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2012 Football in singapore - Side Story vol.2 -


シンガポールと聞いて、真っ先に思い浮かぶのはマーライオン。加えて最近では、マリーナベイサンズ(大きな船の乗ったホテル)やUSJなんかがやたらクローズアップされているけれど、一歩、観光の中心地を離れれば、多種多様な民族がそれぞれのコミュニティを形成している面白い国だ。

東京都23区とほぼ同じ面積しかない、この小さな国の中には、華僑を初め、インド系にマレー系、フィリピーナやムスリムだっている。そして、街のいたる所に無数の野外フードコートを確認することができる。当地に住む、特に華僑の人々は、家で食事をするという文化があまりないようで、そのようなフードコートが、生活に欠かせないものとして存在しているのだ。

フードコートといっても、その多くは屋外にあって、屋台の集合体のような感じだ。大きい所だと、20店舗以上がフードコート内の外周で営業している。その店々に囲まれるようにテーブルが並び、買った料理をその場で楽しむことができる。面白いのは、店先に並んでいる人の数が、店ごとで明らかに違うという点だ。常に10数人以上並んでいる店もあれば、行列などなく、店主が空になったラード缶に腰掛けて、肩肘をついている店もある。

しかし、暇そうな店でも、特に呼び込みなどをすることなく、自然に身を任せているといった具合だ。そんな人気格差がどこのフードコートにもあって、だから、フードコートごとに行列の多い店が「有名店」としてガイドブックに載ったりするのだろう。でも、僕にとっては、舌が肥えていないのか、異国で気分が舞い上がっていたのか、はたまたその両方なのか分からないけど、行列の多い店の料理も、暇を持て余している店の料理も、多少の差異こそあれ、美味しく頂くことができた。色々な場所のフードコートに行き、様々な料理を食べるのが、毎夜の楽しみであった。南国らしいスパイシーさを加えた中華料理。ものすごくざっくりと説明すると、そんな料理を提供してくれる店が、フードコートにはたくさんあった。

その日の夜も、宿の近くのフードコートで軽く食事を済ませて、まだ行ったことのないフードコートに行こうか迷いながら、裏路地をあてもなく歩いていた。フードコート周辺は、夜になっても人通りが途絶えることはない。というより、この国の人々は夜行性なんじゃないかと疑うほど、フードコート周辺の人通りは、昼間よりも多く感じた。

夏の夜、ただ歩いているだけで、気分が高揚してくるのはなぜだろう。お目当てのフードコートを冷やかしてから、さらに歩いていると、交差点にぶつかった。その交差点の向こう側に、何かのスタジアムが見える。今日は平日の夜で、南国の陽はまだ完全に落ちきっていない。交差点を渡り、スタジアムに近づくにつれ、時折、中から控えめな歓声が聞こえてくる。それは、フットボールの試合のようだった。マレー半島の南端。この小さな都市国家にもフットボールリーグがあるなんて、この時まで僕は知らなかった。

平日の夜だからだろうか、それともこの国でフットボールがあまりに人気がないからかは分からないけれど、入場料はフリーだった。スタジアム内は小じんまりとしていながらも、外側に陸上トラックのないサッカー専用で、空席が目立つ。売店でシンガポールビールを買って、無数にある空席の一つに腰を下ろす。スタジアム内を流れる夜風が心地良い。対戦していたのは、黄色のチームと橙色のチームで、試合は、実に牧歌的な雰囲気の中で繰り広げられていた。黄色チーム、橙色チームともに、熱心に応援しているサポーターは、わずか十数名で、残りは僕と同じように、「なんとなく」スタジアムに来てしまったと思われる人達だった。プレーしている選手は、肌の浅黒いマレー系が最も多く、その中に欧米系の白人と、中華系と思しき黄色人種が混じっていて、多民族国家であるシンガポールを象徴しているかのようだ。

黄色いチームの中に、明らかにネイマールを意識した髪型のマレー系選手がいた。ソックスを膝上まで捲り上げて、キレのあるドリブルで、自慢のモヒカンをなびかせながら右サイドを駆け上がっていく。橙色の敵チームは、なかなか彼を止められない。そのまま相手をかわしてペナルティエリア内に侵入したマレー製ネイマールが右足を振り抜くと、勢いのあるシュートはゴールキーパーの手をかすめて、ゴール上部に吸い込まれた。黄色チームのサポーターからは歓声が、橙色チームのサポーターからはため息が漏れる。程なくして、ゴールを決めたマレー製ネイマールの名前を読み上げる場内アナウンスが流れると、ゴールを決めた本人は、両手の拳から突き出した親指を下に向けて、自身の背中にプリントされている名前と背番号を誇らしげにアピールする。すると、橙色チームのサポーターからのブーイングが気持ち大きくなった。

しかし、僕は、「あれ?」と思った。なぜか、そのブーイングに憎しみが込められていなかったのだ。フットボールというスポーツは、世界のいたる所で、その国ごとにリーグ戦が展開されていて、特に盛んなヨーロッパや南米なんかでは、生まれた町や地域によって、先祖代々、心酔するべきクラブが決まっていることもある。そして多くの場合、自身のクラブへの愛の大きさ故に、時としてその熱い思いの一端が、敵チームに向けられる。フットボールが生活に根ざしていればいるほど、その割合は大きくなる。どれだけ人々がクラブに依存しているかで、その国のフットボールのレベルが決まると言ってもいいだろう。

こと日本に関しては、まだまだフットボールが、人々の生活の中でなくてはならないというレベルに程遠いというのは、周知の事実だ。それでも、大久保嘉人が削られれば川崎市民は敵DFに激しいブーイングを浴びせるし、横浜市民は、キングの最年長ゴール記録を毎年楽しみに待っている。そして、ウルグアイの10番が大阪のクラブと契約を交わした時、浪速っ子は大きな夢を見たに違いない。日本でさえ、そうなのだ。日常的ではないにしても、そういった局地的な熱さは、列島のいたる所に散乱している。

僕は、この日の後にも、もう一度同じスタジアムを訪れ、違うカードのゲームを観戦した。しかし、どうにも「熱さ」を感じることができない。なぜだろう。僕は思い悩んだ。これは、僕の知っているフットボールではない。南国の気候と同じように、穏やかで、どこかピリッとしない空気がスタジアム全体を包み込んでいた。

ハーフタイム。もう半分試合に興味のなくなっていた僕は、バックスタンドで空になった紙コップを片手に、もう一杯ビールを飲むべきか否かを思案していた。その時、片方のチームのサポーター達、と言っても少数精鋭の7、8人が、敵チームのサポーターに向かって、何やら挑発的な歌を歌い始めた。言葉は分からなかったけれど、「ラララララ~俺たちの誇り~?」みたいな、ありがちなのではなくて、「このオカマ野郎 お前の母ちゃんデベソ!」みたいな感じであるのは間違いなかった。それをゲラゲラ笑いながら、バックスタンドの反対方面にいる敵に向かって歌うのだ。もちろん相手チームのサポーターも黙っていない。「ファック!お前の母ちゃんの方がもっとデベソだ!」みたいな感じでアンサーソングをお見舞いする。それは、なんだか少年野球のヤジの投げ合いのような、おちゃらけた雰囲気だった。

アルゼンチンで運良くコパ・アメリカ(南米選手権)を観戦できた時、10歳位の少年が、敵チームに向かって「イホ・デ・プータ!!」(この売春婦の息子め!)と必死の形相で叫ぶのを見て、アルゼンチンという国の、フットボールに対する懐の深さを身を持って知った。同時に、1998年フランスで、僕らの国が彼らに負けた理由を理解した。

では、シンガポールはどうか。ヤジの投げ合いは、その後も穏やかに続き、周りの観客は、笑いながらそのやり取りを眺めている。まるで、どこぞの小劇団の公演のようだ。僕も、その光景を見ていると、なんだか楽しくなってきて、いつしかビールを買いに行くことも忘れていた。そして、サポーター同士のそうしたヤジの投げ合いは、ハーフタイムが終わって後半戦が始まっても、互いの選手がファールや小競り合いをする度、突発的に起こった。それを見て、周囲の観客は笑みを浮かべるけれど、決して加わろうとはしない。試合を見に来ているのか、そちらを見に来ているのか分からなくなる。

もう一つ、この日僕が来ていたスタジアムには、前述したように熱心なサポーターが少ないせいもあって、チャントや応援に、全く統一性がなかった。僕は、特定のチームのサポーターというわけではないけれど、以前、自宅からほど近い、Jリーグチームのスタジアムに足繁く通っていた時期がある。「魔法使い」の異名を持つ、お目当の選手がいたからだ。元セレソンで、カナリア色のユニフォームに袖を通した経験もあるその選手のプレーは、とにかく見るものを魅了する。と言ったら月並みな表現なのだけど、本当にその言葉がしっくりとくる数少ない選手だと思う。彼のプレーを生で見た時、僕は初めてフットボールは「エンターテインメント」なのだと理解した。

当時、(今もか…)お金のあまりなかった僕の指定席は、決まって一番安い立ち見のゴール裏だった。そして、ゴール裏の中心部分は、熱心なサポーターの巣窟だ。だから、僕はいつもゴール裏の隅の方で、ビールを飲みながら試合を見ていたのだけど、ある時、いかにも熱心そうな気合いの入ったサポーターに、「ゴール裏の真ん中で一緒に観戦しませんか?」と声を掛けられた。「真ん中」という響きにつられて、彼と一緒にサポーターの巣窟へ向かった。もちろん、右手に持った紙コップの中には、黄金色の液体がまだ残っていた。確かに眺めは良好だった。程よい高さからピッチ全体が見渡せる上に、このスタジアムはサッカー専用で、コートの外側に陸上トラックがないのだから、キックオフを前にして、胸を高ぶらせたのは言うまでもない。

しかし、全員お揃いのレプリカを来て、首にはこれまたお揃いのタオルマフラーを巻いたサポーター達は、なんだか鬼気迫るようなピリピリとした雰囲気を醸し出していた。そして、その中の一人が、僕に向かって試合中はビールを控えるように言った。「真剣」にチームを応援するためだという。そして、ハーフタイムにトイレなどへ行くために席を空けた際には、できるだけ早く戻って来るようにと忠告された。ゴール裏が埋まっていないと「絵的」にマズイとのことだ。

イホ・デ・プータ。それならそうと連れてくる前に言ってくれ。僕にとってゲーム観戦の連れはいつだってビールだし、ゴール裏の「絵」なんて知ったこっちゃない。試合が始まる前、トイレに行くと言って、いつもの隅っこへフェードアウトした。その日も、自由にプレーする「魔法使い」をよそに、しかし、ゴール裏の中央に自由はなかった。統制のとれたその応援は、スポーツニュースなんかで一瞬映った時には、確かに見栄えは良いのかもしれない。しかし、その規律ある応援を中央で先導している誇り高きサポーターの方々は、フットボールを本当に楽しめているのだろうか。

僕の目にはそう映らなかったし、シンガポールでヤジを投げ合っている、あるいは、それを笑いながら見ている人達の方が、何倍もこのスポーツを自由に楽しんでいるように思えた。そうなのだ。戦術だとかフォーメーションだとか、果ては、ポリバレントやらインテンシティやら、何語だかよく分からない言葉がニュースやインターネットに氾濫している昨今。本来、一つの球体があれば、いつでも、どこでも、誰もがプレーできるこのスポーツは、それ故に世界中に繁殖し、そして、「楽しい」ものであることを、シンガポールの夜は、僕に思い起こさせてくれた。

ものすごく後付けになるけれど、2015年6月16日、昨年ブラジルで、僕達を悲しみの淵に突き落とした我らがサムライブルーは、2018ロシアW杯二次予選と称して、シンガポール代表を埼玉スタジアムに迎えた。先の親善試合で良い結果を残していたこともあり、大量得点による「内容」も伴った勝利を期待された青い戦士達は、しかし、格下のシンガポール相手に0-0の引き分けでゲームを終えた。この結果を見て、落胆するとともに、3年前のシンガポールでの夜を思い出した。フードコートの近くにあった、あのスタジアムはまだ健在だろうか。少数のサポーター達は、相変わらずヤジを投げ合い、夕食後の腹ごなしに、なんとなくスタジアムに来てしまった人達の醸し出す「ゆるい」雰囲気は、今でもスタジアムを包み込んでいるのだろうか。これから先、シンガポールがアジアの強豪になっていくのだとしても、あの日、スタジアムに流れていた「楽しい」空気は、いつまでも残っていてほしいと切に願う。

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