メトロカブレ - Columbia vol.1 -
- Ryusuke Nomura
- 2015年2月28日
- 読了時間: 8分

昼下がりの優しくて穏やかな、聖母のような陽光を浴びながら、バスは小高い山の中腹から、徐々に高度を下げていく。時折見える赤茶けたメデジンの街並みが、だんだんと大きくなるにつれて、期待と不安が同じ量ずつ増えていく。それでも、不安よりも期待がほんの少しだけ上回っていたであろうことは断言できる、旅をしている時は、いつだってそうだ。そうでなかったら、とっくに日本へ帰っているはずだ。
僕はこの時、昔見た映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」を思い出していた。若かりし頃のチェ・ゲバラが、親友と二人、ボロボロのバイクに跨り、南米大陸を横断する物語だ。僕の旅は、この時のゲバラのようにバイクによる旅ではないし、人間としての偉大さを含め、決して比べられるものではないけれど、一つだけ、共通していることがある。それは、若き日のゲバラも、この時の僕も、「行ったことのない場所に行って、身を持って何かを感じ取りたい」という気持ちがあったということだ。それは、人間誰しもが持っている知欲というものなのかもしれない。この時の僕は、人に誇れるものなんて、ほとんど何も持ち合わせていなかったけれど、少しばかりのお金と、両手で抱えきれないほどの時間を持て余していた。人生において、そういった期間があるということ。それがどんなに贅沢なことか。旅をしている最中は、そんなことを考えることもなく、大事なことに気が付くのは、いつも少し後になってからだ。
空港から僕を乗せたバスは、無事に街の中心部であるセントロに到着した。中米の街と同じように、スペイン式の街の中心はセントロと呼ばれ、公園があり、その横には教会がある。ブラジルと他の数カ所を除く広大な中南米大陸を手中に収めていたスペインという国は、どれほどの大国だったのだろう。画一的な構造と、植民地範囲の広さに、恐ろしさすら感じる。これら中南米の元植民地は、いわばスペイン本国のコピーであり、必死に母国と同じような構造の街並みを造り上げるというのは、どんな気分だったのだろう。異文化と共存するのではなく、既存の文化を排他することに執着した当時のスペイン人。インディヘナはキリスト教に改宗させられ、洗礼を受け、まるでスペイン人のような名前を与えられた。それでも、同じ教育を受けた人間が、全く同じ性格にならないのと同じように、中南米がスペイン本国と全く同じになることはなく、それは、スペイン人にとって想定内だったのか、想定外だったのかは分からないけれど、この広大な大陸に、唯一無二の特異な文化が形成されることとなった。それは、侵略者が望んだことではなかったかもしれない。しかし、その独自な文化は、僕のような異国から来た旅行者を惹きつけて止まない。そんな魅力溢れる地球の裏側まで、大した目的もなく辿り着いてしまった自分は、なんと滑稽なのだろう。そんな自分の愚かさを愛おしく思う。さて、南米の旅がいよいよ始まる。
セントロは、さすがに街の中心部だけあって、人と物が行き交い、ガヤガヤしていて活気は感じるけれど、熱気を感じることはない。それは、気候が影響しているのだろう。メデジンの気候はサンホセとよく似ていて、暑くもなく、寒くもなく、湿度も低くカラッとしているようだ。この様子だと、朝晩は少し冷え込むのかもしれない。
首都のボゴタではなく、いきなりメデジンに来たのは、グアテマラはアンティグアの日本人宿で会ったナカムラさんに再開するのが目的だった。ナカムラさんは、メデジン在住の日本人が経営している宿に宿泊しているらしく、セントロでタクシーを捕まえて、あらかじめ聞いていた住所に向かった。緊張していたのか、タクシーに乗っていた時のことは、ほとんど何も覚えていない。気付いたら、タクシーは、閑静な住宅街を走っていた。こんなところに宿があるのかと不安に思い、運転手を勘ぐってしまったことだけは覚えている。不安だった部分にだけ記憶力が生かされてしまう自分の脳が恨めしい。もっと楽しいことだけ覚えていられるようになったらいいのに。
住宅街の真ん中で、不意にタクシーが停まった。運転手が、僕が渡した住所のメモを見ながら首をかしげている。しばらくその状態が続いた後、運転手が再びアクセルをゆっくりと踏んで、タクシーを発進させた。低速であたりを見回している。立ち並ぶ家々に、表札代わりに付いている住所を見ているのだ。しばらくして、運転手はそれらしい家を見つけたようだ。「ここだ」と言って、一緒に家の前まで連れて行ってくれた。運転手さん、疑ってしまってごめんなさい。旅中だからという言い訳もできるけれど、日本で普通に生活している時も、なんだかんだで疑心暗鬼になってしまうことがある。記憶の中で不安が強調されてしまったり、他人を色眼鏡で見てしまったり、どうも僕は、内向的なきらいがある。気を付けてなんとかなるものでもないかもしれないけれど、そういった自分の特性を忘れないでおこう。
着いた宿は、綺麗な一軒家だった。タクシーが、住宅街を走っていたのも納得だ。メデジン在住の日本人の方が経営しているこの宿は、自宅の数部屋を開放して、日本人の旅行者に提供しているようだ。玄関を開けると、コロンビア人女性が出迎えてくれた。ものすごく美人というわけではないけれど、少し眠たそうな目にボリュームのある口元がセクシーな「ラテン」の女性だった。聞くと、宿を経営されている日本人の方も、ナカムラさんも外出中ということだ。リビングの奥には、個室が3部屋あり、そこが宿泊者に提供している部屋だという。清潔なキッチンに新品同様の洗濯機、まるで日本の新築みたいで、宿というよりも、ホームステイに近い感覚だ。
夕方になると、ナカムラさんと、宿の経営者であるコバヤシさんが帰ってきた。ナカムラさんと久々の再会を果たし、その夜は、コバヤシさんの奥様(玄関で出迎えてくれた女性が奥様だった!)の作ってくれたコロンビア料理を食べながら、久しぶりに日本語での会話を心ゆくまで楽しんだ。話題はもっぱら、どうしてコバヤシさんが地球の裏側に住んでいるのかということに集約された。コバヤシさんの年齢は、僕より1つか2つ上で、2011にお会いした時点で、まだ20代だった。ずっと日本で生活していたのだけれど、色々なことがあり、「人生を捨てる」つもりで、単身、コロンビアにやってきたのだという。その当時のコロンビアは、今とは比べものにならないほど治安が悪く、街中で手榴弾を投げ合う光景すら日常茶飯事で、タクシーの窓ガラスには鉄格子がはめられていたという。そんな環境の中、コバヤシさんは「こんなに面白い場所は他にない!」と、この国を気に入り、以来、メデジンに腰を落ち着けているそうだ。今ではスペイン語もペラペラで、コロンビア人の奥様もおり、「生活するのに困らない」程度の収入を得ながら、メデジンでの生活を楽しんでいるという。
そんなコバヤシさんの行動力の原点が、こんなことを言ったら失礼に当たるのかもしれないけれど、「日本からの逃避」だという点に、僕はものすごく興味をそそられた。僕の受けてきた教育では、「逃げ」というのは、後ろ向きな行動であって、できればしない方が望ましいものだ。しかし、奥さんの手料理をほうばりながら、楽しそうに話すコバヤシさんの表情には、充実感が滲み出ている。それだから、話している時の表情に自然と笑顔が多くなる。いつだって、人間の感情は正直だ。日本から逃げて逃げて逃げまくって、「逃げ切り勝ち」をしたコバヤシさん。逃げもここまでくると勝利なんだ。コバヤシさんと楽しく会話していると、きっと誰でもそう思うはずだ。
翌日から、コバヤシさんにご一緒して頂いてのメデジン観光が始まった。メデジンは、ボゴタに次いでコロンビア第二の都市で、かなり大きな街で、交通網も発達している。市内にはモダンな造りの電車が4路線と、「メトロカブレ」というロープウェイが、山の斜面に沿って通っている。空港から市内へ向かうバスの中で見た赤茶けた風景は、この山の斜面に建つ家々の屋根や外壁だったのだ。

この「メトロカブレ」に乗って見渡すメデジンのパノラマは美しく、それが夜になると尚更だった。メトロカブレで山の斜面を登っていくと、その美しい景観に、誰もが釘付けになるだろう。まるで、自分が鳥にでもなったみたいだ。だけれど、観光中に、コバヤシさんからこんな話を聞いた。「メトロカブレで上に登れば登るほど、そこには貧しい人々が住んでいる」そうなのだ。仕事をするためには、山を下って「街」に出なければならない。標高が上がれば上がるほど、「街」へ降りるための運賃は高くなる。そのため、人々はできるだけ「低い」場所に住みたがるが、「低ければ低いほど」今度は、土地も家賃も高くなる。貧しい人々は、どうしてもまとまったお金がないので、標高の高い場所に居を構え、同時に日々の交通費は、家計に重くのしかかってくる。負の連鎖、悪循環だ。よく、南米のサッカー選手が、幼少期にクラブからスカウトされたはいいが、練習場までのバス代が払えなくて、泣く泣く入団を諦めたという話を聞くけれど、つまりはそういうことなのだ。それが、事実であり、現実なのだ。コバヤシさんにその話を聞いてから、メトロカブレに揺られながら見ている綺麗な景色の中に、不思議と、山の斜面の粗末なバラックが目につくようになった。少し意識をするだけで、見える景色が変わってくる。知らない方が、いい気持ちのまま観光できたのかもしれない。でも、これは僕が知らなくてはいけないことだ。僕がしているのは、観光ではなく、旅なのだから。僕にはまだまだ、知らないことがたくさんある。あり過ぎる。残りの人生で、それをどれ位埋めていけるだろう。
Comments