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国境線 - Peru vol.1 -


プエルト・ロペスで、最高の「休息」を終えた僕は、一度グアヤキルに戻り、そろそろ国境を越える時期かなと考え始めた。一路、南へ進路をとれば、次の国はペルーということになる。 そろそろ次の国へと考えたのは、プエルト・ロペスでの約一週間の滞在が、僕に大きな充実感と前へ進む気力を与えたからだ。旅というのは、どこか一点に留まっている状態を指すのか、それとも、点から点へと移動している瞬間を指すのか。もし、それが後者ならば、僕の旅は、再び動き始めたということになる。

「ペルーだけは、南米諸国の中でも、なんだか特別な気がする」

以前、パナマ・シティの安宿で会った人が、そう言っていたのを思い出した。雄大なアンデス山脈の麓で、色とりどりの民族衣装を身に纏った原住民が生活している。天を仰げば、翼を広げたコンドルが澄んだ空を横切り、どこからかフォルクローレの悲しげな音色が聞こえてくる。きっと、そんなイメージなのだと思う。そんなステレオタイプ的なイメージが、多くの人に定着しているのだろう。とりわけ日本での知名度の高さは、マチュピチュやナスカの地上絵に代表される、古代インカ帝国の遺跡群によるところも大きい。そんな良くも悪くもイメージばかりが先行している国への入国は、しかし、一筋縄ではいかなかった。

グアヤキルの長距離バスターミナルの入り口付近には、貧しいインディヘナが地べたに腰を下ろし、物乞いをしていた。紙コップの中には、僅かばかりのコインが入っていて、薄汚れてはいるが、しっかりと民族衣装を身につけている。

そんな彼の前を、恰幅の良い中年女性3人組が通りかかった。こちらも同じようにインディヘナで、しかし、見るからに綺麗な民族衣装を着ていて、数枚のコインを、物乞いをしていた彼の紙コップに投げ入れた。僕が驚いたのは、その一連のやりとりの中に、インディヘナ同士の経済的な格差が垣間見えたことだった。僕が今まで旅をしてきた中で、インディヘナというのは、総じて経済的に貧しい存在で、しかし、彼ら固有のコミュニティを形成していて、その中で経済が回っているので、清貧ながらも、文明に侵されない生活を送っている人々。という印象があった。僕の浅はかな考察が、インディヘナ達を画一的な存在とみなしていたのだ。それは、国籍を聞いて、その人の性格や思考、人間性を判別するのと同じ位、愚かなことだ。

文化的にも、民族的にも、多様性の中で生きてこなかった僕は、すぐに、あらゆる事柄を何か決まった型にはめたがる傾向がある。色眼鏡で物を見ているつもりはなくても、そうなってしまうという悲しい事実。

ペルー国境へと走るバスは、時折、規則的に道路脇に並ぶ街灯の光が、窓際からポッと映りこむだけで、車内も窓の外もいつの間にか暗くなっていた。国境に着いた時には、もう夜の10時を回っていたと思う。国境は、車幅の広い国道で、その脇に小さなオフィスがある。バスを降りた僕達は、エクアドル出国のスタンプを貰うために、列に並ばなくてはならなかった。ただでさえ長い列に窓口は一つしかなくて、なかなか前に進まない。10分経ち、20分経ち、やがて30分近く経った頃、僕は、ある異変に気付いた。列が前に進むのが遅いのではなくて、全く前に進んでいないのだ。僕の前に並んでいた、スペイン人の3人組が、ゲラゲラと笑いながら教えてくれたところによると、窓口の出国管理官が、居眠りをしているらしい。そんなことはあり得るのだろうか? 半信半疑で列を抜け出し、窓口の様子を見に行くと、やはりというか人だかりが出来ていて、粗末な出国管理オフィスの開け放しの窓口には、首をカクンと卓上にお辞儀させた若者が椅子に座っていた。その様子は、まるで授業中に居眠りをしている学生のようで、時折、ウトウトと首が上下に揺れる姿が微笑ましい。

やがて、人だかりの喧騒に気付いて目を覚ました出国管理官は、ゆっくりと上体を起こして頭を正面に向けると、重たそうな瞼を擦り始めた。その一連の仕草には、仕事中に眠ってしまったという罪悪感は微塵も感じることはできなかったけれど、特に何にも急いでいなかった僕は、怒りよりも笑いがこみ上げてきたし、周囲の空気を察するに、他の越境者達も、概ね僕と同じ心境のようだった。急ぐべき理由がなければ、僕達はこんなにも温厚で平和的なのだ。

完全に目を覚ました出国管理官によって、長い列がゆっくりと動き始めた。かのように見えたのは、僕の希望的観測だったのかもしれない。越境者の一人から、パスポートを受け取った先ほどの管理官が、机の横にある機械と睨めっこしながら、何やら四苦八苦している。パスポートの顔写真と目の前の本人を見比べて、OKならばスタンプを押せばよいだけではないのだろうか。それとも、何か機械的な処理が必要なのか。固唾を飲んで見守る僕と、やはり同じ心境らしい周囲の人々。この時、この場所に居合わせた人々とは、同じスクリーンで映画を見ているような、不思議な空気感を共有していたと思う。もう二度と会うことなんてないのに、言葉を交わしたことすらないのに、だ。海の向こうには、やっぱり、面白いことがたくさんある。

程なくして、相変わらず、しかめっ面で機械を操作しようとしている彼の後ろから、救世主が現れた。彼よりも少し恰幅のが良く、年齢も上だろうと思われる新しい管理官は、制服の胸に輝く勲章の多さから、彼の上司であることは間違いないようだ。彼の横に座り、何か話しながら、一緒に機械を操作している。「うんうん」と納得するように頷く彼の顔に、段々と自信が漲ってきた。上司に「ほら、やってみろ」という感じで、一人操作を任された彼は、手にしていたパスポートをその機械に近づけ、何やら操作すると、満足気な笑顔を見せて、上司とアイコンタクトを交わした。なんのことはない。機械の故障などではなく、ただ単に、彼は、機械の操作方法を知らなかっただけなのだ。「やれやれ」というため息が、周囲の人々の心の中から漏れたのがわかった。それは、幼い子供のやんちゃを見守るような温かいため息で、暖色の安堵感が周囲を包んだ。

それでも、列の長さは短くなるわけではなく、窓口が増えるわけでもない。自分の番が来るのには、相当な時間がかかった。パスポートに出国のスタンプを押されて思い出したのだけど、エクアドルの出入国スタンプは、機械に開いたパスポートを挟んで、コンピューターで日付や出入国ポイントなどの情報を印字するシステムなのだ。スタンプと比べるとなんだか味気なくて、だけれど、パスポートの一片に記された、この無機質な印字を見ると、今でもこの時のほっこりとする空気や、ぼんやりとした黄色い街灯と、国道脇の粗末な出向オフィスを思い出す。月が怪し気に輝いて、生暖かい風が吹いていた。そして、僕は国境を越えた。

ペルー側への入国は、拍子抜けするほど簡単だった。滞在予定日数も、多めに申告したら、あっさりと30日のスタンプを押してくれる。入国を果たした時には、空は白み始め、青白い色に変わろうとしていた。朝の澄んだ空気に背筋がピンと伸びて、寝不足でボーッとしていた頭に酸素が送り込まれる。国境線をまたいでも、目に映る景色が劇的に変わるわけではない。変わるのは、当人の気持ち位のものだ。

ペルーに入国できた安堵感と同時に、もう戻ることのないエクアドルを思い、少し切ない気持ちが込み上げる。しかし、それを補って余りある新しい土地への期待もある。ピカピカの新しい靴を履いて、初めて外に飛び出すようなワクワクとした気持ちが、ラムネの瓶を勢い良く振って飛び出す炭酸のように、シュワシュワな透明感とともに、僕の胸で暴れ出す。ずっと、常にこんな気持ちを抱えながら生きていけたら楽しいだろうな。そう思い、僕は再びバスに乗り込んだ。

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