに生まれていたのなら、中米への旅は、ちょっとしたバカンスで、距離も遠く時間もかかるアジアへの旅行は、一世一代の大冒険になっていたかもしれないと思うと、なんだか不思議な気持ちになる。物事の価値と物理的な距離は、必ずしも比例しているわけではないはずなのに。

さて、マヌエル・アントニオの売りは、コスタリカが国を挙げて取り組んでいるエコツーリズムの中核を担う国立公園の一つ、「マヌエル・アントニオ国立公園」だ。入場料はUS10$で、バンコクで作った偽物の国際学生証は使えなかった。というより、そもそも学生料金というものが存在しないようだ。宿に加えて、こういった国立公園も、コスタリカの通貨である「コロン」と共に「US$」表記もあるあたり、やはり、前述したようにアメリカからの観光客が多いことは想像に難くない。

公園のエントランスを抜けると、密林の生い茂った熱帯雨林の真ん中に、人工的に造られた大きな砂利道があって、そこを標識通りに進んで行く。グアテマラのティカル遺跡とよく似た雰囲気だ。入場者は、若者よりも年配の欧米人が多かった。エントランスから数分、砂利道のトレイルロードを歩いていくと、途中で小さな人だかりが出来ていた。なんだろうとその輪の中へ入ってみると、何とも可愛らしい顔のナマケモノが、木の枝をゆっくりと移動していた。その名前通りの非効率的な動きは、僕を含めた観光客達を穏やかな気分にさせた。

マヌエル・アントニオは、サンホセと違い蒸し暑い気候なので、公園内を少し歩いただけでシャツが汗でびっしょりになる。2キロほど続くトレイルロードを抜けると、眼前に大きな砂浜が、その先に海が広がる。そう、この辺りの地域は、太平洋に面しているのだ。そして、ここ「マヌエル・アントニオ国立公園」最大の売りも、熱帯雨林のトレイルロードと、太平洋のビーチを同時に味わえるということにある。カリブ海のような透明感溢れる海ではないが、僕にとっては、十分綺麗な海だった。砂浜の周りを取り囲んでいる、やや道幅の狭くなったトレイルロードには、道に横たわった木々の色に同化しているイグアナを見ることもできた。しかも、ここには動物園のような檻はない。国立公園として人工的な手が加えられている以上、100%素のままの自然というわけではないが、できるだけそれに近い状況が味わえるように配慮されているようだった。

そういえば、サンホセ滞在中に、市内ではそこそこ有名らしい「シモン・ボリーバル動物園」という所を、少し覗いたことがあった。そこには、コスタリカの恵まれた生態系特有の珍しい猿や、色鮮やかな鳥達が、檻(鉄格子のそれではなく、広く、自由度の高いものではあるが)の中で入場者を待ち構えていて、入場者は、カテゴリー別に分けられた動物を順に「鑑賞」していく。もともと動物好きというわけではないので、軽く流して見ただけだったけれど、日本では滅多にお目にかかれないであろう動物達を生で見て、ある程度の満足感を味わった。しかし、それとは逆に、動物を「鑑賞」するという行為に多少の違和感も覚えながら、西日の射し始めたサンホセの遊歩道を歩いて宿に帰った。

国立公園から宿に戻って、プール脇のサマーベッドに寝転がりながら、そんなサンホセでの出来事を思い出していた。今日行った国立公園の動物も植物も、そして海も、人間の手によって「管理」されているという点では、檻が目に見えているか、見えていないかという違いだけで、動物園とそこまで変わらないのではないか。目に見えていれば、視覚のみで大体の状況を把握できる分、「考える」という作業を怠りがちになる。目に見えていなければ、調べたり、予測を立てたりして、真実に近いであろう答えを、自分で導き出すしかない。

今の時代は、インターネットが普及したおかげで、世界中のあらゆる情報や画像を、モニター越しに閲覧することができる。しかし、簡単に見れてしまう分、大量の情報を「知ったつもり」になってしまうことも多いと思う。実際、現地に行って見るのとモニター越しで見るのとでは、その重さが違うのは明らかだし、現地に行っても見えないことはたくさんある。そんな時は、考えて、考えて、そうして得た答えが、自分にとって、本当の知識なり教養なりになっていくのだろうと思う。そう考えると、サンホセからマヌエル・アントニオに向かうバスの大部分を占めていたモノクロの時間に、気高い親子がパッと色を与えてくれたように、「考える」という行為によって、この旅自体も、鮮やかな色彩を帯びてくるのではないか。その知識や教養が形になってくるのは、旅が終わって何年か、もしくは何十年かが経った後だとしても。

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