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丸いテーブル - Side Story vol.4 -


— 昔から、ずっと疑問に思っていることがあった。ちょっと高い中華料理の店に行くと、必ずと言っていいほどある、円形のクルクルと回るテーブル。あのテーブルは、何故あんなにも丸みを帯びているのか —

進路は、南にしかなかった。台北という地名が示す通り、この街は米粒のような形をした島の北部にあり、そこから旅を続けるには、南へ下るしかないのだ。地図を見ると、台北のさらに北にも基隆という町があったけれど、そこから先には海しかない。北と聞くと閉鎖的で物悲しい気持ちになって、南と聞けば開放的で楽観な気分になるのは、どこの国の人でも同じなのだろうか。とにかく、僕は南へ向かうことにした。

東京駅の何倍もの面積を誇る台北駅は、台北市内のメトロと地方行きの列車や新幹線の駅が、同じ敷地内に混在している。おまけに地下街も充実していて、何回行っても迷ってしまう巨大な建物だ。だから、自分の行きたい場所まで、鈍行の列車を使うのか、新幹線を使うのかでも切符売り場が変わってくるし、自分の行きたい場所の切符をどこで買えばいいのかでもまた迷ってしまう。しかし、こんな時にも、漢字が読めるというのは大きなアドバンテージで、地名はもちろんのこと、駅構内の標識を見ても、その意味をなんとなく理解できてしまう。そして、どこに行けばいいのか本当に分からなくなってしまった時には、最後の手段として筆談を持ちかければいいのだ。それが分かってからは、なんだか気持ちが楽になって、言葉が分からないことに対する不安や焦りがなくなった。だから、ただっ広い台北駅の構内でどんなに迷ったとしても、その迷っている時間さえ、旅の一部として楽しめるようになってきた。

僕は、とりあえず、台湾南部の主要都市に一つである台南行きの切符を購入した。もちろん新幹線ではなく、鈍行列車だ。台湾を旅する時に、その移動手段には、大きく分けて3種類ある。1つ目は新幹線を含む列車、2つ目は長距離バス、そして3つ目は飛行機だ。とりあえず、時間はあるけれどお金はない旅なのだから、飛行機というのは選択肢から外れるとして、列車と長距離バスのどちらを選ぶのかということなのだけれど、値段だけを考えれば、長距離バスよりも列車の方がいくらか安価なのだ。ならば長距離バスでと思うのだけれど、僕には昔から「鈍行列車の旅」というものに理由のない憧れがあって、あるいはそれは、僕個人の嗜好ではなく、青春時代に日本で「青春18切符」という商品が大々的にプロモーションされていたせいかもしれない。鈍行列車の旅は、自由の匂いがする。香りではなくて「匂い」それが、完成された価値観として、僕の心に記憶されていた。そして、それは今後一切変わることはないだろう。

符売り場で人混みをかき分けて、切台南行きの鈍行切符を購入した僕は、売店で駅弁と呼ぶには安価すぎる弁当を買って、列車に乗り込んだ。平日のせいか乗客はまばらで、それは列車が動き始めても変わらない。空席の目立つ車両の中、窓際の席に座った僕は、ゆっくりと動き始めた列車の細かい振動を全身で感じながら、期待に胸を膨らませた。今まで色々な国に行ったけれど、移動手段として鈍行列車を使ったことはなかった。長距離移動をする時は決まってバスで、その方法が最も安価だったからだ。もしくは、長距離の列車自体が存在しない国も多くあった。もちろん、長距離バスが嫌いなわけではない。走っている場所が道路か線路かの違いだけで、窓際に座れば同じように車窓からの景色を楽しむことができる。それでも、列車で旅に心奪われたのは、前述した理由からだろう。

窓ガラス越しの街の景色は、しかし、すぐに牧歌的なそれに変わる。田園の濃い緑が露に濡れてツヤツヤしている。雨が上がり雲間から覗いた太陽が、その緑を一層濃く輝かせる。そんな田園風景が延々続き、だけれど、日本のそれと大きく違うのは、田園のその向こうに、椰子の木がゆらゆらと大きな葉を揺らして鎮座していることだ。台北にいた時は、そこが高層ビルに立ち並ぶ都会であるのと、中華の雰囲気漂う街並みから忘れがちだったけれど、台湾のすぐ下にはフィリピンのルソン島がある。そう、ここは南国なのだ。

駅で買った弁当を開ける。白米の上に、中華風の甘辛い鶏肉の塊と、煮卵、野菜の漬物が一緒くたに乗せられた簡素かつ庶民的なものだったが、味は悪くなかった。一つ誤算があるとするすれば、売店でビールを買っておけばよかったということだ。この甘辛い鶏肉は、ビールによく合いそうだった。異国で列車の窓際に座り、代わり映えがしないようで徐々に変わっていく景色を横目に見ながら、弁当を食べる。ただそれだけのことが、とても楽しく感じられた。

出発してから、いくつかの駅に停車し、幾人かの乗り降りがあったけれど、車内の乗車率は相変わらず低いままだった。ある小さな駅に停車した際、初老の男性が、よろよろとした足取りで僕の隣の席にやってきた。強烈なアルコールの匂いを身に纏ったその男性は、通路側の席に勢い良く腰掛けると、片手に持ったペットボトルのような容器を開けて、透明な液体を勢い良く口に流し込み、フーッと一息ついてから、背もたれに頭を落とした。酔っているというよりは、酩酊しているという表現の方が、しっくりくるかもしれない。そして、台湾に来てから、ここまで酒に飲まれている人を見たのは初めてだった。

背もたれに倒れこんで少し休んだ男性は、次に、汚れた黒いバックから円形のタッパーを取り出した。彼がおもむろにタッパーの蓋を開けると、香辛料のキツイ香りが車内に充満する。中から骨つきの鶏肉を取り出し、ムシャムシャと頬張りながら、また一杯やり始めた。僕を含め、周囲の乗客は、みんな白い目を向けていたけれど、彼にはそんなことはお構いなしのようだった。しばらく、一人で黙々と酒と向かい合っていた彼は、不意に、僕の方に顔を向けると、中国語で何やら話しかけてきた。僕がポカンとしていると、タッパーから鶏肉を取り出し、はら、お前も食べろという感じで差し出してきた。僕が、お腹一杯だからいらないというジェスチャーをすると、それならばと、今度は片手に持っていた酒のペットボトルを差し出してきた。それはもっといらないので、丁寧に断ると、今度は何も差し出さず、中国語で熱っぽく語りかけてくる。言葉は全く分からなかったけど、怒っているわけではないことは、その口調と雰囲気から判断できた。

後ろの席に座っていたおばさんが、僕が外国人だということを理解してくれて、それを初老に男性に伝えると、言葉が通じないということをやっと理解したらしく、おそらく「悪かったな若いの」といった意味合いであろう言葉を僕にかけて、一人酒に戻っていった。しかし、やっと静かになったと安堵感を感じたのも束の間、その初老の男性が、急に酒と鶏肉を床に嘔吐し始めた。周囲の乗客が騒ぎ始める。僕は、急いで席を立って、空いていた他の席に移動した。

その数分後、列車は台南駅に到着して、濃い列車の旅を終えた。のんびりと自由の匂いに包まれて旅するはずが、思いがけない出来事に見舞われて、計算違いのものになったけれど、それはそれで良いと思える心の余裕が、僕にはあった。それが、自由という言葉の持つ意味の一端なのかもしれない。

台湾は、台北と高雄という南部最大の都市以外は交通網が発達しているとは言い難く、だから、ここ台南にもメトロはなかった。主要な観光地の多くは台南駅から徒歩圏内に密集していて、僕の泊まったゲストハウスも、台南駅から徒歩15分ほどの雑居ビルの中だった。町並みとしては、もちろん台北よりも田舎ということで、人も建物も少なく、それでいてデパートやショッピングセンターは充実していて、台湾で一番の規模といわれる夜市もある。のんびりと長期で滞在するにはうってつけに思えた。

ゲストハウスから歩いて5分くらいの所に、孔子廟という、その名の通り孔子を祀った小さなお寺があった。この孔子廟、台湾の至るところにあるらしく、日本でいうお寺とか神社のような位置付けのようだ。もちろん、それは台北にもあって、その時はあまり心を奪われずに素通りしたのだけど、台南の孔子廟は、その規模は小さいながらも魅力的だった。というのは、昼間から中年から初老までの無骨な男達がどこからともなく集まって、雑談をしたり、廟の入り口で囲碁のようなゲームに興じていたのだ。しかし、かれらも遊んでいるばかりではなく、時折、片手に長い線香を持ち、孔子に祈りを捧げていたりする。真面目なのか不真面目なのか分からないけれど、この孔子廟が、彼らの生活になくてはならないものであることは確かなようだった。

その孔子廟は大きな通りから少し脇に入った小道の奥にあるのだけれど、大通りと孔子廟を結ぶその小道は、台湾の古い住居をそのまま利用したかのような、趣のあるカフェやレストラン、ギャラリーが並んでいた。そして、夜になると、小道の上にぶら下がっている丸い中華風の赤提灯に明かりが灯って、なんともいえないノスタルジックな雰囲気になる。その小道を抜けて大通りに出れば、通り沿いの大衆食堂が、幅のある歩道にテーブルと椅子を並べ、即席の屋台が作っていた。どの店もなかなか盛況なようで、食事や酒を楽しむ人で、賑わいを見せていた。しばらく色々な店を観察していると、あることに気が付いた。まず、どの店も、一人客というのは皆無で、3、4人から5、6人の団体客だということ。そして、多くの店の即席屋台のテーブルが、四角ではなく円形だということだ。

台湾に来てから、夜市などで多くの屋台を見てきたけれど、テーブルの形にまで考えが及ぶことはなかった。だから、ここで見つけた丸いテーブルが、特別なものではなく、台湾では当たり前のものなのかもしれない。

丸いテーブル。丸いテーブル。どうして四角ではなく、丸いのだろうか?

歴史的、もしくは文化的は背景は分からないけれど、それは、客の多くが複数人であることと関係しているように思えた。テーブルが丸いということは、卓を囲む数人が、グルっと一周、円を描くことになる。一人目から始まり、数人を経由して、一人目に戻ってくる。一方、四角いテーブルは、一人目から始まり、二人目に行く前に、その線は途切れてしまう。そう考えると、会食を仲間だという意識や一体感を確認する場とするならば、線が途切れず弧をを描く丸いテーブルほど、最適なものはない。思えば日本にも、かつてはちゃぶ台という円形にテーブルが家庭の食卓のスタンダードだったし、中華レストランのクルクルと回る円形テーブルも、その機能性もさることながら、前述したような精神的な理由があるように思えてならない。丸いテーブルは、人と人との距離を近づける。それは、現代よりすべてにおいて文明が未発達だった時代に、人々の拠り所は、モノではなくて、家族や仲間などの「人」だったからだろう。その帰属意識を確認するために、食物を囲んでの会食が必須であったのは、想像に難しくない。

そういう意味で言えば、丸いテーブルは、前時代的であり、だからこそ、人間が本来持っているはずの感覚に正直なモノだと言えよう。僕は一人旅の自由で、しかし、どこか寂しい気持ちを抱えながら、夜の台南を彷徨い歩いた。

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