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旅をしている - Costa Rica vol.3 -


その日の朝は、まるで夕方のようだった。灰色の雲が空を覆い、その隙間からは、糸のように細い小雨がパラパラと落ちてきて、プールに吸い込まれていく。その光景を見ながら、寝起きの僕は、しばし考え込んだ。本当ならば、今日、パナマへ向けて出発しようと考えていたのだけど、その考えを改めざるを得ないかもしれない。雨は嫌いだ。雨の日の移動はもっと嫌いだ。

うーん。としばらく考え込み、雨の中、無駄にもう一日ここで過ごすのも、それはそれで、なかなか贅沢かもしれないななどと、心の中でほくそ笑んだり、いやいや、それは時間の無駄だ。もうここは満喫したし、少しでも先へ進むべきだと焦ってみたりしているうちに、空を覆い尽くしていた雲はどこかに流れて行ってしまい、代わりに黄色い太陽が頭上の主役となった。「喉元過ぎれば知らんぷり」昔の人はよく言ったもので、その太陽を見た瞬間、僕は部屋に戻って、すぐに身支度を始めた。空が機嫌を損ねないうちに、早く出発しなくては。

宿のスタッフによると、マヌエル・アントニオからパナマ国境へ行くには、まずドミニカールという場所まで行き、そこでバスを乗り換える必要があるという。思えば、中米に入ってから、移動といえば、有無を言わさずバスに頼るしかなかった。タイからマレーシアを通ってシンガポールに至るマレー鉄道のような、国を跨ぐ鉄道が存在しないのだ。そのため、「鉄道での旅」というのが、この先、経験してみたいことの一つである。決して、バスでの旅が嫌なわけではないのだけれど。日本には、青春18切符に代表されるように、鉄道での一人旅が、ある意味、青春とイコールになっている気がする。「世界の車窓から」の影響も大きいだろう。このあたりを踏まえて、「日本人と鉄道の旅」なんていうタイトルで研究してみても面白いかもしれない。

話が逸れた。バス停に行くと、ドミニカール行きのバスよりも、その少し手前のケポスを経由するというバスの方が、発車時間が早かったので、それに乗ることにした。地図を見ると、ケポスとドミニカールの距離は近く見えるし、先にケポスか、その先に行っておけば、そこから国境方面行きのバスは、割と頻繁に出ているだろうという判断だった。それに、少しでも国境の近くに行くことで、後々の移動距離も短縮できるはずだった。しかし、それが間違いの元だったのだ。乗り込んだバスは、ケポスを通過して、さらに南へと進む。やがてバスの終点で僕は降ろされた。そこには、バス停と呼べるものは何もなく、真っすぐな一本道の途中で放り出された感じだった。ここから国境までのバスは、いつくるんだろう。そもそも、そんなバスがあるのかさえも、疑問に感じる風景だった。辺りを見渡すと、バス停こそないが、道路の脇に数人の人が集まっている箇所があった。おそらくバスを待っているのだろうと思い、国境まで行くバスは何時に来るのか聞くと、そんなバスはないという。もし国境に行きたいのなら、一度ドミニカールまで戻るしかないらしい。

本末転倒だ。最初から、おとなしくドミニカール行きのバスに乗っていれば良かったのだ。それが、僅かばかりの時間を節約したいと欲深くなってしまい、このような結果になった。思えば、気ままな一人旅で、たった数時間を節約したところで、一体何になるというのだ。しばらく待った後、僕は、仕方なくドミニカール行きのバスに乗り込んだ。空は未だに機嫌を損ねることなく、太陽も主役の座を降りる気はないようだった。無駄な時間を過ごしてしまった僕は、なんだか心がモヤモヤしていた。

「ドミニカールは、すごくいい所だ」国境までの道を聞いた時、宿のスタッフはこう言っていた。何がどう良いのかは聞かなかったが、実際に着いてみて、合点がいった。ここは、太平洋に面した、元々は村だった場所を、観光客向けにアレンジしたような場所で、国道から一本脇に入れば、そこは舗装の行き届いていない道路で、ダイビングの看板を掲げている店をチラホラ見かけた。地元では有名なダイビングスポットなのかもしれない。のんびりとした田舎の空気が流れている。ジリジリと照りつける午後の太陽に耐えかねて、路上で売っていた椰子の実のジュースを買った。よくタイなんかで見かける、椰子の実の上部をナイフで鉛筆の先端のように削り、そこにストローを差して飲むあれだ。恥ずかしながら、飲んだのはこの時が始めてだった。今まで、こんな椰子のジュースは中身も少なくて、どうせ甘ったるいだけに違いないと思い避けてきたのだけれど、実際に飲んでみると、甘さはほんのりとしたもので、とても飲みやすかった。飲み終わった実を路上の椰子売りに持って行くと、鉈のように大きく、刃先が三日月のように湾曲したナイフで身を割ってくれた。そうすると、殻の内側に僅かに残っている白い果肉を食べることができる。こちらもほんのり甘く、美味しく頂いた。

道路脇にバックパックを降ろして、その横に腰を下ろして左右を見渡すと、これでもかという位の一本道だった。思いがけずに道草を食ったせいで、西の空が慌ただしくなってきた。この日の空は、一度機嫌を直してからは、そこから駄々をこねることなく、一日を終えてくれるつもりらしい。こんな時、「自分は旅をしているのだな」と実感する。「旅をしている」というフレーズが、自分の中で、多少、いや、多いに美化されているのだけれど、少しも悪い気はしなかった。真っすぐな国道の路肩に腰掛けながら、僕はひたすらバスを待った。

ドミニカールから国境に直接行けるバスはないらしく、(もしかしたら、あるのかもしれないが、時刻的な問題だったのかもしれない)一度、サン・イシドロという場所でバスを乗り換えることになった。もうここまで来ると、あと何回乗り換えようが、今日中に国境を跨ぐことができなかろうが、どうでも良い気分になってくる。サン・イシドロでバスを乗り換えて、国境への道を進むにつれて、次第に窓の外の色彩が貧相なものになっていく。田舎道で街灯もまばらなので尚更だ。バスが停車する度に「いよいよここが国境か」と思うような場所を何回か通り過ぎて、いよいよ夜も本番。太陽はその役を見事に演じきって、月に主役の座を明け渡した。

遠くから大きな光が見えて、だんだんとそれが大きくなってくる。コスタリカ~パナマ間の国境は、光の量が今まで通り過ぎたバス停とは桁違いだったので、バスの中からでもすぐに分かった。イミグレーション自体は老巧化していて祖末なのだけれど、その周りに屋台がたくさん出ている。バスの中から見た大きな光の正体はこれだったのだ。食べ物の屋台は勿論、Tシャツやジーンズなどの衣料品を扱う店も出ている。日はどっぷりと落ちているにも関わらず、その賑わいは、なかなかのものだった。なんだか東南アジアの夜に迷いこんだみたいだ。僕は、初めての一人旅で訪れたタイのそれを思い出して、懐かしい気持ちになった。

立ち並ぶ屋台の賑わいを横目に感じながら、出国側のイミグレーションを難なく越えて、やっとパナマに入国する時が来た。思えば、小雨の朝に始まり、ここまで長い道のりだった。入国のスタンプをもらうために事務所の窓口へ行くと、しかし、そこには誰もいなかった。もしかすると、夜は入国管理局がしまってしまうのかもしれない。どこの国かは忘れたけれど、そういう国境もあると聞いたことがある。不安が僕の頭をよぎる。まあ、国境にもこれだけの人がいるのだし、最悪ここで一夜を明かすことになっても大丈夫だろう。「国境で一晩を明かす」それもなかなか趣があっていいかもしれない。そんな経験は滅多にできないだろうなと、心の中でニヤリとしていると、事務所の奥の扉が開き、口の中をモゴモゴとさせた、褐色の坊主頭が姿を現した。夕食の途中だったのだろう。ブラックアフリカンのようにクッキリとした二重の、フレンドリーさが滲み出ているような男だった。

僕がパスポートを差し出すと、「ジャパーン!」と白い歯を見せて物珍しそうに微笑むと、パラパラとページをめくり、感心そうに一通りのスタンプを眺めてから、「ビザはあるのか?」と聞いてきた。事前情報では、日本のパスポートを所有している者ならば、ビザは不要のはずだった。僕が「ない」と答えると、彼は、さっきとは打って変わり、怪訝な表情をした。感情を隠すことができない正直な人らしい。僕は、もしかすると夜間は時間外で、その時間に国境を越える場合は、賄賂が必要なのかもしれないのかと思い、「金が必要ならば払うよ」と財布を出す素振りを見せた。僕としても、夕食の途中に押し掛けてしまい、申し訳ない気持ちがあったのだ。しかし、僕のその言葉を聞いても、彼は、うーん。とますます顔色を悪くするだけだった。

しばらく同じ表情をしながら、パスポートのページをパラパラとめくっている。やがて諦めたように、「うーん、OK」と言ってスタンプを押してくれた。もしかすると、パナマを出国する際のチケットが必要だったのかもしれない。僕がお礼を言うと、最初のフレンドリーな顔に戻っていたので、とりあえず安心した。

パナマだ! やっとパナマに着いた。中米の最果ての国。パナマ側に入っても、祖末なテントの屋台は途切れることなく、暗闇の中で黄色い明かりを灯している。近寄ってきた男が両替屋まで案内してくれるというので、付いて行き、コロンをUS$に両替した。パナマの通貨は、その名を「バルボア」というが、実際に使われているのはUS$で、1バルボア=1US$。書くとなんだかややこしいが、つまりは、バルボアとUS$は、呼び名が違うだけで通貨自体は同じであり、US$をバルボアと呼んでいるだけのことだ。やはり、世界はアメリカを中心に廻っているのだなということを実感した。

僕は、運良くパナマシティ行きの夜行バスを見つけ、それに飛び乗った。夜通し走り、翌朝にはパナマシティに着くという。朝から何度もバスを乗り継いで、国境を越え、またバスに乗る。国境を出てしばらく走ると、ロウソクの炎が風でフッと消えたように、辺りは一気に暗くなった。きっと、星も綺麗に瞬いていることだろう。「今、僕は旅をしている」自分の中でその言葉は、ひどく誇張され過ぎていたけれど、それでも、少しも悪い気はしなかった。

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