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パナマシティ見聞録 - Panama vol.1 -

  • Ryusuke Nomura
  • 2014年12月30日
  • 読了時間: 10分

うだるような暑さに耐えかねて、ベッドの脇に備え付けられた扇風機にスイッチを入れる。埃にまみれたカバーの隙間から、生温い風が勢いよく吹き付けてきた。パナマシティの安宿、そのドミトリールームに僕はいた。

一日がかりで国境を越えた僕は、深夜バスで一気にパナマシティまで駆け抜けて来たのだ。車内の冷房はガンガンに効いていて、念のためにとバックパックから取り出しておいたフリースを着ていても、肩を強ばらせる必要があった。僕の座った席は窓際だったので、なんとか窓を少し開けて、外の生暖かい空気を車内に取り込もうとする。そううすることで、若干だけれど、寒さが和らぐのだ。しかし、添乗員の女性にそれが見つかると、「せっかく冷房をかけているのに、なんて勿体ないことを」といった顔つきで、力強く窓を閉められてしまう。しばらくすると僕はまた窓を開け、添乗員が通りかかると閉められる。深夜の車内では、そんな攻防が何度も繰り広げられた。車内の照明はすでに落とされ、ほとんどの乗客は眠っていたにも関わらず。眠っている乗客の中には、半袖一枚で、気持ち良さそうな笑みを浮かべている者もいた。こんなに寒いのに、よくもまあぐっすりと眠れるものだ。いつも思うのだけれど、暖かい国の人々は、冷房の温度を下げ過ぎるきらいがある。まるで、温度を下げれば下げる程、冷房があるという状況を、より強く享受できると思っているかのようだ。

途中、真夜中のドライブスルーで食べた生暖かいマッシュポテトが、ひどく美味しく感じられた。それだけバスの中が、過酷な状況であったことを物語っていた。しかし、どんなに寒くても、朝からの移動で体は疲れていたらしく、僕は、知らない間に眠りに落ちていたようだ。当然、途中で寒くて何度も目が覚めたけれど。朝、車内で目覚めると、昨晩しんと静まり返っていた車内が、微かに活気づいていた。目覚めた乗客達の話し声が聞こえ始め、朝日がバスの窓越しに車内へ入り込んできて、ぼんやりとした日だまりを、中央の通路にいくつも浮かべている。相変わらず窓は閉められたままだったけれど、多少、寒さは和らいでいるようだ。早朝のキリリとした空気が車内にも伝わってくるようで、心地よい朝の光に包まれながら、僕は再び目を閉じた。どこでも二度寝は気持ちの良いものだ。

さて、肝心のパナマシティはというと、とにかく暑くて仕方がなかった。パナマの旅を振り返ろうとすると、真っ先に思い出されるのが、連日の快晴と、うだるような暑さた。気温自体は、コスタリカで最後に滞在したマヌエル・アントニオとそんなに変わらないのかもしれないが、高層ビルが乱立しているせいで風通しが悪く、湿度も高くてムシムシする。太陽は、連日我が者顔でギラギラと頭上に居座り、アスファルトからの照り返しでむせ返りそうになる。「パナマといえば、高層ビルの立ち並ぶ大都会」そんな、事前に抱いていたイメージ通りの場所だった。だから、僕の中で、パナマシティは、「町」ではなく、「街」であることは間違いない。それでも、不思議と都会の無機質さを全くといっていいほど感じないのは、この暑過ぎる気候のせいと、ビルとビルの隙間に、多様な魅力が溢れていたからだろう。それらを、これから紹介していきたい。

グアテマラにいる時に、中南米を南下していくにつれて、ジリジリと物価が上がっていくとは聞いていたけれど、それを始めて実感したのが、コスタリカとパナマだった。実際にパナマの物価も、コスタリカと同様、全体的に高めだった。しかし、物価というのは複雑なもので、一般的に物価が安いと言われている国でも、他国に比べれば高い物があったり、その逆も然りだ。パナマにおいて、その一つは、お酒だった。缶ビールの種類が豊富で、酒税が安いのか、その値段が、他の物に対して、べらぼうに安いのだ。僕が旅をしていたのは2011年で、1$80円台という円高の影響も手伝い、パナマ産のビールなら50円以下だった。宿の近くには、お酒だけを売る専門の店があり、そのまたビール専門のコーナーには、パナマ産ビールを始め、近隣諸国のもの、ドイツやベルギー産のものなど、品揃えも半端ではなく、日本の成城石井なんかで買えば、500円以上はするようなヨーロッパ産のビールでも、格安で買うことができる。

また、暑い気候が喉の乾きを加速させ、余計にビールの美味しさを引き立たせる。夜になると、例の酒屋にビールを調達しに出かける。銘柄が多いので、あれこれ品定めをしてみるものの、結局は安いパナマ産のビールに落ち着く。それを宿でパソコンなんかをしながらグビグビ飲んでいると、酔いが回って外を歩きたくなってくる。そうすると、近くの繁華街に繰り出して、ブラブラとあてもなく歩くのが常だった。それにしても、都会の熱帯夜には、冷えたビールがよく似合う。

僕の泊まった宿の周辺は新市街になっていて、少し歩くと、エスパーニャ通りという大きな通りに出る。ここは新市街のメインストリートとも言える場所で、大きなスーパーマーケットやマクドナルド、高級ホテルなどが立ち並ぶ繁華街だ。大抵の物なら何でも揃うし、庶民向けの安いレストランもあるので、外食に困ることもない。道路では車が排気ガスとクラクションを鳴り響かせ、歩道は金持ちそうな観光客や地元民が行き交う。そして、日が暮れれば、カジノにバーやナイトクラブが、チープなネオンで存在感を出し始め、少しだけ妖艶な雰囲気に変わる。とりわけ僕は、そんな夜の雰囲気が大好きだった。なんと言ったら良いのだろう。修学旅行の夜に、宿を抜け出して街に繰り出すような、そんなイメージだ。実際に抜け出したことはないけれど。フワフワとした気分で、何か良いことが起こりそうな気配を感じる。実際にそれが起こるかどうかは、この場合さして重要ではない。

エスパーニャ大通りには、二階部分が大きなカジノになっている高級ホテルがあり、カジノの入口には、売春婦と思われる女性達が、丈の短いワンピースをセクシーに着こなして、客を品定めしている。ワンピースはどれも原色使いで、チカチカと目に突き刺さってくる。これは後から聞いた話なのだけれど、チリやコロンビアを始めとする南米諸国の女性が、パナマに売春婦として出稼ぎに来ることが多々あるという。自国で売春をするよりも、こちらの方が、割が良いらしい。確かに、パナマシティの高層ビル街や、夜でもネオンと活気に溢れている新市街を見れば、それにも納得できる。スペインの旧植民地ということで、言語も同じ、加えて生活習慣も似ているということが、それに拍車をかけているのだろう。彼女達は、数年パナマで働いてお金を貯め、母国に帰って行くという。

ネオンにカジノに娼婦達。その程よい不健全さが、逆に健全な都市の姿なのではないか。それが活気を生み、街全体をエネルギッシュで魅力的なものにしている。不思議な都会の魔力。健康的な食事よりも、ジャンクフードの方が美味しく感じたり、真面目過ぎる人よりも、多少欠点のある人の方が人間らしくて魅力的だったりと、そんなことと同じなのかもしれない。

さて、パナマの昼の顔はどうかというと、そちらもまた、魅力的なものが多数ある。泊まっていた新市街の中心から南に下っていくと、パナマ湾が見えてくる。湾沿いの道は、バルボア通りという通貨と同じ名前を冠した大通りだ。このバルボア通りは、綺麗に舗装された歩道が湾に沿うように斜めに伸びていて、対岸には、これぞパナマシティのスカイラインといった感じの高層ビル群がそびえ立っている。よく見ると、建設途中の建物も多く、これから、この街の空はもっと狭くなるに違いない。夕方になって暑さが和らぐと、パナマ湾から吹いてくる心地よい海風に呼ばれるようにして、散歩やジョギングを楽しむ人がチラホラ集まってくる。舗装路の脇には木々が植えられているので、視覚的にも和やかな気分になれるのだろう。バスケットコートやフットサルコートも整備されているので、夕方から夜にかけては、若者がボールを追いかける爽やかな姿も見ることができる。

左にパナマ湾からの海風を感じ、右に木々の緑を見ながら、さらに南へ歩を進めて行くと、パナマシティの旧市街にぶつかり、その中には、パナマ・ビエホと呼ばれている歴史地区がある。パナマ・ビエホに始めて足を踏み入れた時、「なんだかキューバみたいだな」と思った。もちろん、僕はキューバには行ったことはないのだけれど、海に面したスペインの元植民地であるという点で、景観的にも、カリブ海に面した同国の首都・ハバナの写真を見た時のイメージとかぶるものがあったのだ。スペイン植民地時代の面影を可能な限り残していて、エリア内には、博物館や大きなカテドラルといった、コロニアル調な町並が広がり、宿のある新市街の活気に溢れた雰囲気とはガラリと変わって、落ち着いた印象を受ける。かと思うと、そんな年代を感じさせる建物と建物の隙間に、バスケットコートがあったりするのが面白い。スペインの植民地だった国になら、どこにでもありそうな町並だけれど、保存状態という点では、パナマ・ビエホは、かなり優秀な部類に入ると思う。

加えて、僕が訪れた日は、運がいいことに、歴史地区内の広場でイベントが催されていた。円形の広場を囲むようにして売店のテントが立ち並び、その中心では、民族衣装を身にまとった子供たちが、得意げにダンスを披露している。男の子は、本場のパナマハットにゆったりとした綿のシャツを羽織り、腰にはレプリカの短剣を差して女の子をリードしながら、女の子は、ポニーテールに白のブラウス、そして、裾を両手で広げると、鮮やかな模様の広がる原色のスカートを、蝶の羽のようにヒラヒラとなびかせながら、楽しそうにグルグルと廻っている。みな、この日のために用意した一張羅なのだろう。どの子の衣装も清潔で、新品らしくパリっとしている。褐色の肌に、パナマハットと原色のスカートがよく似合っていた。

ここパナマ・ビエホは、歴史地区という名前が付いていることからも分かるように、言わずもがな、パナマシティにおける主要な観光地の一つなのだけれど、地区内にバスケットコートがあったりすることからも分かるように、行き過ぎた観光地化はされていない。歴史的な町並をいかにして「正しく」、そして「機能的に」保存するかということに尽力している印象だ。だから、実際に歩いていると、どこか寂れたような退廃的な匂いのする場所に出くわすことがあるし、かといって、歩道がすべて当時のままの石畳にされているわけでもなく、住民が歩きやすく、車も通りやすいように、しっかりと舗装されていたりもする。現在進行形で、生活の息使いを感じることができるのだ。例えば、古代遺跡などを目の当たりにして、その壮観な姿に胸を打つことも素晴らしいけれど、これもまた、「歴史を感じる」ということなのかもしれない。そこには、特筆すべき素晴らしさもなく、さして感動があるわけでもない。積み重ねられた歴史の上に、未来が覆い被さろうとしているけれど、未来は歴史を、歴史は未来を互いに尊重しあい、互いの間にエアポケットのような僅かな隙間が生まれ、そこで人々が生活を営んでいる。パナマ・ビエホは、僕の目には、そう映った。

僕は少し歩き疲れて、誰かが置き忘れていったように、歩道にポツンと佇むベンチに腰掛けた。正面に目を向けると、向かいにバスケットコートとレストランが隣接しているのが見える。ここには新市街のように高いビルもないので、頭上の空がやけに広く、そして青い。年代を感じさせるレストランの壁は、まるで銃弾の雨に晒されたかのようにボロボロになっていて、しかし、その壁の一部には、スプレーでグラフィティアートが描かれていた。そして、そのすぐ隣にはバスケットコートだ。パナマシティを象徴しているかのような、新旧交わるその光景は、前述したように味気なく飾り気もなく、ただただ、静かに目の前で佇んでいた。

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