南米 - Panama-Columbia vol.1 -
- Ryusuke Nomura
- 2015年2月1日
- 読了時間: 8分

パナマからコロンビア間の移動は、飛行機を使うことになった。パナマとコロンビア、つまり中米と南米の間は、ちょうど砂時計の中心部のように細くなっていて、一応は陸続きで繋がっている。しかし、そこは密林に覆われたジャングルで、政府の支配の及ばない地域になっていて、非合法な地域らしい。つまりは、ゲリラが潜む危険地帯ということだ。一応、陸路でも国境を越えられる可能性がないわけではないが、その代償はあまりにも大きい。
陸路の他には、空路と海路がある。ここでいう海路とは、単純にパナマからコロンビアへダイレクトに運行するものではなく、カリブ海の島々を経由し、所々で停泊しながらコロンビア北部の港町であるカルタヘナを目指すというものであり、出航は乗客が集め次第、もしくは船長の都合にもよるという、なんともアバウトな、しかし、こういった行き当たりばったりの旅には最適と言っても過言ではないスタンスを持つ魅力的な船旅に思えたが、ホンジュラスでの船酔いの記憶新しい僕が、船という選択肢を削ったのは、必然だった。
よって、選択肢は飛行機一本になったのだけれど、それはそれで問題だった。パナマ~コロンビアの空路は、地図上を見ても分かる通り、ほんの僅かな距離なのだけど、それにも関わらず、陸路は危険でほぼ壊滅的、航路も乗客を選ぶということで、航空券の値段が、距離に対してかなり高めに設定されているのだ。運行している航空会社が少ないことも、この悪循環に拍車をかけているようだった。旅行代理店に行ったり、インターネットで色々と検索はしてみたのだけれど、結局、運行している航空会社は2社だけで、値段も3万円弱だという。結局、この辺りの国の物価からすると、高価なものしか見つけることができなかった。しかし、「安全」かつ「快適」にコロンビアまで辿り着く手段は、もはや飛行機しかなかったわけで、「そうか、これが足元を見られているということか」と、渋々インターネットで航空券を購入する次第となった。
パナマシティの安宿から、空港までは、何台かタクシーを捕まえて値切ってみたけれど、20パルボアにしかならなかった。おそらく、タクシードライバー同士で協定のようなものがあり、距離によって値段がある程度決まっているのだろう。新市街から空港までの道のりを、今でも所々覚えている。僕を乗せたタクシーは、宿の近くから入り組んだ小さな通りを走り、何度目かの角を曲がった後、一気に視界が開けた。バルボア大通りに出たのだ。左にパナマ湾が見え、その向こうには高層ビル群が熱気で揺らめいている。つい数日前に散歩した道を今度は車で走りながら、少し感傷的になっていた。グアテマラから始まった中米の旅も、これで終わりだ。旅の一つが、今まさに終わろうとしている。こういった感情に浸るは、案外嫌いじゃない。むしろ、心地い良いとさえ感じる。憂だとか悲しみだとか、そういったはっきりとした感情ではなくて、色々なものが混ざり合って、言葉に形容しがたい感覚だ。混ざり合っているのは、今まで通り過ぎていった国々の記憶なのかもしれないし、僕の中の様々な感情なのかもしれない。
そんな思いに浸るのもつかの間、バルボア大通りを抜けてしばらく走ると、視界に鮮やかな緑が飛び込んでくる。短く刈り揃えられた芝生が車道の両脇に広がり、経年劣化で赤茶けた、石作りの古い教会や橋の跡が、先時代の忘れ物のように置き去りにされていた。すかさず、運転手のおじさんが、建造物を指差しながら、しゃがれた声で、あれやこれやと説明してくれる。日に焼け、経験という名の皴が顔じゅうに刻まれた、気のいいおじさんだった。ラテンの男らしく、口元にはちゃんと髭を蓄えている。その説明の半分も僕は理解できなかったけれど、満たされた気分になったのは言うまでもない。さよならパナマ、さよなら中米。いつだって、さよならは明るい方がいいに決まっている。
さて、僕がなぜ中米で旅を切り上げずに、南米大陸にまで足を伸ばそうと思ったのか。その理由は、僕の中のいくつかの思いがジグソーパズルのように組み合わさった結果である。そのパズルのピースは、色や絵柄が明確なものもあれば、自分でもなんだかよく分かっていないがために、無色透明のものもある。これからどんなパズルが出来上がっていくのか、自分でも楽しみな南米上陸だった。
コロンビア入国前に懸念していたのは、片道分のチケットで、無事に入国できるのかということだった。コロンビアは、コカインをはじめとする麻薬の製造及び輸出拠点として有名であり、そのため、出入国の検査が特に厳しいらしいとの話を聞いていた。最悪の場合、コロンビアの空港に着いたはいいが、入国できないというケースもあるらしい。そのことについて、人に聞いたり、インターネットでもかなり調べたのだけれど、ついに確実な情報を見つけることはできず、「コロンビア側の入国管理官の僕に対する印象次第」というアバウトな結論にいたった。
そこで僕は、入国管理官の印象を少しでも良くしようと、作戦を練った。カルロス・バルデラマ、レネ・イギータ、ファウスティーノ・アスプリージャ、イバン・コルドバ。知っているコロンビア人の名前を頭に浮かべてみる。これらはすべて、近代コロンビアにおける偉人達。つまり、同国出身のサッカー選手である。ブラジルとアルゼンチンという双璧の陰に隠れがちだが、南米にはサッカー強国がひしめいており、コロンビアもまた、多分に漏れず、そんな国々の一つである。
余談になるけれど、僕の中でサッカーというスポーツが市民権を得たのは、1993年のJリーグ開幕であり、その翌年の94年アメリカW杯、そして、98年フランスW杯を通して、海外サッカーにも興味を持ち始めた。その94、98年W杯の両方ともに、コロンビアは南米代表として出場していたのである。ブラジル、アルゼンチンという絶対的な存在に加え、全体的にレベルの高い国々との戦いは、言うまでもなく過酷そのものだ。もし、日本が南米にあったら、未だにW杯には出場できていないだろうと思う。コロンビアは、そんな群雄割拠の南米予選を2大会連続で勝ち抜いた強国なのだ。そんなコロンビア国民の心に中には、自国のサッカーに対する愛が、当然ながら芽生えているはずで、入国時の質疑応答で、前述した英雄たちの名前を連呼すれば、かなりの好印象を与えられるのではないか。あわよくば、その場でアミーゴになれてしまうのではないかという算段だった。
拍子抜けした。メデジンの空港で、入国審査の長い列に並んでいた僕の顔は、同じく列に並んでいた他の誰よりも、引きつっていたことだろう。頭の中で、前述した英雄達の名前を反芻しながら、自分の番が来るのを待っていた。早く入国手続きを終わらせたい。と同時に、このままずっと、この長い列が続けばいいとも思ったいた。それぐらい、緊張していたのだと思う。それでも、否応なしに列は短くなり、僕と入国管理官との距離は縮まっていく。そして、嫌が応にも、僕の番はやってくる。いくつかある審査カウンターの一つが空いた。白人系の、ハメス・ロドリゲスを面長にして少し崩したような顔つきの男性が、僕の方を見て、こちらに来いと目配せする。ドキドキしながら、審査カウンターの前に立つ。パスポートをハメスに手渡して、彼がパラパラとそれをめくっている間、僕は頭の中で、「バルデラマ、バルデラマ、バルデラマ」と、かつての王様の名前を呪文のように唱えていた。
「日本人か」ハメスがやっと口を開いた。それは問いではなく、僕に対する確認であり、また、彼の独り言のようでもあった。そして、少し間をおいて、こう続けた「カラテ、ジュードー!」
「コロンビアはサッカーが強いですよね。いい選手も沢山いる。バルデラマ、イギータ、アスプリージャ、、、」丸暗記したスペイン語を僕が発するよりも前に、ハメスは、口元に外国人特有の自信ありげな笑みを浮かべて、少し声高にそう言った。両手を構えて空手の型のようなポーズもとっている。どうやら、ハメスはカラテかジュードーを習った経験があるらしい。そんな調子で入国時の質問もろくにされず、僕の不安は杞憂に終わった。たまたまハメスが当たりだったのかもしれないし、コロンビアへの入国審査が厳しいというのが、単なる噂だったのかもしれない。とにかく、入国してしまえば、そんなことはもう関係無い。ハメスに別れを告げて、僕は先を急いだ。
次は、空港の両替所で、余ったバルボア、つまりUS$をコロンビアの通貨に両替するために並ばなくてはならなかった。こちらの列は、先ほどの入国審査ののように長くなることはなく、ものの数分で僕の番になりそうな気配だ。最初は気がつかなかったのだけれど、僕のすぐ前に並んでいた、スキンヘッドの白人系コロンビア人が、ポケットから裸の札束を無造作に取り出して両替していた。その束があまりにも厚かったので、今でも記憶に残っている。少しオーバーサイズの白いTシャツは、新品のようにパリッとしていて、腰履きしている色落ちしたデニムとの相性も抜群だ。全体的に薄めの色でまとめていて、カジュアルな服装なのに品がある。両腕には、広範囲にわたってタトゥーが入っており、その風貌と前述した札束から、「彼は、もしやコロンビア・マフィアなのでは」との考えが脳裏をよぎった。しかも、ここは、かつてメデジン・カルテルが幅を利かせていた街である。ハメスとの微笑ましいやりとりを経て、すっかり和んでいた僕の心に、再び緊張感が戻った出来事だ。これからいよいよ南米だ。何があるか分からない。
コロンビアはメデジンの空港は、空気の澄んだ山の中腹にあった。市内までの乗り合いバスで、クネクネとした山道を下りながら、時折遠くに赤茶けたメデジンの街が見える。乗り合いバスは空港のように無機質かつモダンな造りで、先進国の交通機関のようだった。ここは、中米ではなく南米なのだ。距離はいくらも離れていないのに、「地域」が変わったことを実感した。山の中にいるので少し肌寒く、パナマシティで買ったばかりのジャージを羽織る。バスの中は、客席以外一切無駄なものがなく、心までシンプルに、軽くなっていくようだ。だからだろうか、窓から見える景色に、なんだか現実味がない。そんな味気ない気持ちを振り払うかのように、僕は心の中で何度もこう呟いた。
「僕は今、南米に来た!」それは、自分を興奮させる呪文のようでもあった。
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